1992年(平成4年)1月22日の新聞(何新聞か記録していません)。
新潟ロシア村開園1年半前の記事です。 笹神村議会は21日、臨時会・全員協議会(20人の村議全員)を開催、 「新潟ロシア村」構想に協力する「建設促進対策協議会」を設置する方針をきめたそうです。
構想主体の「ロシアホテル」が1月26日、建設予定地の9集落地権者を対象に地元説明会を開く予定。本格的な用地交渉を前に、村を挙げての支援体制が固まり、構想推進に弾みがついたと書かれています。
協議会では「笹神村が過疎からの脱却には これ以外の方策はない」などの促進派の意見が大勢を占める一方、 「自然破壊が心配」「(リゾートマンション急増で諸問題を抱える)湯沢町と同じ結果になっては困る」などの慎重派の意見も続出。・・・。過疎の脱却、マンション乱立などを考えていたんですね。
それにしても翌年の秋には「マーロイホテル」や「スズダリー寺院」が完成し開園したのに、この時点でまだ用地買収が終わっていなかったんですね。急ピッチで建設工事が完成したんですね。 この時点での予定では、総工費12億円を投じホテル(20室)と寺院と水族館に温泉施設などをこの年の11月に完成予定で、翌年の3月に開園・・とあります。 テーマパーク部分を第三セクター方式で開発するため、県側の対応も問う意見も出たそうです。
新聞には、県企画調整部長の話も載っています(経済交流に加えて、ロシアとの文化交流を進める先進的な事業と評価している・・などと載っています)
経済交流と文化交流、そして過疎脱却・・・効果はあったのでしょうか。 次回に続きます。 管理人