新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

ゴールデンウィークが始まった(後編)

2017-04-30 22:05:13 | 旅行記

「ゴールデンウィークが始まった(前編)」のつづきは、2013年の旅行で始めます。

出かけた先は関西3泊4日で、大阪・兵庫・奈良・京都と、2府2県を巡りました。
初めての観光スポット、久しぶりの訪問先、いろいろ取り混ぜた旅行だったのですが、最大の目玉は、阪神甲子園球場でのTigers初観戦でした。

Tigersの公式戦は何試合も生観戦したことがありますし、シーズンオフ阪神甲子園球場に行ったことはありますが、阪神甲子園球場で公式戦を観戦するのはこれが初めてでした。
これまでに行ったことのある球場のどことも違うオーラが感じられて、試合前から大興奮 

試合前の撒水

ところが、CARPとのこの試合は、マエケンの前に3塁も踏めず0-5 完敗

マエケン(前田健太)

でも、ジェット風船を上げられたことだし、良しとしましょうか…。

関西旅行旅行記本編はこちら)のルートは、

羽田大阪空港(伊丹)天王寺大阪市立美術館ボストン美術館 日本の至宝」展 & 茶臼山)⇒阪神甲子園球場ホテル奈良興福寺奈良国立博物館「當麻寺」展)⇒當麻寺ホテル(天王寺)京都京都国立博物館「狩野山楽・山雪」展鳥辺野界隈、清水三年坂美術館祇園並河靖之七宝記念館六角堂便利堂)⇒ホテル(京都駅前)京都二条城仁和寺広隆寺)⇒京都駅東海道新幹線以下略

というもので、よくも動きまわったものだと思います。

印象的だったのは、當麻寺牡丹と、

京都のホテル部屋(机)の狭さっつうかコストパフォーマンスの低さかな…

このホテル(&グループ)二度と使わないだろうな…

   

2014年は、「空白県を消す旅」として、これまで私が泊まったことはおろか陸上を通過したこともない和歌山県と三重県に行きました。(旅行記本編こちら

のっけからとろける写真を載せてしまいましたが、ルートは以下のとおりでした。

羽田南紀白浜空港アドベンチャーワールドホテル(紀伊勝浦)那智駅=熊野古道=熊野那智大社青岸渡寺ホテル(紀伊勝浦)伊勢市豊受大神宮(外宮)せんぐう館皇大神宮(内宮)おはらい町・おかげ横丁ホテル(伊勢市) ⇒内宮神宮徴古館二見浦夫婦岩賓日館)⇒外宮奈良法華寺海龍王寺奈良県立美術館(アメリカ現代美術の巨匠達展)ホテル(奈良)東大寺転害門天皇殿東大寺ミュージアム)⇒元興寺JR奈良駅前大阪空港(伊丹)羽田

濃い旅でしたぁ~

アドベンチャーワールド動物たちはどれも魅力的で、もっともっと時間が欲しかったし、

にたたられたもの、ひたすら歩き坂道を登ってたどり着いた熊野那智大社那智の滝は格別でしたし、

前年に式年遷宮を終えた伊勢神宮では、新旧の社殿の両方を拝見できる絶好のタイミングでしたし、

戦乱自然災害を乗り越えて平時代のすがたを残す東大寺転害門とか、何度出かけても奈良ならでは「目ウロコ」体験楽しかった…。

この旅行をもって、「47都道府県訪問」成就いたしました

   

2015年は、GWとしては珍しく帰省しました。
用事があったためですが、それでも、うん十年ぶりくらいに秋田城趾に出かけてきました。(旅行記はこちら)

   

記憶に新しい2016年MISIA星空のライヴIX河口湖ステラシアター 3days参戦 (旅行記はこちら)

3日間とも自宅河口湖往復する手もないではなかったのですが、GW真っ最中ですから、高速道の渋滞必至 かといって河口湖周辺丸2日を過ごすにはネタがない
ドライブのスケジュールは、

自宅河口湖ステラシアター(初日)ホテル(甲府)中ッ原縄文公園尖石縄文考古館井戸尻考古館河口湖ステラシアター(2日目)ホテル(長泉町)クレマチスの丘(ヴァンジ彫刻庭園美術館IZU PHOTO MUSEUNベルナール・ビュフェ美術館)⇒忍野八海河口湖ステラシアター(3日目)ホテル(御殿場)自宅

と、前年7月の「MISIA星空のライヴVIII」上田公演に絡めた信州旅行補遺版みたいな感じです。

いや、ホント、信州の縄文文化好きです

国宝「仮面の女神」、何度拝見しても、ホント、ホント、いい

あすから、ドライブ旅行に出かけてきます。
とりあえず2泊分ホテルを予約していますが、気分や成り行きによっては3泊4日になるかもしれません。

その準備がほとんどできていませんので、今夜はこれまで

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ゴールデンウィークが始まった(前編)

2017-04-30 15:07:01 | 旅行記

世の中では、きのう、昭和の日(土曜日)からゴールデンウィーク(GW)が始まりましたが、私は一足お先に一昨日の金曜日からGWに突入し、来週日曜日までの10連休です。

