見る。何気ないことですね。マジシャンの人はある意味、見ることをよく知っている人だと思います。つまり、「人は意識しないと、見ていていても見えない」ということをよくよく知っている人だ、ということです。手品をしている時には、意識を逸らしてから、意識のないところで物を隠したり、入れ替えたりする…。意識の逸れているあたりは、見ていても見えていないので、見ている我々はまんまと騙される、手品にかかる、という訳ですね。
見ることを意識することは、見えることに繋がります。
でも、それだけじゃぁ、ありませんでしょ。
「見られている」ことを意識することは、いっそう大事かもしれませんね。昔は、日本人でも、倫理の基本は「見られていることを意識すること」にこそあったのではないでしょうか? 「お天道様が見ているよ」ということは、子どもに倫理を教える時に常套句だったわけですからね。
見られていることを意識することは、善く生きることに繋がります。
東京電力、大川小学校、大臣を辞任した甘利明、放射能汚染土壌を日本中に薔薇眞している「環境(汚染)省」、三井不動産レジデンシャル、三菱自動車、キリがありりませんでしょ。「見られている関係」を忘れた、不幸で残念な人たちですね。
私どもは「見られている」『見守れらている』ことを忘れずに、「見られている」『見守られている』所に、ヒュポメノー、とどまっていたいですね。