エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#腑に落ちる生活

2019-06-30 12:10:08 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
#発達トラウマ障害 #体感がない #右往左往 or #凍り付いてしまう #怒り爆発
 #発達トラウマ障害(DTD)の #回復プロセス    発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com  但し,全て半角にしてから,......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
 をご参照ください。

 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。 

 June 06 ,2019,横浜の心理臨床学会で,Perezさんのお話を聴いた関係です。  

 今朝は,p.98の,第3パラグラフから。


 自分が生きている実感と,その実感に従って生きることを神経学的に研究したことから,私の友人の,ピーター・レヴィンとパット・オーデンが開発した体感療法がとても人の役に立ちことが分かりました。…そのエッセンスは,次の3つです。


 1)トラウマが邪魔して,氷漬けにしている体感を引き出すこと

 2)体感が自分を突き動かす力,と患者さんが仲良くなれるように手助けすること

 3)自分を守るために引っ込めた身体の関わりが,「できた」にすること その引っ込めた身体の関わりは,おっかなくて,閉じ込められ,押さえつけられ,動けないようにさせられた時にできなかった関わりなんです。

 腑に落ちる気持ちは,安心,命が続いていること,あるいは,脅かされていることのシグナルです,たとえ,どうしてそうなるのかわからない場合でも。


 腑に落ちる生活が,とても大事。

 ですから,体感を実感する生活,息を意識する生活が大事。

 

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#聖書の言葉 #単独者の恵み  #神様

2019-06-30 11:49:38 | 聖書の言葉から
 
#聖書の言葉 #1人豊か #アイデンティティ
   私の好きな聖書の言葉から。12回目ですが,φρονέω フロネオー つながりで。  皆さんにも,お勧めしますよ,身も心も,キリストにあって,一心同体にしなさい......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

をご参照ください。



生きているのに

死んでいるあなたへ



マハトマ・まど・みちおさんの言葉から。






私がいう


「かみさま」は


「宇宙の意思」みたいなもの

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#永遠の宝物

2019-06-30 11:35:31 | エリクソンの発達臨床心理
 
#聖書の言葉 #1人豊か #アイデンティティ
   私の好きな聖書の言葉から。12回目ですが,φρονέω フロネオー つながりで。  皆さんにも,お勧めしますよ,身も心も,キリストにあって,一心同体にしなさい......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
 をご参照ください。

 不思議な導きの中にある,まとめ学習の都合により,Insight and Responsibility 『キリストと共に見る心眼=善い良心があると,子どもに応答できる』の、p.116,最後から。今朝は,p.118の,第2パラグラフから。

 

 

大文字の希望が当てになると信頼できる唯一の条件は,母子が一心同体体験をすることだけです。その母子一心同体体験は,聖書の神様の全体像を体現した赤ちゃんが「記憶に残る前」の時代,すなわち,言葉を話せない時,話し言葉による記憶のない時分の,分裂していた母子2人の実験が一心同体になることによって,はじめて実現します。心から自由にされて善かったと語って自分を育ててくれるスピリットは,自分のたった1人の「お母さん」が心から安心できる人だなぁと顔と顔をシッカリと見合わせて,腹の底から仲良くなって,一心同体になることが,育ちの中で一番大事だとみなします。スピリットが語る言葉を生きる者は,赤ちゃんがお母さんと腹の底から仲良くなり一心同体になることが,育ちの中で一番大事だと言ったことによって,あの「対体験をする者が育つ場」がプレゼントしてくれる,「ギフトとしての自由な私」(「生きるはキリスト」)を体得底で,完全に知ることができるんだ,と言っているんです。他方で,心から自由になって善かったと思える者たちは,最初に心から大事にしてくれる1人のお母さんの重要性について,自由に訴えていますが,最初に心から大事にしてくれる,その1人のお母さんとは,手塩にかけて大事にしてくれる人は,心響かせピッタリ身体を合わせてくれる人かどうか実験して,一心同体体験は,なるほどホントだなぁ(アーメン),と腑に落ちる体験です。その一心同体体験実験をアーメンにしてくれるお母さんは,赤ちゃんの,お腹がすいたり傷んだりした身体と辛く悲しい気持ちを,赤ちゃんが期待している通りに,いつも繰り返し振り返ってくれますし,いつも自分を赤ちゃんより小さくして,赤ちゃんのために働きますから,赤ちゃんの心の中に,自分は値打ちものだという信頼を吹き込むことができます。アーメンお母さんは赤ちゃんと眼と眼を見合わせて,赤ちゃんから心から仲良くされて一心同体にしてもらえるのは,アーメンお母さんが眼と眼を見合わせて赤ちゃんと仲良しになり,一心同体だと思えるのとちょうど同じです。赤ちゃんとお母さんは,2人とも心から優しいということは,最初に知ることになっていることですし,最初に信頼を創造するものですから,大文字の希望の足です。