過去をふり返ると、GWの休暇を利用して、あちこちに行きましたなぁ~

というわけで、過去のGW旅行を整理してみます。

かつては、世の中の人たちがどっ行楽に繰り出して、道路交通機関観光スポット混んでいる中、わざわざ出かけることもないだろ… なんて自宅や近場でのんびり過ごしたものですが、ここ数年はあちこちに出かけています。

そのきっかけになったのは、友人たちと天皇賞(春)観戦がてら出かけた10年前2007年関西旅行でした。

2泊3日のこの旅行、最終日は同行者がそれぞれ別行動をとり、私は生まれて初めての明日香村まで足を伸ばしました。
いやぁ~、ホント、良かった明日香

暑いくらいの好天の下、歩いた、動いた

この日のルートは、

JR奈良駅桜井線桜井駅周遊バス飛鳥史料館周遊バス石舞台古墳=伝板蓋宮跡=酒船石=亀形石造物=飛鳥寺=水落遺跡=甘樫丘=亀石=天武・持統天皇陵=飛鳥歴史公園館=飛鳥駅吉野線橿原神宮前駅橿原線田原本駅⇒徒歩西田原本駅田原本線新王寺駅⇒徒歩王寺駅大和路線(関西本線)法隆寺駅路線バス法隆寺路線バス法隆寺駅大和路線JR奈良駅奈良線京都駅東海道新幹線以下略

この旅行が、私が奈良ハマるきっかけになったのは間違いありません

ただし、明日香にはこのとき以降、一度も出かけてないんだよなぁ~

   

2008年は、出雲大社御本殿内部の特別公開という貴重な機会を逃してなるものか と、出雲に出かけました(記事はこちら)。

このときのルートは簡単に書くと、

羽田出雲空港出雲市(出雲大社)山陰本線安来和鋼博物館&足立美術館山陰本線米子境港水木しげるロード&水木しげる記念館)⇒米子特急やくも倉敷美観地区&大原美術館)⇒岡山空港羽田

というもので、「L」ひっくり返したようなルートが特徴です。

見物したどこもかしこも楽しかったし、素晴らしかった

とりわけ、「世界一の日本庭園」として誉れ高い足立美術館は、ホント、ホント、見事でした

   

2009年中国地方&四国「『L』をひっくり返した」ルートを周遊するもので、私にとって初めて四国に足を踏み入れました(記事はこちら)。

そのルートは、

羽田広島空港広島大和ミュージアム  ほか)⇒広島山陽新幹線尾道鞆の浦岡山特急南風アンパンマン列車琴平(金刀比羅宮)⇒特急南風(アンパンマン列車高知龍馬の生まれたまち記念館&高知県立美術館「明和電機 ナンセンス=マシーンズ展 2009」)⇒高知空港羽田

で、高知滞在時間はほんの3時間程度しかなくて、できれば高知一泊したかったのですが、急に思い立って検索してもホテル見つかりませんでした

元広島市民の私にとってかなり久しぶりのはなかなか見どころ満載でした(期待していた鞆の浦はいろいろな点で残念でしたからなおさら)。
大和ミュージアムはいうに及ばず、

海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)では、に上がった潜水艦巨大さに目をみはる一方、その内部の狭さにまたまた目をみはりましたし、

太平洋戦争末期の空襲呉の街が燃え上がったというのに、海軍の呉での中枢旧呉鎮守府庁舎(現海上自衛隊呉地方総監部第一庁舎)がしっかりと残っていることの皮肉さというな何というか…

   

こんなペースで書いていると、きょうの用事に取りかかれなくなってしまいますので、ここからはペースアップします

2010年は完全に出遅れてしまい、GW期間中は遠出せず近場で過ごしました。

2011年は、首都圏では東日本大震災後のモノ不足は和らいでいたものの、やはり鬱々した気分は残っていたことから、気分転換するべく、南九州旅行を決行しました。

ルートは、

羽田熊本空港熊本熊本市内(水前寺成趣園熊本城など)九州新幹線鹿児島知覧(知覧特攻平和会館武家屋敷 ほか)⇒鹿児島鹿児島市内観光(城山仙厳園・尚古集成館など)⇒特急きりしま宮崎空港羽田

というもので、熊本・鹿児島・宮崎3県のうち宮崎県はほぼ「通過しただけ」でした。

旅行の詳細は、旅行記(こちら最終編はこちら)をご参照いただきたいのですが、あの立派だった熊本城地震酷いことになってしまって、心が痛いです…

来月末鹿児島遠征では熊本までは足を伸ばしませんが、絶対また行きますよ、熊本

   

2012年梅雨入りした沖縄へ。(旅行記本編こちら

シーサー@沖縄県立博物館・美術館

ルートは、

羽田那覇空港ホテル識名園沖縄県立博物館・美術館国際通りレンタカー屋さん玉陵(たまうどぅん)首里城公園ホテル沖縄美ら海水族館今帰仁(なきじん)城跡さんご畑 陸上のサンゴ礁宜野湾海浜公園ホテル斎場御獄(せーふぁうたき)平和祈念公園旧海軍司令部壕那覇空港羽田

というもので、私の旅行では珍しくレンタカーを利用しました。
っつうか、那覇市内だけならともかく、沖縄を動きまわるためにはレンタカー必須です

私にとって初めての沖縄でしたが、堪能いたしました

曲線を描く城壁(下の写真は今帰仁城趾)、

独特の宗教感

そして、沖縄の歴史では素通りできない、っつうか素通りしてはいけない先の戦争絡みの史跡

日本であって本土とはかなり違う沖縄の文化・風俗・歴史を直に目の当たりにできた素晴らしい旅行でした。

この沖縄旅行で撮った写真の中でイチオシは、さんご畑で撮ったこの写真かな?

