エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#悲観的

2025-02-15 08:48:31 | エリクソンの発達臨床心理

#宗教改革ゴー

 「発達トラウマ障害 Enpedia」は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照くだ......

「発達トラウマ障害 Enpedia」
については、Google検索ではなく、MSN検索やBing検索で情報をご確認ください。とのことでしたが、一日でMSN検索とBing検索にも情報操作が施されたようです。
これは、
「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実
がいかに重要かを物語っています。


Childhood and Society 第3章  p.160 第3パラグラフから。



 マックレガーさんの研究にしたがって,インディアンの子育てで変わらない点を描いてきました。次は,変わった点を記しましょう。ダコタの暮らしで一番変わったのは,全体としての 家族の立ち位置です。ダコタの家族は,自給自足を強めるものではなく,独りぼっちで,不甲斐ない と感じる者たちの避難所になってます。 いまも残る一番強い絆は,兄弟の絆のように思えます。兄弟の絆は,健全な絆で,仲間で何かをする際に簡単に動員できますし活用できる絆です。しかし,一番弱まった関係は,父子関係でしょう。父親は子どもらに何も教えられず,逆に,そうなってはならない反面教師になっています。父親の代わりに,少年たちは同年配の仲間から称賛を得ようとします。少女の中では,昔ながらタブーは捨てられたり弱くなったりして,単に形ばかり従うことになっています。教育を受けること,仕事に就くことが 強い望みになりますが,しばらくするとその望みも絞んでしまうのは,新しい仕事も役割にありつけないからです。ダコタの子どもらも,古老たちが知っていること,すなわち,(私の言葉ですが)「ワシントン」や気候や市場の動向が見通しをめちゃくちゃにしている と感じてんです。
 マックレガーさん等の研究が採用したのは,面接と心理テストを組み合わせた大規模「調査」で,その目的は,ダコタの人格を定式化することです。このダコタの人格」は,1つの合成図で,ダコタの子どものひとりの人格を示したものでもなければ,ダコタの子どもの大多数の人格を示したものでもありません。この1つの合成図は,どの子にもある要素でもありませんし,大多数の中の一人にある要素というわけでもありません。私は,マックレガーさん等の研究の方法論に疑問を持ったり,論争しようというつもりはありません。ただ,ダコタの子ども等の心の生活に光を与えるデータを要約したいだけです。
 多くの読者が訊ねたいと思っていると問いの一つに答えを出しましょう。その問いとは、ダコタの子どもの知性は,白人の子どもの知性より、やや高い。しかし,ダコタの子ども等の健康状態は,農村の白人貧困層の子どもの健康状態と同じです。ダコタの子ども等は,いつもお腹を減らしていたので,感動もなく,動作はのろく野心もありません。インディアン居留地の 身も削るような辛さも,お腹が減っていることに起因していました。徹底的研究の後,マックレガーさんらの研究グループが感じていたのは,無気力は,空腹が原因であると同時に,結果でもある,ということです。お腹が空いていると,上昇ができる状況でも,自分から人に関わることも出ませんし,皆で決めたルールに従うこともできません。
 ダコタの子ども等にあるイメージの主題を検査し,ダコタの子ども等が自ら語るお話葉,子どもらが世の中をどう見ているのかを反映しています。それから,心の留めていただきたいのは,このようなテストは「世の中はどう見えますか」「物事をどうみますか」などとは質問しないことです。なぜならば,「世の中はどう見えますか」「物事をどうみますか」などと問われても,応えられる大人はほとんどいませんし,応えられる子どもは もっといませんし,インディアンの子どもには皆無だからです。ですからね,実験者は,子どもらに、1枚の絵,1つの物語,滲んだインクの絵の本を見せて,この中に何が見えますか? と質問します。このやり方ですと,子どもは現実を忘れて,無意識に,自分がガッカリしていること,自分が願っていること,特に,人間の実存に対する根っこの態度を子どもが示します
 コタの子ども等は,…世の中は危険で敵対的だと描いてします。幼いころの自宅での暮らしの中にあった慈愛に満ちた暮らしは,今は失われた思い出として思い出されます。サモナケレバ、ダコタの子ども等にとって,世の中は予測しがたいもの 生きる目的がないもの と思われている様です。


 ダコタの子ども等は相当悲観的です。
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#悲劇も必要

2025-02-15 08:33:11 | エリクソンの発達臨床心理

#独自の姿

「発達トラウマ障害 Enpedia」は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。......

