平成25年7月21日撮影。 地蔵堂の脇に立つ桜の木の両側から白い煙(実際は雲)が出ているように見えたので撮影しました。 管理人
先日、阿賀野市の石船戸遺跡から発掘された遺物見学に行ってきました。写真より、やはり実物は迫力があります。
遺物は遺跡近くに展示されています。今年の5月まで、月~金曜の午前9時~午後4時まで無料で見学できます。
写真撮影禁止と書かれていなかったので、撮影。係りの人にも撮影を了解して頂いたので、写真を投稿しました。ぜひ、見学されることを勧めます。
縄文時代、新潟県は「暖温帯落葉広樹林で、現在より気温が約3度高かったようです。
2枚目の写真の手前には、京ヶ瀬地区の柄目木遺跡の遺物も展示されています。私のような素人には、石船戸遺跡の遺物の方が見て楽しかったです。
管理人
知人から教えてもらった、旧新潟市にあるコーヒー店。おいしいという話でしたので、行ってみました。「~モカ」1杯400円。味よし香りよし。おいしく飲んできました。こういう時は、カッコよく飲みたいのですが、現実は防寒着に少々汚れたスノーブーツ。映画のワンシーンのような姿ではありませんでした。それでも、隣席のおばさん達よりは、「絵」になっいていた・・・と、思います。誰も言ってくれないので、自分で言いました。目撃者がいないので、言える話です。う~ん・・・・! 管理人
阿賀野市天神堂(てんじんどう)集落の菅原神社。903~922年(延喜年中)に建ったと思われる「水原町編年史から」。弥彦神社が833年。中央町1丁目にある神明宮が991年。旧水原町では、一番古い建立のようです。祭神は、菅原道真朝臣。明治6年(1873)12月に村社に列せられる。従前は天満宮と称したが、明治4年に宮称禁止の官令により菅原神社と改称した。住宅地図にも菅原神社と記載されていますが、石柱には「村社 天満宮」とあります。
天満宮は、「天神(てんじん)さま」とも呼ばれています。天神堂(てんじんどう)という集落の名前は、この神社の名前からつけたかもしれません。
神山郷土史によると、天神堂集落は1186年、殿下御領として白河荘に属し、戸数9戸。概ね魚漁を以て生活をした、とあります。
次回は、別の神社を投稿します。 管理人
阿賀野川に架かる阿賀浦橋から阿賀野市下里、小河原集落へ向かう道路、カーブ地点から見える景色。田の真ん中に森があります。
この付近の集落から県外など遠方に住んでいる人たちは、この森を見ると故郷に帰ってきた・・と、思うのでしょうね。 管理人
新潟市の新潟県立万代島美術館へ写真展を見に行ってきました。大きな写真が数多くあり、迫力がありました。137点を展示。ロビーに16点有り。
館内は撮影禁止ですが、ロビーに展示の1枚目の「ジョン・レノン オノ・ヨーコ 1980年」は撮影可と札があり、撮影しました。
高岡早紀のヌードは、写真が大きすぎて「艶」があるのか、ないのか ???。 近くにいた20代の女性2人は、男性外人ダンサーの鍛え上げられた大きいヌード写真を見て「すごい」「贅肉が全く無い」「すっごいねぇ!」と声を出して見惚れていました。 年齢の違いで、感動も違うようです(時代は変わったなぁ)。 管理人
阿賀野市下一分集落の サイの神 上蔵野集落の サイの神(左奥は、地蔵堂)
上高関集落の サイの神 長起集落の サイの神
1月12日 午後撮影。 家に配達に来た宅急便の人が、あちこちでサイの神を集落で作っていると教えてくれました。
そこで撮影に出かけたのですが、どこも同じようなサイの神の形なので、4集落で撮影終了。 点火は、午後3時~5時ごろだったようです。
管理人
阿賀野市天神堂集落の 天満宮。 1月2日撮影。 2日撮影なので、扉は開いていませんでした。
神社の入り口 新しいしめ縄が、飾られていました。
こちらの神社の右側には、現在 阿賀野市岡山町の白龍酒造(株)の建物がありました。 ここで創業され、岡山町に移転されました。
1月14日追記 このタイトルを修正しました。理由は、次回に投稿します。 管理人
白鳥 = 阿賀野市の瓢湖を思い浮かべますが、日中は瓢湖に白鳥は あまりいません。瓢湖の近くに住んでいる人の話ですと、白鳥は瓢湖を午前8時半頃に飛び立ち、午後4時頃に舞い戻るそうです。
この写真は、阿賀野市上西野付近の水田で撮影。田一面に水があり、約100羽ほどいました。 管理人