いつのまにやら長編になってしまい(タグを含めて27,000字以上)、ヘタをすると分割を強制されるかもしれませんので、ここでひと休みをいただきます。

でも、今日中完結させるぞ 

【追記】このブログの保存用ハードコピーをつくると、この記事の分量がかなり中途半端
そこで、2007年以降10年間のGW旅行のルートを白地図にプロットしてみました。
「後編」で登場する旅行とか、今年2017年のルート(ダイジェストはこちら)まで書き入れてしまいましたが、そこはご勘弁

 矢印飛行機での入域・出域、細い線新幹線に乗った区間を表しています。

こうしてみると、北海道北陸空白地帯になってますな。

北海道GW以外の期間に何度も出かけていますが、北陸とはトンと縁が無くて、数十年前に列車で通過しただけ…
いつか行ってみたいとは思っているのですがねぇ… (2017/05/05 07:11)

つづき:2017/04/30 ゴールデンウィークが始まった(後編)

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盆栽を楽しんできた話

2017-04-28 21:43:28 | 美術館・博物館・アート

世間より一足お先にきょうからゴールデンウィーク(5/7までの10日間)に突入した私、行きつけのシネコン会員サービスデー(IMAXや3Dじゃない通常上映は1,000円)ということで、久しぶりに(といっても3週間ぶり)、そして恐らく映画館で観るのは最後になりそうな「SING/シング」を観たあと、こちらはかなぁ~り久しぶりさいたま新都心へ行ってきました。

ここまで、自宅最寄り駅武蔵野線南浦和駅京浜東北線浦和駅上野東京ライン(宇都宮線)さいたま新都心駅と、一駅乗っては乗り換え or 下車の繰り返し…。
それはさておき、さいたま新都心駅の改札を出ると、あれま 日本庭園ができている 

もう1

さいたま新都心駅

これというのも、きのうからさいたま市で、もう一つのWBC(?)世界盆栽大会(World Bonsai Convention)が始まっていまして、さいたまスーパーアリーナ(さいアリ)では、世界盆栽大会記念開催として、「日本の盆栽 水石至宝展」が開催されているのですよ。

平日だというのに、かなりの人出でした
そして、外国人が多い 最近私が足を踏み入れた場所としては、最高外国人比率だったような気がします。
しかも、日本人の観客は予想どおり平均年齢が高めなのに対して、外国人の観客は老若男女が入り交じっている感じです。 

どうしても「盆栽」と聞くと、リタイアしたシニア層趣味という感覚をぬぐえないのですが、Bonsai年齢層を問わないものなのかもしれませんな…

ところで、きょうから4/30までたった3日間だけの「日本の盆栽 水石至宝展」、会場はさいアリコミュニティアリーナです。

このエリアに入ったのはきょうが初めてだったのですが、スタジアムモード用の観客席が見えてまして、こんなに高いところまで観客席があるんだとビックリ

さて、肝心の「日本の盆栽 水石至宝展」、入場するとすぐにこの展示会のポスターを初めとするビジュアル独占している作品が展示されていました。

真柏「飛龍」

「飛龍」という銘を持つ真柏(しんぱく)で、説明板を転記しますと、

推定樹齢は1000年以上とされる古木で、日本盆栽協会に貴重盆栽として登録されている、日本を代表する真柏の名品の一つです。
この真柏は、1983年、新潟県糸魚川市の山中で採取されました。その壮大な姿に心打たれた伊藤尚治氏によって慎重に根付け作業が行われました。その後、何人かの所有者を渡ったのち、大宮盆栽村蔓青園三代目園主・加藤三郎氏が管理するところとなりました。加藤氏は日本盆栽協会の理事長として第1回世界盆栽大会を成功に導くなど、常に世界に目を向けた盆栽界のリーダーでした。
加藤氏の卓越したセンスと熟練の技術によって、採取当時とは見違える姿になりました。そして加藤氏によって「飛龍」と命銘されました。加藤氏の功績を称えると同時に、大型盆栽の豪快な迫力の中にも繊細なまでの品格を漂わせる姿から、第8回世界盆栽大会 in さいたまシンボル盆栽に選ばれました。

だそうです。

琳派が描いたような緑の山肌を突き破って大波が飛び出したような造形もさることながら、「推定樹齢は1000年以上というのが凄まじい

1000年の時を超えて残っているだけでも凄いのに、生命が輝き続けているっつうのが、何ともまぁ、、、、

皇居で管理されている盆栽コレクションの中で最古だというこちら真柏は、

推定樹齢600年とな

これらに比べると、こちらの黒松(推定樹齢130年。これも皇居コレクション)とか、

黒松

こちらの(推定樹齢120年)なんて、

まだまだ「若造」って感じです。

それにしても、デカい盆栽がズラリとならんで壮観
これだけでも私のような凡人盆栽に対するイメージが覆されてしまうのですが、一方でこんなかわいらしい小型の盆栽も展示されていました。