「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。
としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。 
 
 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 p101の 最初 から。



 子どもの遊びは,自分のイメージと相手のイメージを実験して,心を自由にする人たちが「自分の理想」と呼んだことを,一番見事に表現したものです。自分の理想」とは,私どもが尊敬する人たちであり,少なくとも,理想的な物語の中で理想的な人をイメージしてものであると同時に,眼鏡にかなわなければ,そういう連中には,罰を与え,排除することです。このようにして,見通しを 見通しの中で いろいろ実験して,「最善の役割と悪い役割の不可侵な階層」ができます。最善の役割と悪い役割の不可侵な階層」は,もちろん,日常生活でできることを超えているのです。最善の役割と悪い役割の不可侵な階層」では,いつも,子どもの想像力は,毎日礼拝の中で生み出される空想とやり取するものです。毎日礼拝の中で生み出される空想は,絵本,おとぎ話,神話,たとえ話が与えてくれます。
 しかしながら,発達の中でエピジェネシス,私が創造される に着眼するために,劇的であることは欠かせません,劇的である素は,ヌミノースの基分別の素と一体なのです。劇的である素は,私が創造される未来のいろんな素にも,信頼しているのです。私が創造される未来のいろんな素は,1つのお役目を全うすること お役目に身を入れることです。どんな礼拝でも,儀礼でも,行事でも,劇的である素は,欠くことができません。
 運命を左右する後ろめたさのテーマが,あらゆる礼拝で1つのお役目を全うする中で,もう1つの中心テーマですが,後ろめたさがそのもので大きな悲劇になります。おもちゃの舞台で演じられる遊び と ごっこ遊びや儀式で演じられるお役目 には フロイトさんが遊びの時期に配置される中心的な後ろめたさを名付けて,エディプス という名の普遍的なテーマがあります。遊ぶ時期の空想する暮らしを支配している 自分の実感に基づいて人と関わることの中で,同性の親の真似をするんではなく,同性の親にとって代わろうと思うことは全て,間違いなくタブーだからです。このタブーを犯せば,他のあらゆるお役目が台無しになります。
 遊ぶ時期に心刻まれる心の病と遊ぶ時期から生じる心の特色って,なんでしょうか? 思ってもいけない,自分から関わってもいけない となるのが,過度な後ろめたさの重荷です。この過度な後ろめたさの心の病は,言葉のあらゆる意味で「演じて関わる者」の悲劇,シェークスピアの「ハムレット」で示されていることは,偶然ではありません。自分の父親が殺され,父親の王位と母親を奪われたことに対して復習したい気持ちは抑え込まれて,それは,三つ目のエディプスの舞台の 父親殺しの葛藤が未解決であるために、抑え込まれたわけですが、ハムレットは、劇中で狂人を演じ,演じる中で演じることによって,自滅することを自ら予定します。しかしながら,この自滅することは,もっと悪いことからの救いのように見えます。自滅するより,もっと悪いこととは,「贅沢の限り」「権勢の限り」を尽くしても,退屈なだけですし,「男からも女からも喜びを得る」のが不快だったり できなかったりすることで,これらは,劇的であることを抑え込み,悲劇はないとしたときの特色です。


 悲劇も大事なんですね。
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#信頼が貧しいのはなぜ?

2025-02-14 08:16:31 | エリクソンの発達臨床心理

#勝ち組の人種みたいな顔した輩

 「発達トラウマ障害 Enpedia」は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照くだ......

「発達トラウマ障害 Enpedia」
については、Google検索ではなく、MSN検索やBing検索で情報をご確認ください。とのことでしたが、一日でMSN検索とBing検索にも情報操作が施されたようです。
これは、
「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実
がいかに重要かを物語っています。


