2019年4月19日 瓢湖で撮影。この件、今回で終了します。
昭和19年(1944年)4月、瓢湖の樹齢60余年の桜木が伐採されました。時は昭和19年、戦争真っただ中です。
伐採理由は下の文のとおり。国家存乏の危局に花見気分は許されない、桜樹のため田が日陰になり食糧増産上支障がある、桜樹をマキにして町民に配る・・等。
現在の瓢湖の桜は、伐採後に植えた桜です。
昭和11年(1936年)、瓢湖の内側を埋め立てて競馬場にする計画が有りました。工事費は約2万円くらい。
工事費の捻出方法は水原町の保管分1.3万円をあて、不足分は寄付を募る。ただ、この計画は実現しませんでした。
昭和11年 当時の「水原町上水道全景」 現在の中島町です。 この年の競馬場計画でした。
昭和10年代の「瓢湖畔料亭」での花見風景。 瓢湖に宴会用の建物があったようです。 まだ、白鳥は来ていません。
この資料は「郷土史 外城物語」から借用。 何故か、図書館にはこの本が所蔵されていないようです。良い本なのに。
昭和3年(1928年)6月、下旬から雨が降らない。7月中旬、雨が降らず稲の用水が不足した。雨ごいをした。90年前の話です。
瓢湖の水も枯渇。瓢湖脇の水原八幡宮で3日3晩昼夜通して祈願の上、神主を先頭に笹神地区畑江集落の奥にある魚止の滝で祈願し、滝つぼの竜神を怒らせて雨を降らせるようにした。 10月中旬に豪雨が降ったが、日照りで川床もひび割れ水は1日に18m先へも流れなかった。
100日以上の大日照りがあった。 当然、稲の収穫量は激減だったでしょう。 農家にとって、大変な1年だったでしょう。
大日照りから2年後の昭和5年(1930年)5月13日。
瓢湖近くにあった水原尋常高等小学校の校庭で、旧水原城主・水原常陸介315年祭を執行。大勢の人たちが参加。当時としては町の一大イベントだったと、「郷土史 外城物語」に記述されている。 そして、この年の11月 浜口首相が東京駅で狙撃されました。そんな時代です。
2019年3月29日(金) 阿賀野市・瓢湖 小さいけれど、水芭蕉が咲き始めました。 数は、まだ少ないです。
瓢湖の桜まつりの看板が、準備されていました。
昭和2年(1927年)4月10日 瓢湖の「じゅんさい採取約定書」。水原町は業者にじゅんさい採りの許可を与え、収入を得ていたようです。
瓢湖のジュンサイは人気があったようです。
大正15年(1926年) 瓢湖の「土地貸借契約書」 瓢湖上池の開田・新堤の開田・宅地・畑地・山林・原野などについて、水原区代表水原町長と土地借受人との賃貸契約書。 瓢湖の一部、当時は個人に貸していたんですね。
この年 大正15年12月25日、大正天皇 崩御。 「昭和」と改元。 次回から、「昭和編」が始まります。
瓢湖脇にある道路に面した建物の裏面は、瓢湖に杭を打ち込み基礎として、
その上に家を建てた・・と、あります。写真の時代は、瓢湖に家を建築できたようです。
大正時代末期の、瓢湖の桜。 写っている子ども達は、着物を着ています。
瓢湖の脇にあった老大松の木。姿の良い松の枝でした。現在も枯れずに存在していれば、瓢湖の景色はもっと、素敵なのに。
大正7年(1918年)の話です。
「瓢湖保勝会」の話。 瓢湖は、日露戦争後に記念拡張したと記されています。