エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#聖書の言葉 #単独者の恵み #三密

2020-03-31 07:51:00 | 聖書の言葉から
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #生きる秘訣まただよ

 #不思議な助け手 現世考: 高校生,雪崩事故で殺されたのは,命と基本を忘れた大人の責任だ    現代、というものの病 命と命は根源的に繋がっていることを否定す......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。

 

生きているのに
死んでいるあなたへ

 

今朝も,ヘンリー・ナウエンさんの言葉から。

 

 

三位一体(訳注:三密加持)

 

の不思議は

 

み言葉(訳注:真言,ないしは,口密)と静かさ(身密と意密)

 

の間にあります

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#試練は2人で

2020-03-31 07:18:49 | エリクソンの発達臨床心理
 
ジョアンとエリクソン
#人が一番残忍な復讐をする時 と #人間を上下2つに分けて自分を上等と見るウソ #偶像崇拝

 #花咲くころ #不思議なスピリット #誓い と #境界線 現世考: 脅迫国家ニッポンの野蛮    トラウマのセラピーでは、芸術(表現)療法の効果は絶大   受け身......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。

   今日は, Afterthoughts. 1985 「補足 1985」 から。Childhood and  Society の3番目の,最後の序文です。おそらく,エリクソンの出版した最後の論述になると思います。

 p.8の第3パラグラフから。

 今朝は,その後のブランクから。 

 

 

 臨床で人間をよく観察する日々を記す中で,初めて偉大な体験に戻ることができたんです。それは,心優しい友達や先生のおかげで,ウィーンのフロイト派の「先達」の中で,近年発見された,子どもの頃の体験の普遍性について,体得底することこそ気高い試練だ,というところに戻ります。それは,特別学校で私どもが観察する時にも,子どもの頃の体験にも普遍性があることを体得するという気高い試練がありますし,心の病で苦しむ大人の思い出と成育歴から,再び共に育つ時にも,子どもの頃の体験にも普遍性があると体得するという気高い試練がありますし,子どもを自由にすることそのものズバリを出来事にすることから,再び共に育つ時にも,子どもの頃の体験に普遍性があると体得するという気高い試練がありますが,それはかつて,アンナ・フロイトが(訳注:大文字の希望にまで)育てた,子どもの頃の体験に普遍性があると体得するという偉大な試練です。

 

 この本の第一版の序文で,最初にウィーンで,ついで,このアメリカで,子どもの立場について,温めて,論文にもするようになったそのやり方を纏めました。その中に,それだけで1つの段落となった1つの文章がありました。それは「この本は,私の伴侶,ジョアン・エリクソンが編集しました」という文章がありました。

  

 

 試練の中に大文字の希望があります。

 ここでなぜ,奥さんの話になったのか?

 それは,試練は2人で乗り越えることに決まっていますから,エリクソンはそのパートナーを紹介したくなってわけです。

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#空想の翼の実力

2020-03-31 06:25:27 | エリクソンの発達臨床心理
 
#取引 と #我慢 あぁあぁ #この世を地獄として生きる法則

 #聖書の言葉 #1人豊か #天を仰いで インターメッツォ: エリクソンの叡智 : お母さんと赤ちゃんがゆったりと見つめ合う時間    現代、というものの病 命......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」

をご参照ください。

 Identity :Youth and Crisis 『聖書の神様と一心同体に成ること : 若さと試練』

 今朝は,p.174の,22行目から。

 備忘録的に,p.168の第2パラグラフも残します。

 

 

 忘れてはならないのは,気持ちがピッタリと分かり合って腑に落ちることの反対は、人に馴染めず心がバラバラだ,ということです。つまり,1番親しい母親は,いまここにあると,母親には不都合な強さや不都合な人たちを,裏切り,見て見ぬふりをして,殺してしまいやすい、ということはね,忘れてはなりません。一纏まりの人や思いに馴染むことは,別のまとまりの人や思いを上手に裏切ることなしには,あり得ませんでしょ。このように,忖度と裏切り,それは,一番親しいはずの母親と一心同体に成ることできなかったために,最深欲求を満たすことができない人のいつもの心の態度になります。最深欲求が満足していない人って,自分の「良心」に確信を持てませんから,不正な誘いを断る賢さがありません

 

