マルティンの父親もおじさんも、激しい怒りの持ち主でした。
マルティンは、晩年に激しい怒りをぶちまけていたことから分かるように、父親と同じ癇癪を、利息付きで(利息に複利までつけて)受け継いでいました。ところが、子供のころや青年期においては、この癇癪は不思議なことに休眠状態でした。父親が打ったり怯えさせたりして、マルティンが癇癪を起させなくさせたのでしょうか? 多くの人がその可能性について述べています。とにもかくにも、私どもは、小ハンスを、自分を確かにできないいくつかの道(消極的ないつくかのアイデンティティ)のリストの中の「薄汚れた百姓」という概念に付け加えなくてはなりません。悪いおじさんとして(名前通り、正しい父親の消極版です)、小ハンスは、注意を怠ったり、わがままな気持ちが高まったりした場合には、無一文に陥ってしまうかもしれない呪いを自分も受け継ぐかもしれないことを、いつでも思い出させる反面教師でした。
マルティンも、父親やオジキ同様の癇癪持ちだったことは晩年の資料から明らかなのに、子どものころや青年期には癇癪が表立って現れなかったといいます。エリクソンはその原因を、オジキが反面教師としてマルティンに働いていたからだ、と見ます。