 大文字の希望は,人生の実験を根底から支える良さとして一度出来上がると,「様々な上手くいく見通し」が見通し通りでも,そうでなくても,いつでも,生きているってすばらしい,という希望があります。と言いますのも,人が心身ともに大人になることの中にこそ,様々な具体的な希望って,出来事や状況を望む希望が実現したときには,もっと先にある様々な希望の足が,先回りして静かに待っていますからね。赤ちゃんが自分から関わって歓ぶ歓びが次第に増えれば,信頼を作り出すことが増して,上手くいく見通しがそれだけ豊かにされますから,もっと先にある様々な希望のおかげで,赤ちゃんは,新たな期待に胸弾ませることも増えますね。それと同時に,その赤ちゃんは,「No」と言い返す力も伸ばします。聖書の神様の最高の光に似てくれば,叶わなかった様々なよき見通しから,素晴らしい見通しが生まれます。それに,心から真似びたい相手を夢見るようになりまりますし,いまここにあるものは,とても良い,と約束してくださる聖書の神様の試練を,生きている実感が引き出されて,̪̪信望愛に至るまで,続けます。聖書の神様がいつも育ててくれる良い見通しは,何があっても大丈夫 なだけではなくて,聖書の神様の心から優しい命が一巡する場を,どこでも何度でも,作り出すことができる,と見通すことになっています。それは,聖書の神様の心からの優しさを信頼することは,様々な山をも動かす,と言われている通りなんです。聖書の神様の心から優しい命が一巡する道から外れてしまった場合でも,大文字の希望が,息を合わせる大人に育てて下さる,唯一無二の救い主キリストのスピリットに,体得底で近づけるようにしてくれます。息を合わせる大人に育ててくださる,唯一無二の救い主キリストのスピリットが働く場では,内的促しにピッタリと合う心の習慣が備わり,聖書の神様の命が一巡しますから,互いに大切にし合うことに決まっています。ただし,聖書の神様の命と正反対に粗末にし合うことが,あの全うな人や,聖書の神様の心から優しい命が一巡する場を,どこでも何度でも,作り出すことができる,と見通す,あの見通しに勝らない場合です。人間に生まれたあかちゃんにとって,自分のお母さんこそが,「現在形の創造主」です。お母さんは,聖書の神様の法則では,赤ちゃんにとって,最初に聖書の神様のあの約束を必ず守ってくれるキリストになる「予定」です。お母さんがキリストみたいに必ず約束を守る人になれば,約束を守ってもらえるという信頼が,他の人からも引き出せるし,自分が生きている実感の輪がますます広がります。ですからね,聖書の神様が,私が生きている実感を「とっても善い」として下さることは,母子が共に育つ人になる聖書の神様の法則では,スピリットの光 の中で始まります。母子が共に育つスピリットの光は,聖母マリアの様々な絵を見れば,母子2人が,正しいことを押し付け合うこともありませんし,思い煩いあうこともない,2人が共に居る道であることもわかります。しかも,聖書の神様の命が一巡する場では,母子2人を共に育てて下さるスピリットの光は,何度もバラバラにされる落とし穴がパックリと口を開いていても,ピカリと輝き閃き続けます,実る中でバラバラにされそうになっても,倒れてバラバラにされそうになっても。

 一番大事な祈り,聖書の神様の一番大事な約束が,思いがけず見つかりましたね。「大文字の希望は,ホットけいな願いは,必ず実現するに決まってます,ということを信頼して,待つことができる,ということです,たとえ,はじめは,なんで自分だけこんな目に合わなければならないんだろう,ということや,訳の分からないことがあっても,ね」。大文字の希望は,聖書の神様を信頼する自分が創造される不動の岩盤ですし,善きサマリア人みたいな,ホットけない関わりのお手本に必ずなる,心豊かに聖書の神様を信頼する歩みが,我が身を任せる風です。

 大文字の希望が豊かだという,類い稀な在り方は,様々なイメージが育つ場に翻訳するならば,自然の中では楽園ですし,人との関係の中ではユートピアですし,あの世では天国になるでしょう。


 聖書の神様の,心から優しい命が一巡する場を,いつでも何度でも作り出せる,という見通しを持つことが,大文字の希望です。

 こちらも,暗号を解けば,以上のようです。

 大文字の希望は,人間にとって,永遠の宝物です。

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#発達トラウマ障害 #生きている実感がない心身の病 #エリクソンも知っていた

