エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

秩序を作る力が答え

2016-03-31 08:33:50 | アイデンティティの根源

 

 

 

 

 
弱さの強さ
  これは、パウロの書簡「コリントの信徒への手紙 二」の第十二章10節「それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行きづまりの状態にあっても、キリストのために満...
 


 とくに発達とウラマの子どもたちからは、悪い良心の大人は遠ざけたい。でもこれが結構いるから困ります。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.263の、第2パラグラフ、下から12行目途中から。

 

 

 

 

 

この定式では、すべての人が、自然の力や悪霊に対して抱いてきた昔ながら怖れは、人間の心の中にある力と、内なる子ども、とに再び投影されています。その眠れるエネルギーは、悪事になったり、天使みたいにロマンチックなものになったりします。人は訓練して身に着けた良心が必要ですから、自分は悪い良心に違いないと思ったり、時にお手軽に良心が身につくと思うときには、良い良心だと思う訳ですね。こういったすべてに対する答えは、あれやこれやの悪の感じを、子ども等から失くしたり、子ども等に「ダメダァ」と言って否定したりしようとしても、ダメですよ。避けられないことを否定したって、秘密やら、手に負えない悪がいや増すだけですよ。この答えは、人間が秩序を作る力にこそあんですね。秩序を作る力があれば、子どもたちは、訓練された、しかも、我慢強い良心と、確信をもって活動できる場を手に入れることが出来ますからね。

 

 

 

 

 

 子どもに、寛容に、忍耐強く関わることが、子どもにも、寛容で、忍耐強く関わることが出来る、素敵な良い良心をプレゼントできます

司馬遼太郎さんが『二十一世紀にいきる君たちへ』で言っていることと同じです。

 子どもが、良い良心がプレゼントされれば、神様以外は、何物も恐れずに、確信をもって活動できる場も出来ますからね。

 

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喋らないのは、受けないから?

2016-03-31 07:51:08 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
遠くなっちゃった神様
  ルターが出る前に、カトリックはすでに凋落していた、と言えるのかもしれませんね。 Young Man Luther 『青年ルター』p190の第2パラグラフか...
 

 トラウマは、表現しただけでも、癒される場合が結構ありますね。必ずしも、言葉にする必要はありません

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第14章 Languare : Miracle and Tyranny「言葉 :奇跡も残虐も(、もたらすもの)」p.245、引用の最後の行途中から。

 

 

 

 

問題は、「言葉」の問題というよりも、その気品と楽観主義の問題です…。(兵士たちが話をしなかった)実際の訳は、自分達が話す悪い知らせは、誰もそれほど面しろがらなかったことに兵士たちも気付いたからでした。聞き手が心乱れ、動じたいと願うのは、そうする必要がない時ではないですか。話が出来ないことは、言葉で言いあらよすことが出来ない、ということです。それがしっくりこないことの正体です。

 

 

 

 

 言葉にする時に、あまりひどい言葉を口にするのは憚られます。聞き手にの反応が分かりますからね。喋らないのは、「受けない」から?

 

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自分を大事にする分だけ、人も大事にすることが出来ますよ

2016-03-31 06:25:26 | ブルース・ペリー教授の『犬』

 

 

 
人は三位一体です
  セラピーは全人格的。生半可な知識では太刀打ちできません。 The life cycle cpmpleted 『人生の巡り合わせ、完成版、p25の下から8行...
 

 

 命と命の繋がりは、という根源的な感じを見失っているから、今のニッポンでは、心を病む人が多いのでしょうし、自分が心を病んでいることさえ気付かない人も多いのでしょう

 ブルース・ペリー教授の The boy who was raised as a dog の第11章、「癒しのやり取り」のp.234から。

 

 

 

 

 