高さ20cm程度の小さな「小品盆栽」たちですが、小さくてもそれぞれが「自分の世界」っつうか「自分の宇宙」を作り上げて、そのオーラ発散している感じがするんですなぁ

凄い世界です…

ところで、「日本の盆栽 水石至宝展」では名品が展示されているだけでなく、盆栽展示即売されていました。

こちらの「第8回世界盆栽大会特別記念販売品」だという「皐月躑躅:栄冠」という作品のお値段は、なんと888万円

即売品のお値段をみると、1,000円で買えるものがあるかと思えば、これ欲しい と思う作品だと、小さな盆栽でも数万~数十万円だったりして、おいそれと手をだせんなぁ~と…

と、こちらの作品は、、、、

「三点一式 ¥100,000,000-」って、大きな数字をすぐに読み取れる自信がある私も、思わず「なんでも鑑定団」風に、一、十、百、千、万…と数えてしまいました

「三点一式」とはいえ、一億円 です
しかも「ご成約」ですと

ここまでハイエンドだと、想像を絶する世界突入しているとしか言いようがありませぬ

ちなみに私は、2,000円で、小さな小さなモミジを買ってきました。

小さいながらも、しっかりとも植えられています。
秋には紅葉するんだろうな… 

いやはや、楽しかった
盆栽の歴史とか、さいたま市(旧大宮市)盆栽との関わりの深さとかを知ることができる展示もありましたし…。
あさって、4月30日までの短期間ですが、お暇があり、ちょっとでも関心がありましたら、是非お出かけくださいまし

いつかさいたま市大宮盆栽美術館にも出かけてみねば と、改めて思いました。

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長崎に行ってみたくなった埼玉県立近代美術館の展覧会 #1

2017-04-23 22:58:59 | 美術館・博物館・アート

きのうからきょうの昼前にかけて、自宅にこもりとあること没頭していたのですが、そのヤボ用が片付くやいなや、好天に誘われて埼玉県立近代美術館(MOMAS)に行ってきました。

先週のように暑くないし、天気が良くて、陽光燦燦って感じ。
そして、新緑が美し~い 

埼大通りの「日本一長いけやき並木」よござんす

ちなみに私、今のところに引っ越すまでは、埼大通りに面したアパートに住んでいました。
このけやきになると早くも落葉が始まって、歩道落ち葉だらけになるし、その歩道は地下の元気一杯凸凹になっているし(自転車は大変そう)で、見た目と違って不便なところもあります。
それよりも何よりも、埼大通り(R463)を通行する大型車振動とか騒音酷くて、引っ越した当初は何度「地震かと思ったことか…。国道沿いには住むものじゃない…痛感しました。
そんなこともあって、今のところに引っ越したら、はなんとも静かで(時々武蔵野線を走る電車・貨物列車の音がかすかに聞こえる) 、夜の平安を得ることができたのでした

それはそうと、北浦和公園新緑きれい

これから梅雨までは良い季節です

   

さて、今年度初めてMOMAS4月8日から特別展「川原慶賀の植物図譜」が開催中です。

いつも凝ったフライヤーをつくるMOMASは、この展覧会にはこんなフライヤーを繰り出しました

んん??? 普通A4サイズのフライヤーに見えますね

ところがどっこい

右側のタイトルが記された細い部分が手前に折り返されているのですよ。
そこを開くと、、、、

川原慶賀『ムベ』ロシア科学図書館蔵 (Russian Academy of Aciences Library). St. Petersburg 2017

というキャプションはありますが、「額絵」といっても良いような作品そのものが現れ、折り返し部分には、展覧会の概要が記されています。

相変わらず凝ってますなぁ~

よく見かけるA3サイズを二つ折りにしたものよりコストがかかっているのではなかろうか… といらぬ心配をしたりして…

それはともかく、この展覧会は、絵師・川原慶賀「回顧展」みたいなものなのですが、川原慶賀って誰? と思う人が多いと思います。
川原慶賀の作品の中で、日本人にとってもっとも馴染みがある作品はこちらではなかろうか… 

川原慶賀「シーボルト肖像」江戸時代の後期、長崎・出島のオランダ商館付きの医師だったシーボルトの肖像画です。
日本史の教科書には必ず載っているのではないかと思います。

そして、川原慶賀という絵師は、フライヤーの折り返しの裏から転記しますと、

長崎の絵師、川原慶賀(かわはらけいが、1786-1860?)は江戸時代後期、日本人の立ち入りが厳しく制限されていた出島の出入りを許され、オランダ商館の求めに応じて、日本の様々な文物を描いた膨大な数の絵画を制作していました。
とりわけ、慶賀は出島のオランダ商館の医師として来日したドイツ人の医師・博物学者、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796-1866)と交流を深めました。日本の自然や生活文化、特に植物に対して強い関心を持ったシーボルトの要求に応えて西洋画法を習得した慶賀は、彼に随行し、長崎や江戸参府の途上で、植物の姿かたちを正確にうつした写生画を数多く描きました。シーボルトがヨーロッパに持ち帰った慶賀や他の絵師による植物図譜のうちおよそ1,000点はシーボルトの死後ロシアに渡り、現在ロシア科学アカデミー図書館に収められています。

