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インターメッツォ : 感じ方 > 考え方 それと次の段階
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愛着障害と≪陽気で楽しい≫プレイフル ≪陽気で楽しい≫。それは子どもが愉しそうに遊んでいる時の気持ちです。しかも、これはエリクソンが、臨床......
今宵のエリクソンも、Insight and Responsibility 『自分を内省していたら、相手の気持ちがまるで手に取るように、スゥーッと理解来ますから、相手の気持ちに応答できますから』の、p.233 第2パラグラフ。おそらく,この本の中で一番大事な論文,と思われる「ゴールデンルール(黄金律)」に関する論文から。ここも,エリクソンの真髄をまさに示すところなのに,だからこそ,改訳版の翻訳者が,決定的に大きな無理解を示し,その無理解に基づく誤訳をしていることを,今宵も,ここに示しておきます。
いかに,無責任で間違った翻訳かが,改めてわかると思います。ドナ・ウィリアムズさんの翻訳をした女性の翻訳と同じくらいに,最高級に無理解な翻訳だといえると考えます。
まずは,私の翻訳です。
私は,普遍的な(光に向かう)向きが一つ心の中にある,ということを提唱したいんですね。それは,一つのことをしているの場合でも,いろんなことをしている場合でも,「最深欲求に応えて,最も強く,自分から人に働きかけ,生き生きする」気持ち,と,ウィリアム・ジェームズが言った,あの気持ちに人がなる普遍的な向きが心の中にあるんですね。「そのとき,ひとりびとりは,その人ならではの≪本当の自分≫が見つかりますよ」と,ジェームズは約束してくれています。しかし,私は,もう一つ,付け足したいと思います。≪本当の自分≫を見つけた人は,あの経験も身に着けることができる,ということです。その経験とはね,「真実に尊い働きかけ(祈り)が,≪そのやり取りを始める働きかけをする人≫と≪その働きかけに応じてやり取りするもう一人の人≫との間に,≪互恵的なやり取り(お互いさまの関係)≫」が豊かになる」経験も,≪本当の自分≫を見つけた人は,身に着けることにもなるだろう,ということなんですよ。それは,真実に尊い働きかけ(祈り)が,≪その働きかけに応じてやり取りするもう一人の人≫を豊かにするのと≪お互いさまに≫,≪そのやり取りを始める働きかけをする人≫も豊かになるという,一つの≪互恵的なやり取り(お互いさまの関係)≫です。
となります。私が,「普遍的な(光に向かう)向き」と訳したのは,a general orientation,「真実に尊い働きかけ(祈り)」と訳した原文は,truly worthwhile actsです。≪互恵的なやり取り(お互いさまの関係)≫は,mutualityです。actsには,「働きかけ」とか「行為」とか以外に,「祈り」,あるいは,大文字になれば,新約聖書の「使徒言行録」になります。
これが,改訳になると次のようになります。actualityとact,それから,mutualityの意味が分かりませんから,かなりボカシタ翻訳になっています。改訳者の理解がボヤッとしているからです。
「私の主張は全体的な方向性といったものがあるということである。全体的な方向性というのは,中心があって,私たちが何をしようと,ウィリアム・ジェームスが言うように「もっとも深く,活動的であり,はつらつとしている」という実感を与えるもののことである。このような中で,私たちは「本物の自分」を発見するとジェームスは言っている。これに加えて私は,次のように言いたい。人はまた同時に,本当に価値のあるものは,行為する当事者と他者との間の相互性(ミューチャリティ)―つまり,他人を強くしているのもかかわらず,自分をも強くする相互性(ミューチャリティ)―を一層拡大していく経験を得るだろう。」
ただし,改訳でルビになっているところは,()に入れています。下線は,先ほど原文を示した英語の私の訳と,改訳を比較するために,私が付けました。
改訳では,in whatever activity or activities と,most deeply and intensely active and aliveで,訳しモレがあります。それは斜字+下線で示しました。
でも,これは小さい間違いにすぎません。
ここは,ゴールデンルール(黄金律)のことを言っているのに,ゴールデンルールの一般定式が,ゴールデンルールになってない,ということです。それが大間違いですね。エリクソンは,この直前に取り上げていますが,キリスト教の代表的なゴールデンルールは,
「自分を大切にするのと同じように,弱くされた(隣)人を大切にしなさい」
という言葉があります。比例関係を示すのがゴールデンルールです。ところが,ほかのところは,比例関係を示す形で翻訳ができているところもあるのに,肝心要のゴールデンルールの一般定式を示すここで,asが,「…かかわらず,…」となってしまっているんです。改訳者のゴールデンルールに対する無理解,ボヤッとした理解の程度がわかるところです。
また、改訳では、普遍的な(光に向かう)向きが、何の向きなのか、ボヤけてますでしょ。改訳者は、これが心の中にあるオリエンテーションだとは、分かっていないんです!
後は、推して知るべし、ということでしょう。