エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

世代間伝達される激しい怒りと反面教師 

2014-02-28 04:30:04 | エリクソンの発達臨床心理

 

 マルティンの父親もおじさんも、激しい怒りの持ち主でした。

 

 

 

 

 

 マルティンは、晩年に激しい怒りをぶちまけていたことから分かるように、父親と同じ癇癪を、利息付きで(利息に複利までつけて)受け継いでいました。ところが、子供のころや青年期においては、この癇癪は不思議なことに休眠状態でした。父親が打ったり怯えさせたりして、マルティンが癇癪を起させなくさせたのでしょうか? 多くの人がその可能性について述べています。とにもかくにも、私どもは、小ハンスを、自分を確かにできないいくつかの道(消極的ないつくかのアイデンティティ)のリストの中の「薄汚れた百姓」という概念に付け加えなくてはなりません。悪いおじさんとして(名前通り、正しい父親の消極版です)、小ハンスは、注意を怠ったり、わがままな気持ちが高まったりした場合には、無一文に陥ってしまうかもしれない呪いを自分も受け継ぐかもしれないことを、いつでも思い出させる反面教師でした。

 

 

 

 

 

 マルティンも、父親やオジキ同様の癇癪持ちだったことは晩年の資料から明らかなのに、子どものころや青年期には癇癪が表立って現れなかったといいます。エリクソンはその原因を、オジキが反面教師としてマルティンに働いていたからだ、と見ます。

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激しい怒りの行方

2014-02-27 06:13:47 | エリクソンの発達臨床心理

 

 親ばかが願うことは洋の東西を問わず、「子どもには、お金の苦労はさせたくはない」、ということがよくあることなのですね。しかし、真実は「可愛い子には旅をさせよ」の方でした。そこで学びたいのは、「本当に大切なものは、眼には見えない」ということでしょうか?

 

 

 

 

 

 臨床家(臨床医、臨床心理士)なら、地球規模でおこる様々な出来事と、マンスフィールドの公文書に記録されている小さな町のもろもろの些事とを、関係付けることができますし、また、そうするべきです。ハンス・リューダーには、マンスフィールドに一人の弟がいて、小ハンス(リトル・ハンス)と呼ばれていました。この兄弟は受洗して、大ハンスと小ハンス(クライン・ハンス)となりましたが、この2人は対になって、マルティンにとって大事な生き方をすることになります。とにかく、小ハンスは大ハンスを追って、マンスフィールドにやってきます。他の兄弟2人は、チューリンゲン州に留まっていました。1人は地主の妻をめとり、もう1人は父親の農場で働きました。小ハンスは大酒呑みで、酔えば乱暴を働き、すぐにナイフを手にするのでした。いくつかの資料によれば、マルティンが5才から10才までの間、通常は、良心が敏感な時期の少年にはとても大事な時期に、小ハンスの裁判記録は、真っ黒だった、とのことです。また別の資料によれば、このおじさんが街にやってきたのは、マルティンが寄宿舎学校に入るころだった、とのことです。とにかく、このオジキの汚名は、マルティンに先んじてあったということです。スキャンダル(ことによると、殺しまであったかもしれません)が町まで聞こえてくるこのオジキが存在したまさにその故に、大ハンスは、苦労して手に入れた地位を失いかねない危機が大きくなりました。また、これは、特に大ハンス自身が激しい癇癪持ちで、実際マンスフィールドに来る前に、羊飼いを殺そうと思ったことがあったからなのでした。このような殺しは、市民が自分の手で法を手に入れてきたという広い目で見なくてはなりません。しかし、それは、リューダーが家持ならば辛抱しなくてはならなない気持であると同時に、その素朴な激しい怒りを、敵になりそうな者に直接ぶつけるのではなく、自宅で爆発せずにはおれない気持ちを反映したはずです。

 

 

 

 

 

 マルティンの父親もおじさんも、人を殺めかねないほど、激しい怒りの持ち主でした。父親の大ハンスも、マンスフィールドに来る前に羊飼いを殺したいほど怒りをたぎらせていたそうですし、おじさんの小ハンスも、マンスフィールドでは、酒を飲んでは暴れる悪名高い人だったのでした。そんな激しい怒りを、家の中でぶつけられながら育ったマルティンは、どのような育ちをしたのか、想像できますね。