 もう何年もの間、精神衛生の専門家たちは人々に「社会からの支援がなくても、こころの健康は得られます」「自分を大事にできなければ、人から大事にされることもありませんからね」と教えてきました。女性たちは、「女には男は無用」と言われてきましたし、男も、「男には女は無用」と言われてきました。いろんなやり取りのある関係がない人は、いろんなやり取り関係がある人と同様に、身も心も魂までも健全だと信じられてきましたね。こういった考え方は、人類の根源的な生態に反します。すなわち、私ども人類は、やり取りのある関係をする霊長類であり、命との深いつながりと、お互いさまがなくては生きていけません。真実は、自分自身を大事にできないのは、今も昔も自分が大事にされて来なかったからだ、ということでしょう。自分も人も大事にする力は、孤立した中では養うことが出来ません。

 

 

 

 

 これは、何千年も前から、ユダヤ・キリスト教の中で、教えられていたことです。

自分を大事にする分だけ、あなたの身近な人を大事にできるようになっています」(『旧約聖書』レビ記19:18、『新約聖書』ルカによる福音書10:27 他)

 

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発達トラウマ障害≒愛着障害の診断基準:ヴァン・デ・コーク教授のご提案

2016-03-31 05:14:16 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
弱さの強さ
  これは、パウロの書簡「コリントの信徒への手紙 二」の第十二章10節「それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行きづまりの状態にあっても、キリストのために満...
 

  go to sun  光に向かって生きたいですね(smile !)。
 

 

 愛着障害、発達トラウマ障害の事は、心理臨床の現場でも、まだまだ理解されていません。それに、愛着障害は、アメリカ精神医学界(APA)が出している診断マニュアルDSMにあるけれども、発達トラウマ障害は、DSMの第5版にも載っていない。アセスメントが混乱しますでしょ。私の心理臨床の経験から申し上げたら、ADHDと誤診されるて、リタリンやコンサータを間違って処方されてしまう場合が多い。信州の湖あたり?も怪しい(smile !)。でも、個別に心理臨床をしていたら、ADHAでも、昔ながらのPTSDではないことが、ハッキリ分かってきます。一発の地震や津波によるトラウマと、子どもの頃の虐待やネグレクトによる、繰り返しの発達トラウマとは、全く別物であることが分かりますよ。発達トラウマは、1)対人関係での(多くは母親との関係)2)子どもの頃の(その多くは、赤ちゃんの時期【なかには胎児の時から】の~)3)繰り返し体験させられる(多くは、毎日何十回も) トラウマですから

ね、go to sun

 それで、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年に出した、発達トラウマ障害(DTD : defelopmental trauma disorder)をDSM-Ⅴにハッキリと入れてね、という提案書(http://www.traumacenter.org/announcements/DTD_papers_Oct_09.pdf) から、翻訳したいと思いました。この提案は、認められなかったのですが、とても大事な提案だと思います。それは、いろんなサイコセラピストに、ご自分がやってる心理臨床を、ヴァン・デ・コーク教授の提案してくれていることと取らし合わせて貰いたい、と考えたからです。そうしたら、自分がやっている心理臨床の立ち位置も分かるでしょうし、あのミスリードの「専門家」がいかにお門違いのミスリード(ウソとゴマカシ)をしているのかも、ハッキリ分かるからです。

 

 また、関心のある方で、英語に挑戦しても良いと思う方は、こちらにもチャレンジしてくださいね。

 1)http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3541245/

 2)http://www.traumacenter.org/products/pdf_files/preprint_dev_trauma_disorder.pdf

 3)http://www.apa.org/monitor/mar07/diagnosis.aspx

 4)http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4032083/

 5)http://www.attachmentdisordermaryland.com/traumadisorders.htm

 

 それで、ヴァン・デ・コーク教授が、2009年の提案書に入る前に、その導入をしている、

1)http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3541245/

から、翻訳しておきたいと思います。今回は、まず原文を載せて、その後に翻訳を載せることとします。

 

Proposed diagnostic criteria and symptom clusters

To include DTD in the DSM-V algorithm for separated diagnosis, van der Kolk et al.[20] proposed the following criteria (organized into three symptom clusters) in addition to the defined symptoms of PTSD (see List of Symptoms below):

· Symptoms of emotional and physiological dysregulation/dissociation

· Problems with conduct and attention regulation

· Difficulties with self-esteem regulation and in managing social connections.

