エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

ジェームズ・ヒルマンにとって、聴くことと祈り 改訂版

2015-11-30 07:59:08 | 日記

 

 

 
ポスト3.11の視点で見た、蘇える内村鑑三
  内村鑑三といえば、堅いキリスト教の中でも、ことさらお堅い「無教会」(無教会キリスト者)の元祖。お堅い、偉い、近寄りがたいイメージが従来ありましたね。しかし、今...
 

 先日、ナウエン H.J.NouwenのThe Wounded Healer 『傷を背負った(霊的)治療者』を読んでましたら、ジェームズ・ヒルマン James Hillmanの、Tsimtsum ツィムツーム 「空」についての記述が引用されていて、とても大事なクリスチャンの態度であり、セラピストの態度だと強烈に感じました。その理想形だと感じたからです。

 それで、先日、ジェームズ・ヒルマンのInsearch : Psycholgy & Religion 『内観 心理学と宗教』を購入し、読み始めました。そこでもまた、大事なメッセージに満ち溢れていることに出合いましたので、皆さんで、その一つをシェアしたいと考えました。樋口和彦先生らの翻訳もあります(『内的世界への探求』創元社)。

 それは、「聴く」ことです。原文ではp.21 の第2パラグラフからになります。

 

 

 

 

 「聴く」ことは、神学者らや牧師らには、大した問題にならないでしょう。と言うのも、「聴く」ことは、瞑想や祈りに似ているからです。祈りは、意識的に沈黙することですし、あの、心の底から聞こえてくる静かな囁きに、全身全霊で、耳を傾けることです。それは、まるで、祈るものは神様に何かをお願いしたり、神様から何か頂き物をしよう、ってんではなくて、神様が私のところに来ていただけるくらいに、立ち帰って心静かになることみたいなもの、ってことなんですよね。

 

 

 

 

 

 ユングはその昔、「神を信じるか?」と問われたときに、「神様だったら、良く承知しています」と答えたとか。ジェームズ・ヒルマンは、ユングの正統的な弟子ですから、似たような境地なのかもしれません。

 私は、ここを読んだら、「ヘボなクリスチャン」等とは比べ物にならないくらいの、本物のクリスチャンだと感じます。「ヘボなクリスチャン」とは、祈りの何たるかも知らずに、「祈り」「プレアウォーク」などと称して、ゴチャゴチャと動き回っている人で、痛々しくて見ていられない感じの人のことです。多分、全く「祈り」をしたことがないのでしょうね。

 「祈り」は、いつでもイエスキリストが私の≪いまここ≫に来てくださること、再臨です。それと同時に、そうしていただけるだけ、私どもが心の静かさ、謙虚さ、真実さに立ち帰ろうとする、心のベクトルの中にこそあるんです。

 そんな「祈り」を今日も祈りながら、生きたいものですよね。

 

 

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「善い人生だったなぁ」と言って死んでいきたいあなたに

2015-11-30 07:13:24 | アイデンティティの根源

 

 

 
技術 << 目的
  「人を大事にする=上手にセックスする」という短絡は、どこから生まれたのでしょうかね? p82の15行目途中から。  &nb...
 

 本当の人生は、「もうダメだ」と思ってから始まるもの。

 Young Man Luther 『青年ルター』p.243の、第3パラグラフから。

 

 

 

 

 

 「次の世代を産み育てる」ことが出来るかどうかの危機は、自分が生みだした相手や、生みだすのを手助けした相手を見る時に、人は直面することになります。それは同時に、その人自身の人生の役目が、時代が生み出す者の端くれとしての役割によって、自分は天使の味方になっていると感じるのか? それとも、ドヨンと沈んだ気持ちになるのか? の危機場面でもあります。同様に、こういったことすべてによって、年を取った時に、「いろいろあったけど、善い人生だったなぁ」、「できたらまた、同じ人生を生きたいなぁ」という感じになれるのか? それとも、「良いこともあったけれども、結局無駄だったなぁ」「ダメだったなぁ」と絶望するのか? いずれかを味わうことになりますよ。

 

 

 

 

 私どもは、死ぬときに「いろいろあったけど、善い人生だったなぁ」と感じて、死んで生きたいものですね。

 そのためには、私どもはどうすりゃいいのでしょうね。

 

 

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自覚的な生き方が出来て初めて、「人類皆兄弟」を生きられる

2015-11-30 06:26:12 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
言葉のイメージ
  「言葉のイメージ」という言葉を知っていますでしょうか?  この「言葉のイメージ」と対になるものが「眼に見えるイメージ」、人形、フィギアのよう...
 

 ひとりびとりとの個人的関係を大事にできない人ほど、「会社のため」、「組織のため」とか、「国家のため」と口にするものです。「会社のため」…などと言った言葉を聞いたら、その人は、私利私欲の人だなぁ、と見なして、そんなには間違いないですね。アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちが、そのニッポン代表選手です。

 The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の第4章、「自我と人品 : 結びの覚書」p95の、14行目途中から。

 

 

 

 

 

 

このような未来には、あらゆる人に大人らしい責任のある態度が必要だという意味は、赤ちゃんの頃の気持ちやイメージに戻ったり、元型的な太古からある気持ちやイメージに戻ったりする運命に、人はあるんだということに、フロイトが一心不乱に研究した点に漲っていますでしょ。すなわち、未来の人間、「歴史以前」の元型的な気持ちとイメージに人がこだわってしまうことを、ハッキリと自覚した人は、大人として振る舞うことが、それだけできるだけではなくて、「人類皆兄弟」ということを地で生きることが、それだけ出来るようにもなれますもんね。

