≪根源的信頼感≫ 再び ≪毎日の礼拝≫ 再び
権力が「間違い」を認めない、ウソとゴマカシの恐ろしさ 1つの楕円→2つの自己中心の円(円満?):儀式化のまとめ その22013-07-29 02......
丸山眞男教授は、敗戦間際の広島の宇品の陸軍船舶司令部で、ポツダム宣言の発表の翌日、7月27日に、英語のラジオを傍受して、ポツダム宣言を耳にしています。このブログでも何度か記したところです(選択のとき、ポツダム宣言の「ジーンと熱くなる」感動 3訂版)。その日の、自分の「備忘録」に丸山眞男教授は、
「ポツダム宣言の全文をはじめて見た時『基本的人権の尊重は確立さるべし』という言葉、それを見た瞬間、からだ中がジーンと熱くなった」
と記しています。日本人で最初にポツダム宣言を耳にして、正確に理解できたのは、丸山眞男一等兵をおいて、他にいませんでしょう。丸山眞男教授は、人間として「正しいこと」(人権 human right)を正々堂々と「正しいこと」として実現できる社会ができることを知って、心熱くしていたわけですね
「基本的人権の尊重」と言われると、難しく感じる人もいるでしょう。人権の一番の根っこは、人間は自由だ、ということです。ですから、「基本的人権の尊重」は、「人間らしく自由に生きることは、正しいこと(人権)として、国(>行政府とそこの役人)や個人や法人(組織)から大事にして貰える」ということです。
日々の生活、保育所に入る時、学校に入る時、就職する時、仕事をしている時、高齢者施設を利用している時、大学に行く時、…、果たして、「人間らしく自由に生きることは、正しいこと(人権)として、国(>行政府とそこの役人)や個人や法人(組織)から大事にして貰える」が果たされているかどうか? もし、それが叶っていなかったならば、それは、行政府とそこの役人の無責任であり、怠慢です。それは、正されなくてはならない、ということです。そして、「人間らしく自由に生きることは、正しいこと(人権)として、国(>行政府とそこの役人)や個人や法人(組織)から大事にして貰える」が実現するように、努めていくことです。
群馬大学医学部付属病院で、18人もの患者が、術後に死亡するという犯罪的な事件がありましたでしょ。その事件の調査報告書に、「患者中心のガバナンスが出来てない」との指摘があったと言います(http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2834042.html)。私も、身近に「子ども中心のガバナンスができてない」学校や教育委員会がありますから、他人事とは思えなかったわけですね。
患者中心のガバナンス、子ども中心のガバナンス、お客様中心のガバナンス…のためには、「人間らしく自由に生きることは、正しいこと(人権)として、国(>行政府とそこの役人)や個人や法人(組織)から大事にして貰える」ということを実現することが大事でしょ。