2019-06-30 10:28:50 | エリクソンの発達臨床心理
 
#悪い良心の餌食になっていることに気が付かない と #厳罰化 #暴力の悪循環に拍車を掛けることに #ニッポン人のほとんどがビョーキ
 現世考: #ウソ と #感覚マヒ     発達トラウマ障害(DTD)という診断名は、特化された診断基準だぁ!   陽気で楽しいは、うつる!  エリクソンは「プ......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

 をご参照ください。

 不思議な導きの中にある,まとめ学習の都合により,Toys and Reasons 『おもちゃ と 賢慮』から,p.67から。第2章の初めから。今朝は,p.68の,第2パラグラフ,下から2行目から。



母子2人の喜びがぶつかり合う場

 

 5歳の男の子のおもちゃ療法の中にあった(訳注:p.31の挿絵にある),母子2人のやり取りの真実のど真ん中にピッタリな,人の音色に合わせて心身を動かす人,キリストこそは,たった1つの象徴である,とキリストと共に居る私は,見ますね。キリストが仲良しの2人のど真ん中にいるのは,遊びの場面でも,子どもがいつでも生きている実感を信頼する,様々な空っぽの場で一巡することになっている,人の音色にピッタリ心身を合わせる音色でも,同じです。5歳の男の子が生きている実感,命の響きを腑に落ちて身に着ける時には,腑に落ち,感動し,心の傷がピカリと光るんですから。それに,この5歳の子が投げかける仲間の様々な課題,この子の心が育つ人との関係,それに,その子が与えられている正義も関わります。ここで,1人で夢中になって喜ぶ時期から,互いに関わり合う時期を繋ぐ敷居で,身に染みて分かるのは,1人で夢中になる喜びには空っぽの場が1つしかないことですし,母子2人が互いに夢中になることがぶつかり合う場も1つしかない,ということです。そうして,キリストとともにいる私が見つけたのが,あの大きな空っぽの場でバラバラにされた,母子2人のド真ん中には,自分を小さくして空っぽにする,聖書の神様の心から優しさが,母子2人をピッタリくっつける,という,唯一無二の気高い働きがある,ということです。その他の命の響き合い,すなわち,今ここで生きていることを実感した,あらゆる空っぽな場にある,陽気で楽しい歓び,という,あの温もりに溢れたスピリットが下さる,自ら関わる心からの自由と2人の関係にピッタリな,歓びを互いにプレゼントしあう関係を紡ぎだそうと願えば,歌手のピーター・ウォルフが「ピッタリと響き合う関わり」と呼んだ者に,育つはずです。「ピッタリと響きあう関わりができる」のは,身が大きくなり,心も広がる人間は,水の如く,自分が下に立ち,相手に心響かせることができますし,また,相手に心響かせる内側に留まることができます。例えば,子どもの頃が過ぎれば,対等な対体験を作り出し,聖書の神様の声に従って,聖書の神様の命が一巡するように,相手を振り返ることが,「ピッタリと響き合う関わり」という務めになります。その「ビッタリと響き合う関わり」は,2人が対等な新しい生き方をすることですから,陽気で楽しい歓びをプレゼントするように自ら関わる関わり合いが育ちますし,様々な腹から湧き上がる歓びが漲ります。生涯にわたって,生きるはキリストのスピリットの陽気で楽しい歓び漲る平和を作り出すことができれば,腹の底から歓ぶ関わりがいつでもどこででも,聖書の神様からの力があるだけではなくて,2人が腹の底から歓ぶシャローム平和も作り出すことも,人類皆兄弟,梵我一如に至るまで,育ちます。それは,聖書の神様の心から優しい命の全体像を,自覚することです。この聖書の神様の心から優しい命の全体像の中では,2つに分けることができない人類皆兄弟に至る,「人類を上下2つに分けるウソ」に侵されない全うな2人は,眼の前で,2つにバラバラにされた,人が育つ場を,キリストのおかげで,互いに大切にし合って一心同体にしていただく,神の法則に従う場になるに決まっています。大人になれば,仕事で人を育てることと,子どもを儲けたり,力を出したりして自分から関わることは,一人の仮面をかぶった人が,自分勝手な見通しと自分勝手な自由を切り取って,ぶつかり合う場の分け前になりますし,あるいは,子どもが歓ぶことを自分の歓びにすることを確かにする自分を生み出す,生きるはキリストを生きます。それに,聖書の神様の法則の中では,人とやり取りする実験が,発達創造の天国への階段で,自由な喜びがぶつかり合う子どもっぽい大人しかいなければ,「人間を育ててくださる,ウソのない聖書の神様の法則は,アーメン なるほど,ホントだね」という微妙(みみょう)の法門に至る者など,一人も生まれません。母子2人が,死で区切られる聖書の神様の命の法則の全体像,平和シャロームを,一緒に体得底で判って初めて,共にあの微妙(みみょう)な光の下をひれ伏し,聖書の神様のあの約束を,なんとなく,繰り返し思い出し,唱えながら日々を生きることができます。その約束は,聖パウロさんも固く約束していることです,「いまは,『汚れたガラス越しに』見ていますけれども,キリストがまた私どもの間の下に,来られる日には,私ども人間は,聖書の神様から心から大切にしていただけるのとピッタリとおんなじに,互いに大切にしあうことに予定されています」。