ということなんですが、きょうはここまで。
例によって、なかなか本題に入れませぬ… 

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大阪でビバった旅行記 #2-3

2017-04-21 23:07:59 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「大阪でビバった旅行記 #2-2」のつづきです。
ひきつづき、開館(2016年4月29日)から1年経っていない京都鉄道博物館の探訪記。

京都鉄道博物館の前身は、同じ場所にあった梅小路蒸気機関車館と、大阪にあった交通科学博物館で、私は幸いにもどちらも一度づつながら、拝見しました。

SL動態保存していた梅小路蒸気機関車館鉄道に限らない交通機関全般に範囲を広げつつ、鉄道の「仕組み」の展示が充実していた交通科学博物館が一緒になったらどんな博物館になるのだろうかと楽しみにしていたのですが、、、、、ホント、楽しかった

ことによったら、私の地元さいたま市にある鉄道博物館(てっぱく)よりも、私の好みかもしれない…

実質的に京都鉄道博物館を保有・運営するJR西日本にしてみれば、JR東日本テッパクとの差別化知恵を絞ったに違いないのですが、その試みは奏功していると思います。

そして、きっとに刺激を受けたに違いないてっぱくリニューアル中だといいますし、まさしく好ましい競争が始まっています。

ということで、「京都鉄道博物館らしさ」に焦点を当ててみましょうか。

・・・なんですが、初っぱなからその趣旨と違って、こちらの車両から…。

「スシ28形301号車」とありまして、1933年製造、1961年改造の車両なんですが、説明板によれば、

当初は食堂車と2等座席の合造車であるスロシ38000形として製造されましたが、1962(昭和37)年に改造され、スハシ38形として急行「日本海」などに連結されました。乗り心地を重視した3軸台車が採用されています。その後、旧交通科学博物館で展示される際に車内全室が食堂車に改造され、スシ28形301号車となりました。

だそうです。

出ましたなぁ~、「日本海」

私が高校の修学旅行の復路で「日本海」に乗ったときには寝台特急格上げされていましたけれど(往路は特急「白鳥」でした)、すごく懐かしい名前です。
ちなみに私、「急行『日本海』」の後継というべき急行「きたぐに」にも乗ったことがあります
もっとも、私が乗った頃にには、「日本海」にも「きたぐに」にも食堂車は連結されていなかったような気がする…

それはそうと、この車両の型式「スシ28形」食堂車だけに、寿司しか出さないのか? と思ってしまいます。

でも、車内は寿司屋さんっぽくない…

もちろん、この「スシ」「寿司を意味しているわけはなく、「ス」車両重量37.5t以上42.5t未満を、「シ」「食堂車を意味しているのだとか。
そして、上に転記した「スシ28形」の説明に、改造されるたびに「スロシ38000形」⇒「スハシ38形」⇒「スシ28形」と型式名が変わったことが書かれていますが、「スロシ」旧2等車(現在のグリーン車に相当)+食堂車「スハシ」普通車+食堂車を意味しているんですな。
もし、「スメシ28形」という型式名だったら、それこそ寿司しか提供されない気がしますけれど、残念ながら「メ」という用途記号はありませんでした 

   

さて、「京都鉄道博物館らしさ」について…。
結論からいいますと、前身の梅小路蒸気機関車館交通科学博物館特徴を引き継いで、鉄道の博物館として良くできた 博物館だということだと思いました。
その他もひっくるめて整理すると、

 SLが煙と蒸気を吐きながらレールの上を走る
 車両だけでなく、システムとしての鉄道の仕組みと歴史を観られる
 旧国鉄 & JR西日本だけでなく、私鉄にも敬意が払われている 

といったところでしょうか。

このあと、追々語っていきたいと思うのですが、WOWOWから録画した「THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP」を再生しながらブログを書いていると、ほんと、はかどりませんので、今夜はここまで…
それにしても、「真夜中のHIDE-AND-SEEK」イイ

つづき

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「ビバ初め」札幌旅行記 #3-1

2017-04-17 21:48:01 | 旅行記

ちょっと順番を崩して、「『ビバ初め』札幌旅行記 #2-11」のつづき、今年初めの札幌旅行最終日旅行記を書きます。

「『ビバ初め』札幌旅行記」と名づけていますが、ダイジェストに載せた行程を見てわかるとおり、最終日編は基本的に「小樽旅行記」です。

ホテル⇒徒歩中島公園駅地下鉄南北線さっぽろ駅・札幌駅快速エアポート小樽駅路線バス手宮小樽総合博物館本館⇒徒歩旧日本郵船㈱小樽支店⇒徒歩錦町路線バス小樽駅前通駆け足小樽駅快速エアポート新千歳空港飛行機仙台空港仙台空港駅仙台空港アクセス線仙台駅東北新幹線大宮駅埼京線自宅最寄り駅⇒徒歩自宅

札幌旅行3日目はどうしようかと考えた結果、6年ぶり小樽に出かけて、前回観られなかった小樽総合博物館本館に行ってみようと思ったのですよ。小樽総合博物館運河館がかなり良かったですから…。(記事はこちら)

