(上)昭和61年「1986年」ごろに撮影。改築前の神山駅です。笹神村史に載っています。左端が改札口。その右隣が待合室。その隣が駅員の仕事部屋。瓦屋根です。当時は通学の高校生が大勢通っていました。待合室には、冬季間 石炭のダルマストーブが設置されていました。
(上)この写真は昭和40年前後に撮影。この頃、旧笹神村神山地区にあった神山西小学校と神山東小学校の6年生は合同で会津若松市へ修学旅行に行っていたようです。この時代、自家用車を持っている家は少なく、汽車に乗る機会も少なかった子供たちにとって、新津駅で汽車を乗り換え、磐越西線の各駅停車で行くのは大冒険というか、小学校時代の大イベントだったようです。生徒たちの中にはすでに他界した子も。乗ったのは、蒸気機関車だったそうです。D51?
(上)この写真は、昭和49年「1974年」ころに神山駅で撮影。この年(?)まで、蒸気機関車が走っていました。
(上と下)平成2年(1990年)4月1日 「うるおい新潟 SLの旅」として久しぶりに蒸気機関車D51が羽越線を走りました。お祝いとして神山駅に五頭温泉郷の関係者や芸者たちが来て、駅にD51が止まった時に踊りやジュース(酒?)を振舞いました。
上の写真、左端のメガネの男性は当時の五十嵐笹神村長。笹神村が元気なころの写真です。
(上)平成7年「1995年」の笹神村(現・阿賀野市)神山駅。 改築前の神山駅(一番上の建物です)
駅舎の屋根がトタン葺です。 いつ 瓦葺から葺き替えたか不明です。
駅には上りと下りの二つのホームがあり、列車交換の待ち合わせもありました。 この写真は駅の跨線橋から撮影したと思われます。 現在、跨線橋は撤去され、ホームは一つだけです。「上の写真の誌名記録なし」
(上)改築前の神山駅で、ホームが二つあった時代の木版画。木版画にあるホームは線路の向こう側で、現在は取壊されて現存していません。 「木版画・片桐正英」
神山駅は昭和19年から、信号場として工事されてきて、昭和30年に神山駅になりました。
昭和47年からは無人駅に。そのため、地元の神山農協や神山駅を守る会の人たちで切符販売や駅管理をしてきました。 平成8年(1996年)2月に駅舎が建替えられ、下の写真のような駅舎になり、無人駅になりました。
(上)神山駅が改築され現在の駅舎に。駅舎側のホームでの木版画。 「木版画・片桐正英」
(上)2013年6月26日 神山駅西側から撮影。左端に駅。屋根の形がユニークです。
(上)2014年4月19日 神山駅と自転車小屋の中間にあった桜の木。綺麗な桜が咲いていました。2020年8月25日、神山駅の撮影に行くと、上の桜木は切り倒されていました。木の高さが高くなりすぎ、危険と判断されたのでしょう。いい花が咲いたのにと、残念です。
(上)2015年1月 冬の神山駅
2016年4月18日 神山駅
同日、夜の神山駅
(上)令和2年(2020年)8月25日撮影 神山駅
(上)神山駅の時刻表 ワンマンの電車が多いです。
上の1枚目の版画(紫陽花・女性・雨に傘)の舞台、この草藪に駅の2番ホームがありました。「今は昔」という言葉を思い出します。
駅舎の案内板。1枚目の写真とは、変わりました。