信頼をぶち壊しにするのは、「威圧的な指導」と「子どもの素直さに付け込み、利用する指導」ということですね。たくさんの小学校教員が実際やっちゃってる方法です。その結果は、エリクソンが「おっしゃる通り」です。文化差はないんですね。人間の本性は、洋の東西に関係ないんですね。
p103の9行目途中から。
しかし、規律は自分の外側から課されたルールのように実行するべきじゃぁない、自分自身の意思を示すものとして実践すべし、というのも、物の道理。そうなりゃぁ、規律も喜びですしね、規律を守らないとやらなくなっちゃうような行動に、ゆったりと自分を慣らしていくんですね。あらゆる規律(と、人格からほとばしり出るあらゆる力)という名の、西洋の概念にとって、ひとつ不幸なのは、規律を実践することが、なんとなく痛々しく、痛みがある時だけ「うまくできた」と考えられている点です。東洋はずっと昔から、人間にとって(体にも良く、魂にも良いもの)善とは、人々が悦んでするものでなくちゃぁと考えられてきましたし、たとえはじめは抵抗されても、その抵抗は自ずから克服されるはずだ、と考えられてきました。
規律は、人間らしい暮らしをしたいと願えば、自ずから生じるものですよね。それは自分の願いと結びつくときに、初めて「自分の意思に従った」規律になる訳でしょ。外側から宛がわれた規律など、規律じゃない。規律はそうい意味では、決して強制できないものじゃないかしらね。
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