小学生の半分が、極めて軽度も含めると、発達トラウマ障害DTD、と申し上げました。「ちょっとオーバーじゃぁないの?」、「アセスメントがおかしいんじゃないの?」と言う方が、必ずいるはずだと思います。そういう意見のある方がいても仕方がないと私自身も考えます。
でも、実際に子どもたちを見ていると、授業中黒板の方に注意が持続しない子ども、大人が見ている時には、「校則」を守るけれども、そうでなければ、守らない子ども、大人と目を合わせない子ども、様々な注意引付行動をする子ども、学校に来ない子ども、自信無げに自分を出せずにいる子ども、教員から注意されると、姿勢を余計に崩す子ども、表情が暗かったり、無表情に見える子ども、クラスの子を打ったり、自分自身がけがをしやすかったりする子ども、今の小学校のクラスにいる子どもたちには、そう言う子どもは半分以上いるんですね。確かにそのすべての子どもを、キッチリ、アセスメントしたわけじゃあない。ですからこれは私の臨床的直観です。
その中の何人か、一校に付き何人かの子どもとその母親と面接しますでしょ。その背景には例外なく、愛着の問題があります。そして、さらにその背景には、日本の社会的問題が厳然としてあるんですね。その一つが労働問題です。母親が子どもが幼い頃でも、子どもと一緒にいる時間が全く足りないし、その後も継続して子どもと一子にいる時間が足りない。日本の労働者の実質的労働時間が極端に長いことがあります。ですから、日本の母子関係は簡単にネグレクトに傾きやすい。
日本でも法定労働時間は8時間。でも日本は北欧のように、ワークシェアリングがありません。正確に申し上げると、ヨーロッパで言っているワークシェアリングは、日本で言われているワークシェアリングと意味が全く違います。日本では、残業があって当たり前。北欧では原則残業はないし、1日7時間労働。しかも、日本では、その少なくない時間がサービス残業でしょ。その労働者が母親であっても、その事情は変わりません。そうすると、母親になった段階で少なくない女性が退職せざるを得ません。その時点で退職しなくて済むのが、公務員。市役所職員と教員です。だけど、この人たちこそサービス残業のオンパレードでしょう。私の偏見が入っていることをあらかじめお断りしておきますが、役場職員と教員の母親の子どもに、発達トラウマ障害DTDが疑われることが少なからずあります。そうじゃなくても、労働市場は現在買い手市場。賃金はカットされ、サービス残業であろうと断れば、職場にいづらくなりますでしょ。また一人親。特に母親の1人親の場合、低賃金ですから、長い時間働かなくてはなりません。
わが安倍晋三首相も、「女性が輝く社会」を口先では言うけれども、「法定労働時間を守りましょう」とは言わない。「残業なし」とは言わない。それどころか、「残業代ゼロ」とおっしゃる。なんか変じゃないですか? 子どもは母親と一緒にいる時間が必要です。この「残業代ゼロ」が果たして、「女性が輝く」ことや、ましてや「子どもと母親が一緒にいる時間」の質的・量的増大に繋がる、とでも言うのでしょうか?
また、子どもとの短い時間が至福の時間かと言えば、短い時間で子どもに必要なことを伝えなくちゃぁならない、という感じが強くて、知らず知らずのうちに、「禁止と命令」がどうしても多くなる。すると、短い時間でも、親子でやり取りする時間にすればいいのに、実際は、一方通行で親が子どもを管理・指導する時間になりがちです。その短い時間に賭ける言葉も、結局は「禁止と命令」だけではなく、「言語による虐待」になる場合だって、少なくない。
日本の子どもに、これだけ、発達トラウマ障害DTDの子どもが急速に増えた背景には、このように、「失われた20年」の間に、民間も公務員も、労働環境が劣悪化したことがあります。そして、その付けを子どもが払わされている、と言っても過言ではない、と私は考えます。