さて、2泊した札幌のホテルでは、札幌駅までシャトルバスを運行していまして(当然、無料)、2日目のお出かけの際にはこのバスを利用して、この日も乗りたかったのですが、チェックアウトの順番待ちで手間取ってしまい、Just Out 

仕方なく、地下鉄に乗って札幌駅に向かいました

6年前に小樽に出かけたときも、札幌旅行の最終日で、このときは札幌駅の改札内のコインロッカーに荷物を入れて身軽な状態で小樽に向かったのですが、考えてみれば、新千歳空港に向かう快速エアポートは半分の便が小樽始発ですから、帰りに札幌駅途中下車して荷物を回収するのはムダだろうし、札幌駅から快速エアポートに乗り直して座れる保証はない 
ということで、結局、荷物を持ったまま小樽に行き、小樽駅のコインロッカーを使うことにしました。

実際、快速エアポートが発着するホームに行くと、まだだというのに、新千歳空港行き快速エアポートを待つ人多いのなんのって…
札幌始発快速エアポートでも座れるとは限らないと思いました

   

さて、多くの人たちとはに、小樽行き快速エアポートに乗って、小樽へ出発

車中でとても印象的な光景に出くわしました。

電車には、いかにも中国からの観光客っぽい若い女性2人組が乗り合わせていたのですが、小樽に近づいて、真冬の日本海が見え始めると、その女性の一人が車窓に近づいて、それこそきらっきらの目で冬の日本海を眺めていました。

上に載せた写真は、私が帰りの列車から撮ったものですが、ただただ灰色の光景ながら、暖かい車内から見るからなのか、私が日本海側で生まれ育ったからなのか、たまらなく魅力的ではあります。

そうこうするうちに小樽駅に到着し、予定どおり、荷物コインロッカーに入れてバス乗り場へ…。

と、バス乗り場でバスを待っていると、こちらのバス行き先に目を奪われました

「美国」行き。
中国語「美国」とはアメリカのことでして(ちなみに中国語では、「英国」は日本と同じ「英国」ですが、「独(ドイツ)」「徳国」「仏(フランス)」「法国」です) 、中国人観光客は、このバスに乗ればアメリカに行けるかも、、、なんて冗談を言うのではなかろうかと思った次第です。

これはブログのネタになるな…と思っていたら、きょう、中国情報サイトのサーチナを見ていたら、こんな記事が出ていました

「中国人の人気の北海道になんと『アメリカ』が存在していた!」という見出しで思い出したのが、このバスでした。

そして記事を読むと、

日本にある「アメリカ」だが、これは米軍基地のことではない。ならば大分県にある「USA」(宇佐)のことかといえば、そうでもない。中国語ではアメリカは「米国」ではなく「美国」であり、記事は北海道積丹町にある「美国」を「アメリカだ」と言っているのだ。北海道は中国人観光客の人気スポット。「美国」は中国人観光客をターゲットにした町おこしができるかもしれない。

だそうで、ビンゴ でした

めでたし、めでたし…

つづき:2017/05/05 「ビバ初め」札幌旅行記 #3-2

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花を愛でに東京国立博物館に行ってきた

2017-04-16 21:59:05 | 美術館・博物館・アート

東京国立博物館(トーハク)に行ってきました。
先週始まった特別展「茶の湯」は、気が向いたら拝見しよう…くらいのもので、お目当ては、庭園のオオシマザクラを観ること。

東京のソメイヨシノ盛りを過ぎましたが、それでも上野公園はかなりの人出

そして、お目当てのオオシマザクラはというと、

たっぷりと咲いていましたが、それでも盛りは過ぎた感じ…

でも、シダレ系八重系見事に咲き誇っていまして、たとえば、カンザンは、大ぶりのピンクの花を風に揺らしていましたし、

イチヨウザクラは今が盛りでした

いやはや、ホント、見事
たくさんの花が、みんなこちらを向いて咲いています

かわいい

そして、平成館前のシダレザクラは、、、

もうちょい って感じでしょうか
一方で、近くのカエデは、地味ながら、満開でした。

そうそう、表慶館の入口がなことになっていまして、サクラ満開になっているし、石庭やら石灯籠が設けられていて、かなり異様…。

どうやら、金持ち外国人を相手にしたイベントに貸し出されていたみたいです。
表慶館裏っつうか、法隆寺宝物館の喫煙コーナーで、ワイングラスを片手に外国人たちが語り合っていましたから…

   

ちなみに、ソメイヨシノ散ってしまったというのに、上野公園内では、きょうもあちこちで花見酒の宴会が繰り広げられていました。
もう、花より酒、ですな

でも、清水観音堂の周りでは、シダレザクラが咲き誇っていましたから、花見酒といえないこともないか…

清水観音堂とサクラ

ということで、きょうのところはこれでおしまいです。

実は、特別展「茶の湯」を拝見しまして、茶道を苦手とする私でもなかなか楽しめたのですが、その話はまた後日…。

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「ビバ初め」札幌旅行記 #2-11

2017-04-15 22:05:39 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「『ビバ初め』札幌旅行記 #2-10」のつづき、札幌旅行記2日目編の最終回です。
最初に「最終回」と書いておかないと、ズルズルと続きそうで…

