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「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。
としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。
Childhood and Society p.81、下から3行目から。
今朝は、p.84,第3パラグラフ,2行目から。
では、なんで、下の穴の問題は、こんなにも難問なのでしょうか?
下の穴のあたりは,相矛盾する様々な強い思いにこだわる頑固者に人をする最有力です。と申しますのも,1つには、下の穴のあたりは,我慢する生き方・踏みとどまる生き方と、出していく生き方、と言う相矛盾する生き方が同時にあるところだからです。さらには,括約筋は、緊張とリラックス、縮みと伸びの2重性がある筋肉だからです。筋肉が育つと、子どもは一層大きな力を貰って、身の回りの世界をますます思い通りにできるようになります。手を伸ばし掴むこともできますし、投げたり押しのけたりすることもできますし、自分のものにもできますし、ホッタカラシにもできます。この全体像は、ドイツ人は頑固者と呼びますが、自分の実感を生きる自分の法則を全うする戦いです。赤ちゃんは自分の足で独立して立てるようになればなるほど,「私」と「貴方(たち)」という話し言葉が,自分らしさが育つ世界の中で,正確に出ます。また、「私に」や「私の」という話し言葉も,自分らしさが育つ世界の中で正確に出ます。お母さんなら何方でも知っているのは,この時期の赤ちゃんは,なんともしなやか、ということでしょう。それは,出来そうだと思ったことをやりたいなぁと願いを抱いた場合です。ところが、その子どもが思い通りに願いを実現するのは、とっても難しいんです。お母さんなら何方でも知っているのは,この時期の赤ちゃんは,くっ付いている時は可愛いのに,急に大人を払いのけようとするのは情け容赦がない,ということでしょう。この時期の子どもは、やり取りをたくさんしたがると同時に、やり取りをすぐにやめてしまいますし,自分のものにくっ付いたかと思えば、それを窓から捨て去ります。こうした相矛盾するように見える傾向全ては,私ども夫婦は出すか出さないか決める生き方に含めます。
この時期に育つ,人と関わる新しい生き方に関して,強調点は,「手放す」と「掴む」という相矛盾することが一緒だということです。「手放す」と「掴む」との割合と繋がりが中心軸の私が育つにも、仲間内の態度が育つにも、決定的に大事です。
互いに相手を一番大事にするという肝心要が、この時、最大の試練に出会います。外から大人が赤ちゃんをコントロールすることが、厳しすぎたり,早すぎたりして,赤ちゃんが自分の下や他の相矛盾する働きを、自分で選んだり,自分で見通したりして,少しずつコントロールしようとするチャンスを奪うことになれば,その赤ちゃんはその後の人生で,繰り返し、2重の責めと2重の敗北と相対することになります。自分で出来ない身体(この手の人は,自分の下にあるものを,まるで敵対する内なるバケモノみたいに、怖がります)と当てにならない大人たち(訳注:の中で育ちますと),その子どもは、自分だけが満足することと、人を操り人形にすることを繰り返し求めざるを得なくなります。赤ちゃん返りすることで、成長したように見せかけて。別の言葉で言えば,赤ちゃんの真似をするか,すなわち,指しゃぶりをしたり,めそめそしたり,あれこれ欲しがったりしますし,あるいは,相手を目の敵にしたり,見上げる相手に成りすますことになりますから,ウンチを飛び道具にしたり、人に頼らず1人でやっているふりをしたりします。その子は、当てになる人(訳注:見上げる人、でもあります)が本当はいないんです。(2人の「見本になる子どものケース」に,この点で赤ちゃん返りしているのを見てきましたね。)
私どもの人生展望図に,下の筋肉を加えて,図3で示した 決まった形 に辿り着きました。
対角線上にある図は,新しい第3の舞台において,肛門ー尿道の場(一巡する輪の底)にある,我慢する(3)と出す(4)生き方ができた,というところまで展開してきました。一巡する輪の線も,筋肉の仕組みが育つ全体をカバーする,上手に出し上手に我慢する生き方が,繰り返し創造をもたらすことを示しています。下の筋肉の仕組みが育つ全体が、複雑で多様な目的を果たす前に,出すと出さずにおくと言う2重の言い分ができるようになる際に,不動の静かさのある自分が生きているという実感を得ることになっています。ところが,出すと出さずにおくと言う2重の言い分が、肛門と尿道のところで,育ち損ねて歪められますと,出すと出さずにおくが、あるいは、出す か 出さずにおく が,ずっと殊更目立つようになります。出すと出さずにおくが、あるいは、出す か 出さずにおく が,ずっと殊更目立つようになりますと,様々な心身の病になります,下の病気(便秘),筋肉の病気(弛緩しがち、緊張しがち),責められるかもしれないという空想(あいつは敵だと思いがち),仲間がいない(相手が誰でもいつの間にかコントロールしたくなって、相手をコントロールしようとします)ことに陥ります。
この点で,この未完の発達展望図は臨床でお役に立つと思います。私どもがお示しした重たい事実は,私どもの患者の,ウンチを出さない男の子は,赤ちゃんの頃,口の中でオッパイを飲み込まずに、しかも、口をギュッと閉ざすのが当たり前だった、ということです。このように「歪んだ」発達は,このケースでもしばらくの間あった大事ないのちの一巡に気付かずに過ごしてきたから生じたからそうなったんです。「歪んだ」発達は,発達展望図のⅡ3に入ります。当時、この男の子は,お母さんにだっこされようとすることを諦めて(Ⅱ2),ウンチやおしっこを出さない様にして,お母さんと関わる場をコントロールしようとしたんです。すなわち,第2の舞台で停滞する生き方がありますと,第3の舞台でも難しい関わりをせざるを得なくなります。第3の舞台では,その男の子も「自分を思うままに出す」ようになることが予定されていました。しかし,危機だと気付くのは,この第3の舞台を捨てようとする時です。その時,その男の子は,前に戻って,力いっぱいしがみ付いたんです。
子どもが思い通りにやる別のやり方は,発達展望図にあります。生き方Ⅲ2とⅢ1(ウンチとおしっこを出さない生き方)は,下に詰まっているものを子どもが出すのを助ける子どもの手助けをする者らに、アレね、と知られています。
ウンチとおしっこを出さない生き方こそ,本当の自分を出さない生き方の元凶です。