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自分との対話からおのずから生まれる徳

2014-02-26 05:05:34 | フーコーのパレーシア

 

 本物の幸せはお金では買えないことがわかります。青年ルターの方も同じような話題でシンクロナイズドする不思議。

 

 

 

 

 

 こういった アテネの民主的暮らしと権力者の暮らしに関する2つの記述は、この場面では場違いのように思われます。なぜならば、イオンの課題は、恥をかかず、恐れも抱かずにアテネに行くために、自分の母親は誰なのか、ということをハッキリさせることですから。私どもは、この2つの記述が混ざっているのはなぜなのか、その理由を見出さなければなりません。

 

 

 

 

 

 短いですが、間奏曲のように一段落ですね。贅を尽くした暮らしにあこがれを持ちやすい若者のイオンが、普通の暮らしを求めることに、徳を感じますね。やはり、自分の両親を知らないという、アイデンティティの大きな危機を抱えながら、神に仕えてきたからでしょうか? つまり、危機の意味を自分に問いかけて生きてきたので、自分と対話をすることが、心の習慣になっているから、そこから徳がおのずからあまれたのかな。

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親バカの愚かな願い

2014-02-25 06:27:49 | エリクソンの発達臨床心理

 

 新しいエネルギーを組織するためには、新しい、澄み切った道が必要です。

 

 

 

 ハンス・リューダーがこういったことのすべてを理解していたかどうかは、分かりません。しかし、世界情勢によって育まれた圧倒的な不安と希望のおかげで、ハンスは自分の特色を生かすことを当然とみなしてもしかたがありません。ハンスは自分の息子には弁護士にでもなってもらいたいと願っていました。つまり、新しい世俗法によって理解も得るし、利益も得られる人になってほしいのです。ハンスは息子には、諸侯たちと都市国家、商人とギルドの役に立ってもらいたいのであって、聖職者や司祭やローマ法王の財政の役になってほしいのではないのです。当時、経済的態度を取っても、それが敬虔なキリスト教の心情を台無しにするわけではありませんでした。ハンスが望んでいたほとんど全ては、他のうん百万の百姓出や鉱山主が望んでいたのと同様、自分の息子には、鉱山にまつわるいろんな迷信に心奪われるのではなく、学を身につけてほしいということでしたし、また、地べたに杭を打ち込むのに手を汚すのではなくて、人が掘り出した富を享受して貰いたい、ということでした。これこそ、歴史家が「親バカ」と呼ぶものなのです。

 

 

 

洋の東西を問わず、「親バカ」の願うことと言えば、子どもにはお金の苦労はさせたくない、ということなのですね。しかし、「可愛い子には旅をさせよ」の方が真実のようです。

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本物の幸せは、お金では買えません

2014-02-24 05:15:33 | フーコーのパレーシア

 

 イオンがアテネに来るのは、あまり気乗りしないものだったようです。

 

 

 

 

 

 民主的な暮らしを素描してから、イオンは、継母のいる家族の暮らしの消極面について話します。その継母には、子どもがなく、息子がアテネの王位を継承することに、我慢しがたい思いを持っています。しかし、イオンは政治素描に戻って、権力者の生活を素描します。

     イオン : …王であることに関して言えば、それは過大評価されます。王位は、愉快そうな仮面の裏に苦しみのある生活を隠しています。一時間でも恐れの中で暮らすことは、暗殺者がいるかどうか振り返りながらの暮らしで、それが天国なのでしょうか? そんな生活が幸福なのでしょうか? 普通の暮らしの幸せを私は望みます。ほしいのは王様の暮らしではありません。王様なら、自分の法廷を容疑者でいっぱいにしたいのでしょうし、死を恐れる正直者がお嫌いでしょう。お金持ちである喜びが、どんなものにも勝るのか教えてください。しかし、スキャンダルにまみれて暮らすことは、お金に諸手でしがみつき、心配に付きまとわれるのですから、私には何の魅力もございません。

 

 

 

 

 

 「本物の幸せは、お金では買えない」ということですね。

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