阿賀野市ブログ応援隊

個人・サークル・行事・歴史・頑張っている人などの阿賀野市の情報と、人生の楽しみ(?)をお伝えします。

さよなら 赤谷線 9

2019年06月26日 | 歴史

 昭和59年(1984年)3月の新聞記事から(誌名記録無し。記事の大部分を転載)

 第一次大戦後、細々と採鉱したり中止したりだった鉱山を再びクローズアップさせたのは、やはり戦争だった。日本製鉄の原料供給部門として設立された日鉄鉱業は、中国戦線がキナ臭くなった14年(昭和59年当時、〇年と書く〇年は西暦でなく昭和〇年のようです。昭和14年は西暦1939年)、赤谷鉱山の再工事を始め16年に生産開始する。同時に赤谷線も、東赤谷まで延長された。(最初の終点駅は赤谷駅でした)

 相前後して日本曹達が飯豊鉱山を開発、北越製紙が赤谷鉱山を買収し本格生産を開始するなど、第二次大戦に突入するとヤマは活況を見せ始める。 次回に続きます。

コメント