神様を日々冒涜している人の、つづき。
Young Man Luther 『青年ルター』p.248の、第2パラグラフ、14行目途中より。
悪魔って、厚かましいことこの上なくって、誰も信頼しない時だけ、安心できんですね。やりたい放題なのに、恥知らず。膨らんだ耳、尖った眼、その歯、その嫌らしい舌を見せびらかして、楽しんでいます。ケツや角、それに、昔のサテャロスも騙す勃起した尻尾をひけらかすのが楽しみですね。
悪魔の姿がどんなものか分かりますよね。顔出し、ケツ出し、一物出しを楽しんでるんですね。それは、神も仏もないからです。誰も信頼していないからなんですね。
今日もどこかに散歩に出かけた、日々神様を冒涜する、自称「クリスチャン」。実は、誰も信頼してないんですよね。ここでエリクソンが教えてくれている通りです。今日も良いサンプルを、見せてくれました。
かわいそうに、今「顔出し」散歩を止める口実を探してるでしょうね。毎日、散歩しては、
「マタイ6:5-6
「祈るとき、偽善者のごとくであるな。彼らは国会前
や町角に立って祈りたがるが、それは人々に見せるためである。本当にいう、彼らはその報いを得ている。6あなたが祈るときは部屋に入って戸を閉じ、隠れたところにいますあなたの父に祈れ。さらば隠れたところに見たもうあなたの父は報いたまおう。」
を読むことになって、自分がいかに、アンチ・キリストなのかを、思わされてる訳ですからね。お辛いですね。
でも、仕方ありません。自分がキリスト者どころではない、むしろ、アンチ・キリスト、キリストス者にありまじき存在、「悪魔」になっている、ということに気付く大事な一歩なんですからね。