2年半ぶりに,改訳します。 よりクリアーに理解できると思います。
Insight and Responsibility 『自分の中に≪恵みの分ちあい≫があると内省していたら、相手の気持ちがまるで手に取るように、スゥーッと理解来ますし、相手との≪恵みの分ちあい≫に応答できますから』のp231冒頭から。
人間の,心に秘めたいろんな大事な力の一つを理解するためには、私どもは、道徳がどうのこうのと言う前の日々、すなわち、自分の赤ちゃんの頃に自分の発達を,お一人お一人が,遡らなくちゃなりませんね。赤ちゃんのころに経験したお母さんとのやり取りによって、根源的信頼感と根源的不信感の割合が決まっちゃうからなんですね。その割合が、好ましければ、人間の根源的な強さ、すなわち、希望を確かにされることもできます。希望と言う全人格に漲る態度が生まれるのは、新しく生まれたばかりの赤ちゃんがそのお母さんに手を伸ばすと同時に,そのお母さんがこの赤ちゃんに、後で議論することになる≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫をもたらすときなんですね。この根源的信頼感と≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫がうまくいかないことは、心の病の中で、一番広範囲に渉る失敗として、見受けられますし、あらゆる発達の邪魔をします。根源的信頼感と≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫がないことが、いかに悲劇的で、いかに深刻な心の病なのかと分かるのは、子どもの場合でも、親の場合でもそうですけれども、子どもも、親も、≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫を呼び覚ますことも、≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫に応答することもできません。そこで、さらにひとつ提案ですが、あらゆる道徳的、価値的、倫理的な行動へと傾くいろんな人格的な性質は、赤ちゃんの頃に経験する,この≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫次第だ,ということなんです。
ですから,倫理は母親がを≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫通して,赤ちゃんにプレゼントするものでしょ。
≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫が母親が多忙のために欠けてしまっているのが,日本の≪発達トラウマ障害DTD≫です。あらゆる発達が疎外されていしまいます。
いかに,≪恵みの分ちあい(互恵的なやり取り,お互い様の関係)≫が大切かが,お分かりいただけたと思います。