私の好きな聖書の言葉から。13回目ですが,φρονέω フロネオー つながりで。
ジッと見守りながら待って,勇気づけてくださる神様が,キリスト・イエスにピッタリと合わせて,互いに身も心も一心同体にしなさいな。(ローマ 15:5)
パウロさんが同じことを繰り返し伝えていることが分かります。
身も心も,キリストにピッタリと合わせて,一心同体になることを,アイデンティティとエリクソンは呼びました。
私の好きな聖書の言葉から。13回目ですが,φρονέω フロネオー つながりで。
ジッと見守りながら待って,勇気づけてくださる神様が,キリスト・イエスにピッタリと合わせて,互いに身も心も一心同体にしなさいな。(ローマ 15:5)
パウロさんが同じことを繰り返し伝えていることが分かります。
身も心も,キリストにピッタリと合わせて,一心同体になることを,アイデンティティとエリクソンは呼びました。
現世考 : #憲法違反法律違反の毎日 #感覚マヒ #ヘッチャラ #戦争はウソの塊発達トラウマ障害(DTD)という診断基準は、信頼性も検証済み 知恵の子 遊びは芸術品 目の前にいると同時に、心の中にもいる......
「発達トラウマ障害」Enpedia と
発達トラウマ障害を英語で・英訳 ‐ 英和辞典・和英辞典 Weblio辞典
をご参照ください。
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
6章。「身体を失くすと,本当の自分も失くすよ」,p.96,第2パラグラフから。ここ何日かの部分もご一緒に。
ダマジオは,この「目隠し」が,自分自身の様々な問題を,自分に都合良く,外の世界に押し出すように心がけて,働く仕方を説明し続けます。しかし,それは高い代償を支払うことになります。「自分の課題を自分に都合よく人のせいにすることは,私どもが本当の自分と呼ぶものが,可能性に満ちた源であり,そういう可能性に満ちた本質がある事を,感じ取れなくなってしまいます」とダマジオを言います。ウィリアムズ・ジェームズの100年前の著作に基づいて,ダマジオが論じたのは,自意識の核心は,身体の内的な状態を知らせる体感にある,ということです。
始まりにある様々な気持ちのおかげで,私どもは,自分の身体が生きている実感を感じることが出来ます。その身体が生きている実感は、言葉になりませんし,飾り気もなく,只々,生きている,ということ以外の、何者でもありません。この始まりにある様々な気持ちが,様々な次元で沿った身体のいまここの状態を映し出しています。…喜びから痛みまで測る物差しに沿って,大脳皮質よりも(訳注:脳の内奥,原始的な部分で,呼吸その他の生命維持を司る)脳幹のレベルから始まるものです。いろんな気持ちを感じること全てが,初めにある様々な気持ちを土台にするいろんな音色なのです。
私どもの感じる世界が形作られるのは,生まれる前からです。子宮の中で,自分の皮膚を羊水が押すのを感じていますし,流れる血液の音や消火器が動くのが,かすかに聞こえますし,お母さんがいろいろ動くのに合わせて,伸びたり丸まったりしています。生まれた後は,自分との関係と身の回りとの関係を体感が決めます。私ども人間は,オシメを濡らし,おなかペコペコで,アキアキして,眠たいところから始まります。訳の分からないいろんな音,訳の分からないいろんなイメージが,心に響かないこととなって,私どもの末梢神経に押し付けられて,傷を残します。意識と言語を手に入れた後でも,私どもの体感システムは,記憶と記憶を繋ぐ,とても大切なフィードバックをしています。体感が常に人間らしい伝えあいをすることは,お腹の中で,顔や胴体や四肢の筋肉の中で,変化しますから,痛みや心地よさや,空腹と性欲といった刺激がお知らせとなっていきます。私たちの周辺でいま起きていることは,私どもの体感を刺激します。今いると分かっている人を見ること,特定の,例えば,音楽の一部だとか,サイレンを聞くこと,温度が変化したことを感じることは,全て,私どもの意識の焦点を変えますから,そういった体感に気づかなければ,体感の後にくる,様々な大切な考えや行いも,生まれません。
今まで見てきたように,脳の仕事は,私たちの中と周りに起きていることをよく観察して,評価することです。このいろんな評価は,血中の化学的なメッセージや,神経の電気的なメッセージになって,身体と脳を通して,ほのかな,あるいは,劇的な変化をもたらします。こういったいろんな変化は,全く意識なしに,全然気付かぬうちに,起こります。
脳は実にうまくできています。ところが,発達トラウマ障害のこどもは,青年は,大人は,このうまくできなている脳の働きが台無しです。
#治療の根本原理がエリクソンと一緒発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間......
Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』。 P.97,8行目途中から。ここ数日分も,ごいっしょに。
生涯を通して,日常生活は,善と悪,淨と不浄を区別する境界線を不動にします。これらの善悪などの分別の境界線が,大人の世界の中にある善悪などの分別を言葉にする暮らしの中で,あらゆる日々の礼拝に当てはまる善悪などの分別の判断基準を,一番正しいもの(訳注:であるかのように)にします。その日々の礼拝では,人間は,神様の教えに身も心もピッタリと従いますし,礼拝の進め方の細かいところにも全体にも目を配ります。礼拝に参加する人たちの現実をともに乗り越えた,神様を信頼する気配が匂い立って際立ちますし,共に分かち合っているもの全てを,互いに自分から分かち合いますし(願わくば,容疑者が自分の罪を告白する事も含まれてほしいものですが),そして,日々の礼拝こそは,決して手放し得ない1つの心の習慣です。
しかしながら,ルールを言葉にして出来事にすることを,仕事でも,自分の生活でも,実際に見て分かる中に,この日常生活を礼拝にする人生の習慣によって,母子2人がピッタリと一心同体になることがうまくいかない場合もあります。すなわち,赤ちゃんが我慢できて,うまく働く様々な分別の境界線が,世代から世代へと,悪い良心と戦いながら確信をもって伝えられなかった場合です。ルールを言葉にする日常生活を礼拝にする礼拝は,客観的には「ルールで」悪いことは,将来容疑者になるかもしれない者たちへの見せしめになることを確立する課題からも,「仲間内で正しいとされる行い」の点で,当てになる人に自分がなることからも,かけ離れすぎになる場合が多すぎです。司法制度は,正しい行いの点で,当てにならないことを助長しています。というのも,司法制度は,正しいと実感していることに自由に賛成する,というよりも,脅して強制的に同意させる,という方を強調するからです。つまり,司法制度は,確信をもって日々の礼拝を行うことよりも,悪い良心に犯されて,形ばかりのおざなりなお役所仕事を,優先しがちです。裁判所が,ビックリするようなノゾキ趣味を煽る時,被告を裁く中で,厳罰化が行われます。こういった悪い良心の支配された裁判は全て,容疑者を救いのない孤立に追い込み,その回復されぬままの激しい怒りをますます悪化させて,ますます恥知らずな犯罪に仕向けることになります。このように,(訳注:悪い良心が支配する)悪い礼拝の2番目に分厚い下層をなす原理が前面にお出ましになりますから,それを「お役所仕事」と呼べるかもしれません。お役所仕事とは,聖書の神様や法の精神を蔑ろにして,文字が勝っていることです。お役所仕事が現れるのは,本当の正義である心からの優しさを置き去りにして「正しいこと」を押し付けること,口先だけの「ごめんなさい」,容疑者や誰か他の人のためになることとはお構いなしに,容疑者をさらし者にして村八分にする厳罰化になります。
悪い良心が,日々の生活全てを支配して,習慣になっちゃっている事に気付いて,様々な分別の境界線を,鷹揚に,一貫性を持たせて,大人も言行一致を意識しながら,伝えることが大切です。
お役所仕事は,お役所に限りません。悪い良心の餌食になっている人の基本パターンが,お役所仕事です。
エリクソンの叡智: #臨床研究の視点 #誤訳と無理解の山脈改訳本は真理と学問に対する冒涜だ発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方......