 

 

 

 

 人は、いつの間にか、赤ちゃんの頃から、無意識に沈んでいる、激しい感情や猛烈に否定的なイメージに囚われて、≪いまここ≫を歪めて生きていることに気付けると、こんなに自由で、ハレバレシタ気持ちはない、と感じることが出来ます。ですから、赤ちゃんの頃から、ずっとこの方、無意識に沈み込んでいる激怒やマイナスイメージに気付いて、自覚的な生きることが、「人を上下2つに分けるウソ」から解放されて、「人類皆兄弟」を生きる上で、なくてはならないものなんですね。

 

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発達トラウマ障害(DTD)のカウンセリングはこれだぁ! その10 「≪約束≫に基づく遊び」セラピーもPCITです

2015-11-30 05:21:45 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの

 

 

 
言葉のイメージ
  「言葉のイメージ」という言葉を知っていますでしょうか?  この「言葉のイメージ」と対になるものが「眼に見えるイメージ」、人形、フィギアのよう...
 

 メーちゃんのおかげで、感覚運動セラピーは、発達トラウマを抱えた愛着障害の子どものセラピー、発達トラウマ障害(DTD)のカウンセリングの標準形の一つになりました。

 ヴァン・デ・コーク教授のThe body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『虐待されたら、意識できなくても、身体は覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』の第13章 Healing from trauma : Owing your self 「トラウマから癒されること :本当の自分を生きること」p.217の、最初から。

 

 

 

 

 

 心と心が響き合うようになると、両親は(子どもらも)対等なやり取りが出来るようになります。親子関係をやり取りのあるものにするセラピー(parnet-child interaction theraphy : PCIT)は、やり取りのある関係を育てる関係セラピーです。それは、感覚運動を刺激してコントロール治療(sensary motor arousal regulation treatment)が、やり取りのある関係を育てるセラピーであるのと同じです。この治療法は、トラウマ・センターの私の同僚が開発した治療法です。

 

 

 

 

 

 親子関係をやり取りのある関係を育てるセラピーは、標準的なセラピーになります。発達トラウマを抱えた愛着障害の子どものカウンセリングの基本が、心と心が響き合う関係をプレゼントすることです。

 私が日ごろから、親子の宿題としてやってもらっている「≪約束≫に基づく遊び」セラピーも、ヴァン・デ・コーク教授がここで紹介していPCITの一つになります。

 

 

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反社会的組織が、身勝手な内部ルール優先する生き方

2015-11-30 05:12:02 | エリクソンの発達臨床心理

 

 

 
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  「人を大事にする=上手にセックスする」という短絡は、どこから生まれたのでしょうかね? p82の15行目途中から。  &nb...
 

 「反社会的組織」。聞いたことがあるようで、聞いたことがない言葉かもしれません。でも、「反社会的勢力」anti-social forcesなら、聞いたことがある、と言う方がおられることでしょう。ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E5%8B%A2%E5%8A%9B)によれば、「反社会的勢力」とは、「暴力、威力と詐欺的方法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人」である、と言います。「反社会的組織」とは、この「反社会的勢力」である集団・組織のことだ、と考えていただいて結構です。

 この「反社会的勢力」の定義そのものは、「犯罪対策閣僚会議幹事会申合せ(6.19, 2007)」での、「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針」における定義です。つまり、企業が暴力団や右翼や総会屋から、「みかじめ料」や総会屋に払う金を支払わなくて済むためのルール作りから出来た定義ですね。ですから、暴力団や右翼や総会屋などのヤクザが「反社会的勢力」だということになります。すくなくとも、定義した人たちは、そう想定したと考えて間違いないだろうと思います。

 しかし、もう一度、定義に戻って、反社会的組織を考えたらどうでしょうか?つまり、「詐欺的方法を駆使して経済的利益を追求する集団」です。これって、なにも、ヤクザに限りませんでしょ?

 すると、どうでしょう? 今どきのニッポン、東電はどうですか? 三井不動産レジデンシャルはどうですか? 東芝はどうですか?…?(キリがないほど) みんな、ウソとゴマカシをやって、自分の組織の利益、私利私欲を上げている組織でしょ。つまりは、東電も三井不動産レジデンシャルも東芝も…も(キリがないほど)「反社会的組織」になっちゃってますよね。また、忘れちゃならないのは、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちですね。自分たちの利益のために、やれ「アベノミクス」(ほんとうは、「アホノミクス」)だの、「一億総活躍社会」(ほんとうは、「ほとんどの人が貧困か、人間らしい暮らしが出来ないか、あるいはそう両方である社会」)とウソとゴマカシを言って、税金と労働力と時間と、「人間として正しいこと(人権)」を日本市民から巻き上げてるのですからね。

 「反社会的組織」の特色は、「自分達に都合のいい、組織内ルール」を、憲法や、お客さんや、日本市民よりも優先することです。「市民やお客を騙しても、得すりゃぁ、それでいい、それが良い」と言う目的しかない組織です。しかも、悪質なのは、堂々と「我々は、自分等の利益を、市民やお客よりも優先します」とハッキリ言ってやってるのではなくて、「私どもは、日本市民のため、お客様のためにやってます」と装っていること、偽装していること、ウソとゴマカシを言って、その実、市民とお客を騙している点ですね。

 私どもは、ヤクザなどの「反社会的勢力追放」のキャンペーンに、騙されることなく、アベ・詐欺師ちゃんと悪魔の仲間たちや東電や三井不動産レジデンシャル…〈キリがありません〉などの「反社会的組織」を監視して、市民とお客のための仕事をさせなくてはなりませんよね。

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