 「聖書の神様のギフト,腹の底から湧き上がる歓びたち」に聖書の神様の創造の舞台である人生の中で従えば,私どもひとりびとりは,私ならではの生き方をシッカリつかみ取りますから,心の欲する所に従っても,矩(のり)を踰(こ)えませんからね。その生き方は,赤ちゃんの身体と親たちの身体は,聖書の神様の教えが育つ唯一の源だというところから始まりますし,おチビちゃんがおもちゃ遊びに,自分のスピリットを吹き込むことから始まりますし,自分が生きている実感が育って,聖書の神様の命と目の前の相手と一心同体になって,陽気で楽しい歓びを分かち合うことに決まっています。自分が生きている実感が育って,聖書の神様と目の前の相手と一心同体になって, 生きてるって素晴らしい,と,陽気で楽しい喜びを分かち合えって,初めて,自由で対等で仲良しになる行動が,繰り返されることに決まっています。それは,聖書の神様に徹頭徹尾従って,同行二人になれば,付いていく者たちも先に行く者たちも,自分は聖書の神様から選ばれていることがキッパリ判りますし,聖書の神様を信頼する信頼も作り出せますから,相手の息にピッタリと響き合わせ合うことが,ピッタリと同じ2人の気持ちです。精神分析理論のおかげで,私どもは,優しくされたい身体の場があることが分かりましたでしょ。その身体の場所は,子どもたちが思い通りに本音が言えて,心から歓べますし,メリーゴーランドみたいに,思い通りに、クルクル回る遊びをして,対等に一心同体になる関係を心から歓ぶこともできます。また,子ども達が思い通りに,自己愛的に自分自身と遊ぶお門違いになることもできます。自己愛的に自分自身と遊ぶお門違いをやってると,《私》,すなわち,「私が生きている実感」が,自分自身の身体から,なくなってしまいます。



 きれいに暗号が解けると,以上のようになります。

 エリクソンの驚くほど緻密な文体。

 聖書の神様のスピリットは,キリストのスピリットを介して,ひとりびとりの魂に働くように決まっています。

 キリストのスピリットを生きると,歓んで人と関わらずにはいられません。しかし,キリストのスピリットを体得していない場合は,人と関わっている場合でも,自己愛的になりますから,生きている実感から的外れ,お門違いになります。

 今日のところからすれば,エリクソンは発達トラウマ障害の子ども・青年・大人を知っていましたね。

 

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#自己愛 と #人類愛 #声に聴き従う者

2019-06-30 08:55:27 | エーリッヒ・フロムの真まこと(の行い)
 
#信頼 #キリスト母親赤ちゃんと一巡 #いつまでも残る宝物
 エリクソンの叡智:  #アクチュアリティ #カイロス #永遠のいま #温もりに満ちたやり取り    発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆g......
 

 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
 をご参照ください。

 不思議な導きの中にある,まとめ学習の都合により,エーリッヒ・フロムErich FrommのThe Art of lovingから,p.58の後半のパラグラフから。

 

 自己愛に関する様々な考えは,マイスター・エックハルトが自己愛について語っていることを引用するが,一番善いまとめになるでしょう。「皆さんが自分を心から大切にすれば,自分以外の人類皆を,自分を心から大切にするように,心から大切にするようになりますよ。1人の人を,自分を心から大切にするように,心から大切にする限り,自分だけを心から大切にすることで,ことが収まるはずがありません,むしろ,自分も含め,人類全部をおんなじに心から大切にするならば,人類皆を1人の人として,心から大切にすることになりますし,その1人の人は,聖書の神様であると同時にただの人でもあります。このようにして偉人にして義人は生まれますが,偉人であり義人である人は,自分自身を心から大切にすると同時に,人類みんなを平等に,心から大切にします」。

 

 自己愛は,本来なら,人類愛に発達します。

 しかし,今のニッポンみたいに,心と手と時間を赤ちゃんのために惜しみなく使う母親が皆無に近い場合,自己愛が自己愛のまま,自己中のまま,ペストのままです。

 心と手と時間を赤ちゃんのために惜しみなく使う母親がほぼ皆無なのは,聖書の神様,仏陀,アラーの神,宇宙の法則,真理,ダルマ…に畏敬の念を失って,その声に聴き従う人生の習慣がないからです。

 ニッポンでは,自己愛というベストが,発達トラウマ障害というペストをニッポン中にまき散らしてしまっています。

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