発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間70~80ケースの発達トラウマ障害(DTD)セラピーをしてきていかなりのケースが善くなっていますよ。あなたも是非位一度連絡してください。料金は,母子家庭などは,割り引きます。
Identity and the life cycle 『神様と一心同体になること と 神様の命が一巡すること』 p.63の,第3パラグラフ,下から5行目目途中から。 第2パラグラフもご一緒に。
赤ちゃんは,信頼している,とは言えても,赤ちゃんは「自信がある」とまで言ったら,言い過ぎになるでしょうね。信頼が創造する復活とは,さらには,外から赤ちゃんの将来を見越して様々な世話をするお母さんがいつでも共に居て,いつでも対等で,赤ちゃんと一心同体になる人で,しかも,いつでも身も心も赤ちゃんと共に居て,絆がある,というだけではありません。自分自身を信頼し,自分を縛り付ける者(訳注:悪い良心=自我の上に立ち,自我に様々な文句を付けて,縛り付ける悪い良心そのものの超自我と,子どもや人の上に立ち,子どもや人に様々な注文を付けて,縛り上げる悪い良心の持ち主である大人達)と戦う自分の様々な働きの度量も信頼することです。つまり,私どもは,自分自身と十分に当てになる(信頼できる)ことを一体として見る(見なす)ことができるんですよ。ですから,赤ちゃんの将来を見通して世話してくれる人たちに,もう守ってもらう必要はないし,プレゼントを運んでもらう必要もないのです。
精神病理学の論文では,「口が寂しい性格」という場合が多いものですが,これは,この口の舞台の悪い良心との戦いが未解決であるのが原因となって,知らず知らずのうちに自分と何を一体にしたらいいのか分からずに迷子になっていることが骨身に沁みて,自分は信頼できると見なすまともな発達ができずにいる人です。口の舞台の最悪の生き方が,支配者となり,他の生き方の余地がなくなりますと,赤ちゃんの様々な危機は,相手にされずにホッタラカシにされるかもしれないという不安,あるいは,単に,独りぼっちにされるかもしれないという不安,それに,関わってもらうことに飢えている不満ですが,その赤ちゃんの様々な危機が見て取れるのは,落ち込んでいる様子で,相手にされずホッタラカシにされて落ち込み,神様に見捨てられたかと勘違いして,役立たずと感じて落ち込んでいます。このような赤ちゃんの様々な危機がありますと,命が回転して逆向きに,根がケチで欲張りになります。それは,精神分析では,「根っからの無慈悲」と呼ばれ,人様には有害なやり方で,いろんなものを無慈悲にも自分の手に入れようとします。しかし,初め(値っ)から最高の人(訳注:キリスト)も1人いますね。その人は,まず自分が与えてから受け取る関係を自分から作り出して,一番大切なこと(訳注:互いに大切にすること)を命の中に回復することになります。そして,ひとりびとりあらゆる人間の中で,人生の習慣になる心の下層となる「始まり(根っこ)」があります。この始まりに,キリストを豊かに信頼するお母さんから生まれるものは,いつまでも残る(訳注:信頼という名の)宝物です。その心の下層は,心の習慣になって,私どもが信頼していることの中と,失くした1つしかない天国に対する,ほのかではあっても,どなたにでもある,母親との一体感を失った痛みと混ざったいつまでも消えない疼きの中とに,おのずから出ます。最初の舞台と後の舞台すべてをピッタリと一体にして全体像となすと,聖書の神様を信頼する根源的信頼感と現実をリアルに見つめる賢慮を併せ持つ(訳注:本物の)大人になれます。
自分と信頼できることを,=であるかのように見なすことが,最高です。自分と信頼を繋ぐことができるのは,究極的にいえば,キリストしかいませんから,エリクソンも,ここで,そのことを封印して,表現しています。
本物の大人は,聖書の神様を信頼する根源的信頼感が豊かになる方に常に心を回転させて,現実をリアルに見る賢慮を働かせることができる大人です。
私の好きな聖書の言葉から。12回目ですが,φρονέω フロネオー つながりで。
皆さんにも,お勧めしますよ,身も心も,キリストにあって,一心同体にしなさいな。(フィリピ 4:2)
身も心も,キリストにあって,一心同体になることを,アイデンティティとエリクソンは呼びました。