1枚目、分田七郎俊長の居館跡の現況(中心の水田あたり)。
2枚目、文政6年(1823年)の阿賀野川の位置図(緑色部分)。左側の青色は、現在の阿賀野川の位置。現在、阿賀野市地域の千唐仁、布目、西岡、水ケ曽根などは川向かい(新潟市)に位置しています。水害で今の位置に移動したようです。分田集落が分田七郎俊長の領地になった応徳元年(1084年)当時は、阿賀野川の位置がもっと分田近くだった気がします。分田七郎俊長の居館は、川の近くにあった方が便利だったでしょうから。次回に続きます。 管理人
1枚目、分田七郎俊長の居館跡の現況(中心の水田あたり)。
2枚目、文政6年(1823年)の阿賀野川の位置図(緑色部分)。左側の青色は、現在の阿賀野川の位置。現在、阿賀野市地域の千唐仁、布目、西岡、水ケ曽根などは川向かい(新潟市)に位置しています。水害で今の位置に移動したようです。分田集落が分田七郎俊長の領地になった応徳元年(1084年)当時は、阿賀野川の位置がもっと分田近くだった気がします。分田七郎俊長の居館は、川の近くにあった方が便利だったでしょうから。次回に続きます。 管理人