もっとゆっくり&のんびりと見物したかった北海道開拓の村ですが、そもそも「THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP」参加するための北海道遠征ですから、そちらを優先するのが前提条件でありまして、バス時間を気にしながら、したがって、ここから先は建物の内部を拝見することなく市街地群を通り抜けました。

前回もそうでしたが、旧藤原車橇(しゃそり)製作所の屋根に掲げられたソリ車輪のディスプレイがイイ

その昔、東京・溜池にあるコマツ(小松製作所)の本社ビル(下の地図で「りそな銀行 赤坂支店と表示されているビル)の屋上に巨大ブルドーザー(の模型)が鎮座していました(こちらのサイトをご参照方)。

そのブルドーザーがなくなってかなり経ちました。恐らく、「ブルドーザーだけのコマツじゃないということで撤去したのでしょうけれど、もったいないことをしたものだと思います。
お店や企業が、自社の代表的な商品の模型を店頭や屋上に掲げたら、街がもっと楽しくなると思うのですけどねぇ~。
その点で、赤いクリップを掲げている伊東屋さんは良かったよなぁ、と思います。リニューアル(こちらの記事)後はトンとご無沙汰していますが… 

商品に関するディスプレイをしなくても、北側大きな窓を持つ建物は、その佇まいで写真館だと判ります。

旧広瀬写真館

素人的な考えだと、南側の方が日当たりが良さそうな気がしますが、一日を通して安定的な明かりを得られるのは北側の窓なんですな。
かつて典型的な工場の建物といえば、ノコギリ屋根のイメージでしたが、このノコギリ屋根も、北側の窓から光を工場内に取り入れる工夫だったとな。 

照明技術が発達して、また、デジカメが全盛となった現在では、外光を取り入れる必要性は薄れてしまったでしょうけれど、かつては、写真館北側大きな窓を備えていたようです。
明治村髙田子熊写真館(1908年頃)は、上に載せた旧広瀬写真館(1924年)と同じ屋根窓タイプでしたし、

江戸東京たてもの園常盤台写真場(1937年)は、北側の大きな窓が設けられています。

興味が無い人には、ふ~ん… なんでしょうけれど、建物に込められたこんな工夫楽しいのですよ、私にとっては

機能性を離れて、Visualな視点(な表現)からは、旧開拓使工業局庁舎色遣いがたまらなく魅力的ですし、

木造の店舗の正面からレンガ造り煙突が立ち上る「いかにも北海道」旧三〼河本そば屋楽しい

そんなこんなで、北海道開拓の村のエントランス、旧札幌停車場に戻り、路線バスに乗り、新札幌駅へ向かいました。

そして、バス新札幌駅に到着するとき、駅前に気になるホテルを発見

地下鉄に乗り換える前に、その気になるホテルの写真を撮りました(ブログにアップするべくiPodTouchで撮影)

HOTEL emisiaって、、、、え、MISIA

ってわけはなく「ホテルエミシア札幌」Wikipediaによれば、「emi=笑み」「siawase=幸せ」と組み合わせた名称なのだそうだけど、私にはやはり「え、MISIA」に読めてしまう…

ということで、新さっぽろ駅から地下鉄・東西線に延々と乗り、大通駅地下鉄・南北線に乗り換えて私が泊まっているホテルに戻りました。

ホテルの自室で、それにしても、北海道開拓の村を満喫するには時間が足りなかったな… と反省しながら一息ついたのち、「THE TOUR OF MISIA LOVE BEBOP」札幌2日目出撃

前夜の余裕あり過ぎとはうって変わって、雪道駆け足することになってしまったことは、翌朝のダイジェストに書いたとおりです

でも、晴天の下、澄み切った空気を呼吸しながらを踏みしめた一日、リフレッシュできました。

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大阪でビバった旅行記 #2-2

2017-04-11 22:36:43 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「大阪でビバった旅行記 #2-1」のつづきです。

梅小路蒸気機関車館だった頃には出入口だった旧二条駅舎(現在は出口専用)の前を通って、京都鉄道博物館へ。

旧二条駅舎

行列はほとんど無く、すんなりと券売機入場券を購入しました。
Suicaを使えたのは想定内としても(梅小路蒸気機関車館の頃にも使えた)、バス一日乗車券割引が適用されたチケットもすんなり買えたのにはビックリ
券売所でバスの一日乗車券を見せて割引入場券を購入するものだと思っていたもので…

どうやって不正を防ぐのだろうか? と思ったら、何のことはない、入場口で係員さんチケットと一緒にバスの一日乗車券を見せることになっていたのでした
簡単なことですな、ガハハ

さて、初めての京都鉄道博物館、初めっからこれに圧倒されました。

C62の動輪

C62 26」です。
国内のSLでは最大(直径1,750mm)を誇る3つの動輪と、それをつなぐ連結棒、なんてカッコイイ

東京駅丸の内北口地下の喫煙所からの眺め私が丸ノ内に通勤していた頃、毎朝東京駅から外に出る前に、C62動輪が展示されている動輪の広場にある喫煙所一服することを習慣にしていたのですが、なにやら標本のような東京駅「C62の動輪」とは桁違いの迫力です