ダメだと言う人と一心同体に成るという選択

 お母さんと一心同体に成って,気持ちがピッタリと分かり合って腑に落ちる心の習慣がありませんと,家族や近隣の人々の中で,素晴らしいとか,望ましいとか思われている役割に対して,小ばかにし,鼻持ちならない敵意を抱くことになる場合が多いんです。人から頼られる役割は,おしなべて,腑に落ちる心の習慣がない若者がひどく毛嫌いする中心点になりがちです。このように,自分に振り向いてくれる人が欲しくて,反抗をしすぎることは,アングロサクソンの一番の古株からラテン系やユダヤ系の新米まで,あらゆる人間に見られます。自分に振り向いてくれる人が欲しくて,反抗をしすぎることは,何でもかんでもアメリカ的なことは大嫌いという態度にもなりますし,馴染めないこと全てに対して,理屈に合わないほど,買いかぶったり,軽蔑しすぎたり,ということにもなりがちです。聖書の神様のいのちが一巡して,晴れ晴れと本当の自分に生きがいのあるいのちが2人に実るのは,(訳注:一粒の麦が落ちて死んで)1人が自分のいのちを空っぽにする時だけなんですよ。反対に,生きている実感が萎んで,1人でも傲慢になると,2人が本当の自分を生きるのが抑え込まれることになります。ケース報告で印象的なバラバラになった自分が示しているのは,悪い良心が勝って,若者のよちよち歩きの一心同体の実感がバカにされている,ということなんです。「『お前はダメだ』と言う心の声が,この頃,よく聞こえるんですよ。『お前はダメだ』と言う心の声は,やることなすこと『ダメだ』と言ってくるんです,というわけですね。その若者の話では『煙草を吸っても,女の子に“好きだよ”と言っても,身振りをしても,音楽を聴いてても,本を読もうとしても,この3番目の声は私にいつでも,『お前がうまくやろうとしたって,ダメ(ウソ)ですよ』と言うんです」,この『お前はダメだ』と言う心の声は,とっても冷酷です。とある日,内から大学へ行く途中,その若者が乗った電車が,ニュージャージーの沼地と貧民街を横切りました。その若者が強く感じたのは,大学や家の人よりも,貧民街の人と,気が合う,ということでした。いのちは貧民街みたいなところにだけある感じで,対照的に,大学は庇護された女々しい場所に思えたのでした。

 この例の中で大事なのは,圧倒的な悪い良心,「お前はダメだ」という心の声(しかし,その声は,この若者が別の道を選ぶほどにはまとまっていません)のことをよく考えてみることばかりではなくて,一心同体に成れずに病んだ自分を,バラバラな社会のせいにすることをよくよく考えてみるなんです。似たようなケースはフランス系アメリカ人のケースですが,その方は,かなり栄えた炭鉱町の出身で,男の子と一緒ですと,突然不安に襲われてパニックになったんです。割り当ての悪い良心がいつもくっ付いてきて,聖書の神様と一心同体に成り損ねていると,まるで聖書の神様との関わりとは的外れな強迫的な思いに飛びついてしまうんです。その的外れな強迫的な思いとは,男はみんな,やっぱり「フレンチはこうでなくちゃ」と思われるセックスをしてくれると期待しているもんだ,ということでした。

 このように,国や民族の祖先に馴染めないことが,「本当の自分と一心同体に成る」ことが完全にダメになるのは珍しいことです。ただし,特定の名前やニックネームで呼ばれることを,新しい旗印に居場所を探している若者の中には,いつも怒っている人は珍しいことではありません。しかし,自分のルーツについて仲良く話し合って,見直すことはよくあることです。中央ヨーロッパ系の出身のとても独創的な高校生は,スコットランドから来た移民をひそかに探して,その移民の方言や習慣を熱心に学んで,真似しました。歴史書や旅行ガイドの助けを借りて,スコットランド人との関わりの中の与えられた場で,夜に長いおしゃべりをして,スコットランドの子孫であることに腑に落ちて,自分の子どもの頃を独力でもう一度育て直しました。この女子高生は,アメリカ生まれの両親のことを,「私を ”ここアメリカ” に連れてきた張本人」と言いましたし,私のところに送られてきたときには,自分のことを「ローナ」(訳注:不倫とヌードのシーンで物議をかもした,1964年公開の映画とその主人公の名前)と呼んで,「あっちスコットランド」の子どもの頃を,事細かに話してくれました。私はその話に寄り添っていましたが,彼女曰く,「それが本当かということよりも,腑に落ちる意味がある,ということがもっと大切なんです」と。その腑に落ちる意味がある,ということは,その女子高生は以前ご近所の女性にピッタリとくっ付いて馴染んでいた,という1つに思い出に繋がりました,その近所の女性は,イングランドの島の出身で,女子高生の両親が実際にしていたこと,できたことよりも心強く,女子高生の望み通りの心から優しい温もりのある関わりをしてくれていたのでした。空想の翼が作り出した「真実」が生み出す幻のような願いに隠れた強烈な力は,一心同体に成り損ねた厳しい試練全てに隠れている,親を殺してしまいたい願いになりました。

 

 

 以前「花子とアン」というドラマで,『赤毛のアン』の翻訳者,村岡花子さんをモデルにしたテレビ番組がありましたが,その中で繰り返し「空想の翼」ということが,肯定的に取り上げられたことがありました。