Childhood and Society 第3章  p.160 第3パラグラフから。



 マックレガーさんの研究にしたがって,インディアンの子育てで変わらない点を描いてきました。次は,変わった点を記しましょう。ダコタの暮らしで一番変わったのは,全体としての 家族の立ち位置です。ダコタの家族は,自給自足を強めるものではなく,独りぼっちで,不甲斐ない と感じる者たちの避難所になってます。 いまも残る一番強い絆は,兄弟の絆のように思えます。兄弟の絆は,健全な絆で,仲間で何かをする際に簡単に動員できますし活用できる絆です。しかし,一番弱まった関係は,父子関係でしょう。父親は子どもらに何も教えられず,逆に,そうなってはならない反面教師になっています。父親の代わりに,少年たちは同年配の仲間から称賛を得ようとします。少女の中では,昔ながらタブーは捨てられたり弱くなったりして,単に形ばかり従うことになっています。教育を受けること,仕事に就くことが 強い望みになりますが,しばらくするとその望みも絞んでしまうのは,新しい仕事も役割にありつけないからです。ダコタの子どもらも,古老たちが知っていること,すなわち,(私の言葉ですが)「ワシントン」や気候や市場の動向が見通しをめちゃくちゃにしている と感じてんです。
 マックレガーさん等の研究が採用したのは,面接と心理テストを組み合わせた大規模「調査」で,その目的は,ダコタの人格を定式化することです。このダコタの人格」は,1つの合成図で,ダコタの子どものひとりの人格を示したものでもなければ,ダコタの子どもの大多数の人格を示したものでもありません。この1つの合成図は,どの子にもある要素でもありませんし,大多数の中の一人にある要素というわけでもありません。私は,マックレガーさん等の研究の方法論に疑問を持ったり,論争しようというつもりはありません。ただ,ダコタの子ども等の心の生活に光を与えるデータを要約したいだけです。
 多くの読者が訊ねたいと思っていると問いの一つに答えを出しましょう。その問いとは、ダコタの子どもの知性は,白人の子どもの知性より、やや高い。しかし,ダコタの子ども等の健康状態は,農村の白人貧困層の子どもの健康状態と同じです。ダコタの子ども等は,いつもお腹を減らしていたので,感動もなく,動作はのろく野心もありません。インディアン居留地の 身も削るような辛さも,お腹が減っていることに起因していました。徹底的研究の後,マックレガーさんらの研究グループが感じていたのは,無気力は,空腹が原因であると同時に,結果でもある,ということです。お腹が空いていると,上昇ができる状況でも,自分から人に関わることも出ませんし,皆で決めたルールに従うこともできません。
 ダコタの子ども等にあるイメージの主題を検査し,ダコタの子ども等が自ら語るお話葉,子どもらが世の中をどう見ているのかを反映しています。それから,心の留めていただきたいのは,このようなテストは「世の中はどう見えますか」「物事をどうみますか」などとは質問しないことです。なぜならば,「世の中はどう見えますか」「物事をどうみますか」などと問われても,応えられる大人はほとんどいませんし,応えられる子どもは もっといませんし,インディアンの子どもには皆無だからです。ですからね,実験者は,子どもらに、1枚の絵,1つの物語,滲んだインクの絵の本を見せて,この中に何が見えますか? と質問します。このやり方ですと,子どもは現実を忘れて,無意識に,自分がガッカリしていること,自分が願っていること,特に,人間の実存に対する根っこの態度を子どもが示します
 コタの子ども等は,…世の中は危険で敵対的だと描いてします。幼いころの自宅での暮らしの中にあった慈愛に満ちた暮らしは,今は失われた思い出として思い出されます。



 幼いころに慈愛に満ちた暮らしがあったのに,世の中に対する他者信頼が貧しいのはなぜでしょう。
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#自滅より悪い

2025-02-14 07:52:25 | エリクソンの発達臨床心理

#宗教改革スタート

 「発達トラウマ障害 Enpedia」は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照くだ......

「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、
MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。
としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。
それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。 
 
 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 p101の 最初 から。



 子どもの遊びは,自分のイメージと相手のイメージを実験して,心を自由にする人たちが「自分の理想」と呼んだことを,一番見事に表現したものです。自分の理想」とは,私どもが尊敬する人たちであり,少なくとも,理想的な物語の中で理想的な人をイメージしてものであると同時に,眼鏡にかなわなければ,そういう連中には,罰を与え,排除することです。このようにして,見通しを 見通しの中で いろいろ実験して,「最善の役割と悪い役割の不可侵な階層」ができます。最善の役割と悪い役割の不可侵な階層」は,もちろん,日常生活でできることを超えているのです。最善の役割と悪い役割の不可侵な階層」では,いつも,子どもの想像力は,毎日礼拝の中で生み出される空想とやり取するものです。毎日礼拝の中で生み出される空想は,絵本,おとぎ話,神話,たとえ話が与えてくれます。
 しかしながら,発達の中でエピジェネシス,私が創造される に着眼するために,劇的であることは欠かせません,劇的である素は,ヌミノースの基分別の素と一体なのです。劇的である素は,私が創造される未来のいろんな素にも,信頼しているのです。私が創造される未来のいろんな素は,1つのお役目を全うすること お役目に身を入れることです。どんな礼拝でも,儀礼でも,行事でも,劇的である素は,欠くことができません。
 運命を左右する後ろめたさのテーマが,あらゆる礼拝で1つのお役目を全うする中で,もう1つの中心テーマですが,後ろめたさがそのもので大きな悲劇になります。おもちゃの舞台で演じられる遊び と ごっこ遊びや儀式で演じられるお役目 には フロイトさんが遊びの時期に配置される中心的な後ろめたさを名付けて,エディプス という名の普遍的なテーマがあります。遊ぶ時期の空想する暮らしを支配している 自分の実感に基づいて人と関わることの中で,同性の親の真似をするんではなく,同性の親にとって代わろうと思うことは全て,間違いなくタブーだからです。このタブーを犯せば,他のあらゆるお役目が台無しになります。
 遊ぶ時期に心刻まれる心の病と遊ぶ時期から生じる心の特色って,なんでしょうか? 思ってもいけない,自分から関わってもいけない となるのが,過度な後ろめたさの重荷です。この過度な後ろめたさの心の病は,言葉のあらゆる意味で「演じて関わる者」の悲劇,シェークスピアの「ハムレット」で示されていることは,偶然ではありません。自分の父親が殺され,父親の王位と母親を奪われたことに対して復習したい気持ちは抑え込まれて,それは,三つ目のエディプスの舞台の 父親殺しの葛藤が未解決であるために、抑え込まれたわけですが、ハムレットは、劇中で狂人を演じ,演じる中で演じることによって,自滅することを自ら予定します。しかしながら,この自滅することは,もっと悪いことからの救いのように見えます。