C62シンボルともいうべき動輪(右の写真は2009年3月に喫煙所内から撮ったもの)は、単体として見ても巨大ほれぼれするのですが、メカニズムの魅惑というか、ダイナミックさが感じられないんですな…

一方の京都鉄道博物館「C62 26」は、複雑に配置されたパイプとかロッドとかに、人類の叡智(大げさですか? )の結晶のようなものが感じられるのですよ。

もっとも、私の嗜好として、エレクトロニクスよりもメカトロニクスの方が好みだというのが効いているのかもしれませんが…。

と、「現存最古の国内量産型蒸気機関車」だという「230形233号蒸気機関車(1903年製)」の前でポーズをとっていた(右側のお子ちゃまではありません)のは、、、、

あれま 京都国立博物館の公式キャラ、トラりんではありませんか

「営業活動」として京都鉄道博物館出張(外出)していたんですな。
ちなみに、隣の「ゆるキャラ」は、京都鉄道博物館公式キャラクター「ウメテツ」だそうです。
公式HPには、「ウメテツ」について、

たくさんの人が訪れ、自然あふれる梅小路エリア一帯から、古くから人と自然との共存を象徴するツバメを連想し、モチーフとした。渡り鳥であるツバメによって広い地域の多くの方に京都鉄道博物館を知っていただき、鉄道文化を未来へ継承していってほしいという思いを込めた。

とありますが、ほんとにそうか???? 

京都鉄道博物館ツバメといえば、、、 

C62 2号機

京都鉄道博物館動態保存している「C62 2」除煙板に取り付けられているツバメでしょう
1930年10月にデビューした東京~大阪間を結ぶ「超特急『燕』」に由来するツバメ京都鉄道博物館のシンボルとしては説得力に満ちていると思われるのですが、「ウメテツ」の説明にこの話が出てこないのは、もしかすると、九州新幹線「つばめ」を運行しているJR九州に配慮したのかもしれませんな

というところで、きょうはおしまい。
NHK FM「MISIA 星空のラジオ」に備えねば

つづき:2017/04/21 大阪でビバった旅行記 #2-3

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「ビバ初め」札幌旅行記 #2-10

2017-04-09 12:02:22 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「『ビバ初め』札幌旅行記 #2-9」のつづきです。

北海道開拓の村は、市街地群漁村群農村群山村群4つのエリアで構成されていまして、今回は「農村群」の巻。

前回に来たとき、最も衝撃を受けた建物を今回も見てきました。

これは特定の建物を移築or復元したものではなく、「明治期のものを再現した」ものだそうで、説明板を転記しますと、

開拓小屋は開墾小屋とも称し、移住者が最初に建てた住居である。
丸太を埋め立てて柱とし、桁・梁・垂木をわたし、笹・茅などで屋根や壁を葺き、出入口・窓にはむしろを下げた。屋内は一部が土間で、他は笹や枯草を重ねた上にむしろを敷いて居間とし、炉を設けた。

だそうで、外観は単に「粗末な小屋」なんですが、内部が…、

壁も屋根もスカスカ外光が漏れ入っています。

なら、風通しが良くて快適かもしれませんが、真冬の吹雪のときなんか、どんな状況だったのでしょう? すきま風なんてレベルではなかったはず
また、ヒグマ襲来したら、こんな家では避難先にはなり得ません
「#2-2」にチラリと登場させた吉村昭の小説「羆嵐」は、体重340kg、体長2.7mヒグマが何度も民家を襲い、死者7名、負傷者3名の被害をもたらした三毛別羆事件(1915年12月)をもとにしたものなのですが、恐らく三毛別(現・苫前町三渓)の人たちは、この開拓小屋に近い建物の中で襲われたのでしょう。
最初の事件発生からヒグマ射殺されるまで、村人たちはどれだけ怖かったことか…
想像するだけで身震いしてしまいます。
希望に燃えて北海道にやって来たのか、はたまた流れ着いたのかわかりませんが、北海道に来たことを後悔した人は少なくなかったのではなかろうかと想像します

そんなことを考えながら開拓小屋から外に出ると、月が見えました。

が、あれ? この建物、なんか

正面に回ってみると、あれまぁ~

壊れてる

この建物、「旧小川家酪農畜舎」は、

この畜舎は、大正末期に札幌農学校出身の小川三策がアメリカから取り寄せた設計図を参考に建築したもので、19世紀アメリカで発達したバルーンフレーム構造が特徴である。

というもので、8年前はこんな風でした。

ペンギンを連想する屋根の天辺がかわいらしかったのに…

いったい、いつ何が起こったのでしょうか?

現在、安全を確保するため、付近の立ち入りを禁止しております。
ご迷惑をお掛け致しますが、ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

という立て札褪色具合からして、最近のできごとではなさそうです 

調べると、2013年3月の重さで倒壊したらしい…

ということは、4年間放置ってこと…?
工法の問題か、予算の問題か、はたまた市街地群に比べて地味農村群だからなのかわかりませんが、それにしても、いかがなものか…です 

そうこうしているうち、帰りのバスまで時間残りすくなくなってきていましたので、山村群の見物は省略して、市街地群を通って出入口旧札幌停車場を目指しました。

つづき:2017/04/15 「ビバ初め」札幌旅行記 #2-11

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