 

ヴァン・デ・コーク教授が提案した診断基準といくつかの症候群

発達トラウマ障害(DTD)を、DSM-Ⅴで別の診断にする手順に含めるために、ヴァン・デ・コーク教授ら(20)は、次のような診断基準(3つの症候群にまとめることが出来ます)を、PTSDの定義上の症状に付け足しました(下記参照)。

1) 感情をコントロールしたり、生理学上のホメオスタシスを保ったりすることが出来ない。

2) 行動上、課題があったり、集中力を保つことに課題があったりする。

3) 自尊感情を保ったり、人との関係を調整したりすることが出来ない。

 

 

 

 

 ここで、20とは、さっき示しましたヴァン・デ・コーク教授の提案書の事です。

 こうして見てくると、怒り出すと、なかなか収まらないで、お友達や教員に食って掛かるような子ども何かを恐れて、教室にいられなくなるような子どもが、1)に当てはまりますね。生理学のホメオスタシスは、すぐに分からなくても良いです。少なくとも、感情のコントロールが出来ない子は、少なからずいますでしょ。

 それから、授業中に、私語や立ち歩きを止めない子ども下や横を向いている子どもがたくさんいますでしょ。これが、2)の当たります。

 そして、自尊感情の低い子ども、人との関係が上手く出来ない子どもですけれども、それは、やたらとベタベタする子どもこちらが相手をしないと、切なそうな顔や不満げな顔をする子ども表情が暗かったり、堅かったりする子どもです。そんな子どもも、1つのクラスに、もう何人もいますでしょ。10人以上いますよね。

 

 こういう子どもは、発達トラウマ障害、愛着障害の子どもと診てみたらどうでしょう。 go to sun

 

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悪魔とメンター

2016-03-30 08:06:05 | アイデンティティの根源

 

 

 
セラピーは、全人格的
  The sense of womder『不思議を感じる心』が訳了したので、どうしようかと思います。  今日からは、エリクソン晩年の著作 The ...
 


 

 幼い時分に、自分の弱さや道徳的な敏感さにつけ込まれてきた大人は、「正しいこと」をやってるフリして、口裏合わせてコッソリ悪だくみをやるパターンに陥りがちです。誰かに心底復讐したいんですね。

 今日は、Young Man Luther 『青年ルター』、第Ⅷ章 終章(エピローグ)のp.263の、第2パラグラフ5行目途中から。

 

 

 

 

 

もちろん、宗教家も、悪と戦っている時でさえ、自分はダメだぁという悪の感じに支配されていますから、悪は人間の「本性」の属すものであるばかりか、神様のご計画にも属すものですし、神様が人間に恵まれた恵みでさえある、と考えます。この仮定に対する答えは、子どものしつけのやり方も、根源的不信感、恥、疑い、自分を責める気持ちにつけ込む点で様々なのは、宗教も同様にいろいろなのと同じだ、ということです。困ったことが生じるのは、まず、本能の力が暴走するのは、悪い良心が支配ではない場合だ、という道徳的な恐怖からですし、その次は、人間にとって最高のものは否定的な道徳だとハッキリと主張する試みが、融通の利かない制度によってがんじがらめになって仕舞うことからくるわけです。

 

 

 

 

 

 子どものしつけのやり方が、根源的不信感、恥、疑い、自分を責める気持ちにつけ込むのかどうかは、様々だと言います。付け込むのは悪い良心の大人です。付け込んだりしないで関わろうとするのが、良い良心の大人です。

 子どもにとって、特に、発達トラウマの子どもにとっては、根源的不信感、恥、疑い、自分を責める気持ちにつけ込む、悪い良心の大人は、善人面の仮面をかぶっていても、悪魔でしょう。しかし、根源的不信感、恥、疑い、自分を責める気持ちにつけ込むことを避ける、良い良心の大人は、伴走者であり、メンターです。

 

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