 
 自滅することより悪いことって、あるんですね。
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#危険で敵対的

2025-02-13 08:08:50 | エリクソンの発達臨床心理

#恐れている私

 「発達トラウマ障害 Enpedia」は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照くだ......

「発達トラウマ障害 Enpedia」
については、Google検索ではなく、MSN検索やBing検索で情報をご確認ください。とのことでしたが、一日でMSN検索とBing検索にも情報操作が施されたようです。
これは、
「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実
がいかに重要かを物語っています。


Childhood and Society 第3章  p.160 第3パラグラフから。



 マックレガーさんの研究にしたがって,インディアンの子育てで変わらない点を描いてきました。次は,変わった点を記しましょう。ダコタの暮らしで一番変わったのは,全体としての 家族の立ち位置です。ダコタの家族は,自給自足を強めるものではなく,独りぼっちで,不甲斐ない と感じる者たちの避難所になってます。 いまも残る一番強い絆は,兄弟の絆のように思えます。兄弟の絆は,健全な絆で,仲間で何かをする際に簡単に動員できますし活用できる絆です。しかし,一番弱まった関係は,父子関係でしょう。父親は子どもらに何も教えられず,逆に,そうなってはならない反面教師になっています。父親の代わりに,少年たちは同年配の仲間から称賛を得ようとします。少女の中では,昔ながらタブーは捨てられたり弱くなったりして,単に形ばかり従うことになっています。教育を受けること,仕事に就くことが 強い望みになりますが,しばらくするとその望みも絞んでしまうのは,新しい仕事も役割にありつけないからです。ダコタの子どもらも,古老たちが知っていること,すなわち,(私の言葉ですが)「ワシントン」や気候や市場の動向が見通しをめちゃくちゃにしている と感じてんです。
 マックレガーさん等の研究が採用したのは,面接と心理テストを組み合わせた大規模「調査」で,その目的は,ダコタの人格を定式化することです。このダコタの人格」は,1つの合成図で,ダコタの子どものひとりの人格を示したものでもなければ,ダコタの子どもの大多数の人格を示したものでもありません。この1つの合成図は,どの子にもある要素でもありませんし,大多数の中の一人にある要素というわけでもありません。私は,マックレガーさん等の研究の方法論に疑問を持ったり,論争しようというつもりはありません。ただ,ダコタの子ども等の心の生活に光を与えるデータを要約したいだけです。
 多くの読者が訊ねたいと思っていると問いの一つに答えを出しましょう。その問いとは、ダコタの子どもの知性は,白人の子どもの知性より、やや高い。しかし,ダコタの子ども等の健康状態は,農村の白人貧困層の子どもの健康状態と同じです。ダコタの子ども等は,いつもお腹を減らしていたので,感動もなく,動作はのろく野心もありません。インディアン居留地の 身も削るような辛さも,お腹が減っていることに起因していました。徹底的研究の後,マックレガーさんらの研究グループが感じていたのは,無気力は,空腹が原因であると同時に,結果でもある,ということです。お腹が空いていると,上昇ができる状況でも,自分から人に関わることも出ませんし,皆で決めたルールに従うこともできません。
 ダコタの子ども等にあるイメージの主題を検査し,ダコタの子ども等が自ら語るお話葉,子どもらが世の中をどう見ているのかを反映しています。それから,心の留めていただきたいのは,このようなテストは「世の中はどう見えますか」「物事をどうみますか」などとは質問しないことです。なぜならば,「世の中はどう見えますか」「物事をどうみますか」などと問われても,応えられる大人はほとんどいませんし,応えられる子どもは もっといませんし,インディアンの子どもには皆無だからです。ですからね,実験者は,子どもらに、1枚の絵,1つの物語,滲んだインクの絵の本を見せて,この中に何が見えますか? と質問します。このやり方ですと,子どもは現実を忘れて,無意識に,自分がガッカリしていること,自分が願っていること,特に,人間の実存に対する根っこの態度を子どもが示します
 ダコタの子ども等は,…世の中は危険で敵対的だと描いてします。



 ダコタの子ども等は,母親から可愛がられていたのに,何ゆえに,世の中は危険で敵対的だと感じたんでしょうか?
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