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瓢湖 今昔物語10(明治・1903年)

2018年08月22日 | 瓢湖

瓢湖を「ひょうたん池」といった。以前は池に形が「瓢箪の形」をしていた。くびれたところがあり、その通路添いに楱の木が繁っていた。憩いの家や日の出町人家うら一帯は瓢箪の頭部に当たる。そんなところから今も瓢湖と呼びならわしているのであろう。

湖の西側から砂押(外城町)周辺にかけて、水原高等小学校が建ち今日の古川屋支店(現在の湖四季)前をかつて波止場といっていた。

水深2メートル、湖中に突き出た長さ6メートル、幅5メートルの桟橋もあり、この桟橋には日進丸、春日丸という7人乗りの2艘のボートがつながれていた。

毎年、福島潟浜那須で行われるボートレースに出場するための水原高等小学校の手こぎボートである。指導者は新潟師範学校卒業ボートレース選手でもあった小島某。練習は厳しく、放課後から湖面に夕日の映える日没まで。

こうした訓練の成果が、明治40年(1907年)東京向島の墨田川で行われたボートレース全国大会の優勝校である新発田中学校(現新発田市。全国優勝を祝して新発田町では提灯行列をしている)を打ち破るという大殊勲となった。111年前の話です。 「郷土史 外城物語」から。

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