 一心同体に成りたいという最深欲求を満たすためには,心豊かな空想の翼が必要です。

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#聖書の言葉 #単独者の恵み #静かなみ言葉

2020-03-30 13:46:17 | 聖書の言葉から
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #生きる秘訣またまた

 #聖書の言葉 #1人豊か #自分のように我が子みたいに あの名古屋大生も,津久井やまゆり園事件の犯人も,ニッポンの保育園が貧しいことの犠牲者だ!!    本末......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。

 

生きているのに
死んでいるあなたへ

 

今朝も,ヘンリー・ナウエンさんの言葉から。

 

 

み言葉は

 

出来事になり

 

み言葉は

 

静けさにもどります

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#自分と仲良し

2020-03-30 13:11:27 | エリクソンの発達臨床心理
 
#聖書の言葉 #単独者の恵み #生きる秘訣またまた

 #聖書の言葉 #1人豊か #自分のように我が子みたいに あの名古屋大生も,津久井やまゆり園事件の犯人も,ニッポンの保育園が貧しいことの犠牲者だ!!    本末......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」  

をご参照ください。 

 Ontogeny of ritualization in man. 「人の中にキリスト(生きている実感・本来の自己・本心と本音)を創造する毎日礼拝」

イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。

 p.344の,ブランクの後。

 今朝は,p.345,5行目から。

 

 4 子どもの頃 :あの台本通りに,とあの形

 

 私がこれまで取り出した毎日礼拝の元は2つです。その2つは,本当の自分を創造発達させる中でキッパリと根付かせました。最初の病因を突き止める「病因論」の視点で見る時,繰り返し申し上げておきたいことは,赤ちゃんの時期と大人の人生のハビットの間に単純な因果関係があるということを私が申し上げているわけではない,ということです。それは,大人の様々な毎日礼拝には,特に,子どもが自分の足で自律したいという,目には見えないニーズに応えるという意味がありますから。ご先祖様や聖書の神様は次第に大人になることを求めている,というイメージ(これから見ますけれども)は,子どもに顔を近づけるお母さんの真似をしたり、「正義」の理想を追ったりすることだけじゃない,子どもの頃の悪い良心が外に現れることだけじゃない、ということです。むしろ,人が聖書の神様の予定(説)に従って創造発達するのは,人生のハビットを形作る主たる元(型)のそれぞれが,長い子どもの頃のそれぞれの舞台にありつつ,それぞれの子どもの頃の舞台に根差していることは確かにそうなんですが,その人生のハビットを形作る元(型)が展開すると,繰り返しシャローム英和をより気高く前進させるんですヌミノースの元(型)は,分別の毎日礼拝でも繰り返し現れるますが,それは,全ての「気高い相手」や「正義の女神」の気高さにくっ付いている燃え上がる光みたいです。あるいは,ヌミノースの元(型)は,「正義の女神」のイメージを象徴したりイメージしたりする礼拝を具現する人物に付き物の燃え上がる光のようです。ところが,ヌミノースの元型や分別の元型そのものが,たとえ,特定の人生の舞台や特定の人生のハビットを差配するとしても,毎日礼拝を「作り出す」訳じゃないんです。他の元型も2つの元型と一緒に働かなくちゃならんからです。もちろん,この後で「あの台本通りに努める」元型,「完全にやり遂げる」元型、「理想に賭ける」元型も論じます(p.348の図1参照)。

 まず,「あの台本通りに努める」元型です。この元形は,私は,「陽気で楽しい歓びを歓ぶ力」が完熟する中に根差している,と信じています。「陽気で楽しい歓びを歓ぶ力」さえあれば,子どもは手に入るものを使って,「台本通りに聖書の神様のいのちが一巡する役割を果たして,2人が一心同体に成る物語を創造し,「最高の結末」ができます。

 第2の「分別」の舞台は,親の声が子どもの心に入る所に特色がありますが,他方,この(訳注:第2の)分別の舞台が(訳注:1歳か2歳の)子どもに手渡すのは,1つの小さな実感です。その小さな実感の中で,その小さな子どもは,親がやる毎日礼拝から逃げ出して,過去に体験したことをもう一度生きて,正して,創造し直しますし,未来はこういう役割してこういう出来事があります,ということを,全ての毎日礼拝の特色である,自ら願って諦めずに繰り返し,信頼して待つことになります。しかし,この年頃の子どものテーマは,親の役回りを奪ったり,真似したりする場合がとても多いんです。それで,私はこの原理を,腑に落ちない,と名付けたいんです。腑に落ちない気持ちがありますと,遊びの中では,イライラと頑固になりますが,自分を責める人生のハビットとなってしまいます。この自分を責める人生のハビットは,分別の場には付き物だと思うかもしれませんね。でも,自分を責めることは,自分をみんなで傷つけることになるに決まっていますでしょ。

 

 自分を責めていますと,必ず人を責めることになりますから,またその相手からも責められます

 仲良くしましょうよ,自分と

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