NHKで大川小学校の「事件」の検証番組が再放送されていましたね。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/1128/index.html
私もこの夏、現地を訪問して、感じたのは、学校の「指示待ち体質」が出たな、ということでした。あの大地震、北上川のすぐ近くの立地を考えれば、津波避難を考えて、山に登るのが当たり前だと思います。しかし、そうはせずに、むしろ川沿いの、場所に逃げようとして、その途中で津波を被って、70人以上の犠牲者を出してしまいました。
この大川小学校の犠牲を「事故」ではなくて、「事件」と私は呼びます。それは、この「事件」が自然災害などではなくて、日本の公教育が抱える病理を映し出した「事件」だと考えるからですね。
私は、7年以上、公教育の学校現場のカウンセラーをしてきました。あるいは、保育園・幼稚園~大学院までの教員と付き合いがあります。その中で、教員に感じることは、子どものことを第一に考える人は、ごくごく一握りの少数者だ、ということです。そのこと自体が病理ですよね。教育の主体である子どもが、第一に考えられていないのですから。
しかし、それだけではないんですね。
教員が何よりも大事にしているのは、上司の意向ですし、組織なんですね。NHKでも、遺族を前にした教育委員会の対応が、いかに「お役所仕事」と「隠ぺい体質」で満ち満ちているのか、ハッキリ分かりますでしょ。真実を大事にすべき教育現場である学校が、真実よりも、ウソとゴマカシを大事にしているのです。そこに大きな日本の教育の病理が現れていますよね。
じゃぁなぜそうなっちゃうのか。6年生が「山に逃げよう」と言っていたと、生き残った一人の男の子(只野くん)が証言していましたね。それなのに逃げなかった。教員たちは、日ごろから自分の頭で考えることをしてないんですね。少なくとも、その考えたことをアクションしていない。行動に移していない。自分の判断で行動したら、上司の意向と違った場合、自分に不利益になるからなんですね。自分が損するのは嫌なんですね。
災害は緊急事態。日頃出来ていないことが、緊急の時にできる訳ないでしょ。かの検証番組では、子どもが犠牲になった中学教員の佐藤さんが「事なかれ主義」と言ってましたが、そんなもんじゃあない。「正しいことは自分が損してもやります」ということが、日本の学校ではほとんどないんですね。そのくせ、子どもには「正しいことを押し付け」んですね。この「言ってること」と「やってること」のかい離。それが日本の学校教育の根源的病理ですね。
では、この時、女子児童は何をしていたのでしょうか?
女の子って昔から、靴が汚れることを嫌いますよね。
あと、教師達が普段から、モンペの対応に苦慮していて、正常な判断力を欠いていた可能性は、否定出来ないかもしれません。
正常な判断を持っていたなら、川には近づかないようにするため、農道側のルートを選択するはずですから。
大川小学校も、いまのニッポンの学校と同じく,子どもを一番大事にする視点が非常におろそかにしていたはずです。それはブログの中で繰り返し申し上げている通りです。
いのちが掛かっている時には、身なりの汚れは気になりません。泥道だろうが急な坂道だろうが、いのちのためなら進みます。
Y子さんがおっしゃる通り、当時は小雪交じりで天気が良くなかったようです。しかし、農道も津波にのまれていますから、裏山に行く以外、いのちを救う道はありませんでした。