儀式化の要素の一覧表 一つのヴィジョン
前回は儀式の果たす役割について、エリクソンは少なくとも2つを挙げていました。それによって、死をも意義深く位置づけるので、もう怖がらなくてもいいものになります。 さて、今回はTo...
東日本大震災以降「絆」が叫ばれています。あれだけの地震と津波による被害にあい、さらに、福島原発が崩壊して、今なお放射能による人災が続いているので、それだけ人が不安に感じているからでしょう。震災が来る前も「失われた20年」などと言われ、もともと、長い不況と社会的な生活基盤の破壊が進んでいて、人々が閉塞感にさいなまれていた時に、この震災にあったのですから、その不安と言ったら、底なしのレベルだったはずです。人と人の結びつき「絆」を求めて、少しでもその不安を和らげたいと願うのが人情というものかもしれませんね。
かたや、「消費税は社会福祉に回します」と、我が安倍晋三首相は繰り返しますが、それでも、保育所に入りたいのに入れない人や高齢者施設に入りたいのには入れない人は、なかなかゼロにはなりません。小学校に入りたいのに入れない人はいないのに(最近の不登校の多さや6人に一人の子どもが貧困であることを考えると、そろそろ学校も怪しくなっているのかもしれませんが)、なぜなんでしょう?
これは、「消費税は社会福祉に回します」という言葉がウソだからでしょう。難しい議論は不要だと思います。教育にできることがなぜ社会福祉にできないのか?それは、初めからそうするつもりがないから、社会福祉を徹底して進めるつもりがないからです。それは一部の人だけが得するシステムを維持したい、維持しようという本音が、安倍晋三首相などの≪排他的集団≫にあるからです。
今日のエリクソンは、儀式化の一覧表のところです。この表をご覧になって何か気づくことはありませんでしょうか? 私が最も注目する点は「乳児期」、だいたいおしゃべりをして、歩けるようになる一才半までくらいのことですが、その時期の儀式化が≪お互いに価値を認め合うこと≫であるだけでなく、大人になってからの儀式化の要素の要がまた、「世代間で価値を認め合うこと」である点です。儀式化では、お互いに肯定しあうことが徹底しています。最初は主に母子間で認め合い、大人の要素としても親の世代と子どもの世代で価値を認め合うことが繰り返されるのです。一覧には出てきませんが、老人と子どもの結びつきを先日触れましたね。そこでも祖父・祖母の世代と子どもの世代がお互いの価値を認め合うのです。≪認め合い≫に徹底していますね。
じゃ、日本で社会的生活基盤が破壊され、「社会福祉に税を回します」は掛け声ばかりなのは、この≪認め合い≫の点では落第点なのは火を見るよりも明らかでしょう。でも、なぜ、日本はこうなんでしょう。エリクソンも私も、その答えを繰り返し申し上げていますから、今日はあえて申しません。皆さんで考えていただけたらと思います。