組織が腐る時とはどういうときでしょうか?
最近の様々な一流企業、国や自治体などの組織的犯罪が問題です。その典型が、東京電力や経済産業省(旧通産省)などの国が犯した原発事故だと考えます。個人の犯罪も恐ろしいですが、組織の犯罪は、その影響する範囲、被害者の数が、個人の犯罪とは比べ物にならないくらい広く、深いのが特色でしょう。
組織が腐るのは、どういうときでしょうか? それは、「情報の非対称性」を悪用する時です。たとえば、一流レストランは、自分が使っている素材が松坂牛なのか、そうでないかは知っています。しかし、お客は、味だけで松坂牛か否かを判別するのは難しい。情報を片方は持っているけれども、片方は持っていない。「情報の非対称性」が生じるのは、情報公開がなされていないからですね。情報公開が弱い組織は、ウソとゴマカシで、利益を上げようとする傾向がありますね。東電や行政は、情報公開が弱く、情報の隠ぺいと情報操作をしていますから、腐っていますし、腐りやすい。
情報の隠ぺいと情報操作をすることが内部ルールになり、その内部のルールを守ることが、社会的責任よりも、優先することになります。学校でも、8時間労働が法定労働時間で、それを守ることが当然なのに、「いつまでも学校に残っている方が、学校組織への献身度が高い」という内部ルールができていて、実際には、法律よりもその内部ルールを優先しています。
では、そういうところで働いている人は、札付きの悪人なんでしょうか? 個人を見ればさほど悪人ではないかもしれません。でもね、私が見るところ、さほど善人でもありません。ここからは、私の経験から、申し上げたいと思います。
情報隠ぺいと情報操作が内部ルールになっている場合、ウソとゴマカシをすることも内部ルールになりますね、必ず。善人ならば、なるべくウソやゴマカシがない様に務めるのが本当だと私は考えますが、ウソとゴマカシの内部ルールのある組織では、真逆になります。振り込め詐欺の犯人が、人を騙せたときにニンマリするのと同様に、ウソとゴマカシが上手にできた時に、悦ぶようになっちゃう。
嘲りが組織とその組織人の特色になります。結構な悪人ですね。残念‼
こういうときに、私が思い出すのは詩編です。
「悪しき者の謀略(内部ルール)に歩まず
罪びとの道(ウソとゴマカシの道)に立たず
あざける者と座を同じくせぬ(弱い立場の人と一緒に悦ぶ)
その人に幸あれ」
詩編第一編1節(関根正雄訳 岩波文庫『旧約聖書 詩編』p11)