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阿賀野市の「分田七郎俊長」 その4

2013年07月09日 | 歴史

 昭和15年(1940)、分田七郎俊長の館跡周辺を土地改良した時、居城跡を裏付ける鎌倉時代のものと推定される手鏡・古銭・擂鉢や写真の古鏡(五十嵐敬吉氏所有)が出土した。古鏡は、菊花紋の配列が特徴的です。

 「水原の歴史風土」の本によると、分田七郎俊長は応徳元年(1084)より長治元年(1104)まで約20年、群雄割拠乱国の時代によく人心を修め、郷土を安きに置いた名豪士であったと思われるが、以後は口伝にも他の文献にも拠ることができない。と、記されています。又、他のページには「分田氏は、佐々木源氏の一族で資料では南北朝期(鎌倉時代の後で、1336年に朝廷が分裂してから1392年に皇室が合一するまでの時代。室町時代の初期にあたる)に南朝(越後では足利源氏、北朝が優勢)に属し、やがて滅亡したと伝えられる。と、記されています。 以下、次回に続きます。  管理人

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