エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

損することを覚悟して、はっきりものを言うこと

2014-04-23 06:34:47 | フーコーのパレーシア

 

 クレウサのパレーシアは、一つは非難、一つは対話です。

 

 

 

 

 

 まずは非難から。クレウサは当時寺院の階段のところまで来たとき、一人の老人と一緒になります。その老人は家族の忠実な使用人です(しかも、クレウサがしゃべっている間は黙っています)。クレウサがアポロを非難するのはパレーシアの一種です。そこでは、誰かが、犯罪や過ちや不正をした人を、皆の前で非難するのです。そして、この非難は、非難される相手が非難する人より権力がある場合、一つのパレーシアの形になります。なぜって、非難することによって、非難された人が非難した人を何らかの方法で仕返しをするかもしれない危険があるからです。ですから、クレウサのパレーシアは、力の点で自分が劣り、しかも、自分が頼りにしている相手に対して、一つの犯罪を皆の前で咎め、非難する形になります。クレウサが非難しようと決心したのは、まさにこのような弱い立場にいる時なのです。

 

 

 

 

 

 この辺りを読むと、やなせたかしさんが、正義には損することが付き物、と言っていたことを思い出します。クレウサも仕返しを覚悟で、アポロを皆の前で非難するのです。それがパレーシア、本当のことを、損すること覚悟で、ハッキリ言う、ということですね。

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非難と対話

2014-04-22 05:48:57 | フーコーのパレーシア

 

 クレウサは本当のことを話す決心をしたようでした。

 

 

 

 クレウサが主にパレーシアステスを演じた場面は、二つの部分からなります。その場面は、詩の文体も、表明されたパレーシアの種類も違います。最初の部分は、美しい長いスピーチで、アポロに対する長く手厳しい非難ですが、第二の部分は、一行おきの対話の形式です。そこには、クレウサと彼の部下達の対話が一行おきにつぎつぎに置かれています。

 

 

 

 クレウサのパレーシアは、一つは非難、一つは対話だったというのは、実に鮮やかな対比です。

 

 

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女はコワ!

2014-04-21 06:46:31 | フーコーのパレーシア

 

 クレウサが本当のことを話すのは、アポロの不実とウソに対する反発からでした。

 

 

 

 

 

 ソフォクレスの『エディプス王』では、人間たちはアポロの預言者的な言葉を受け容れません。なぜならば、アポロの真実は信じられない感じがするからです。それでも、人間たちはこの神の言葉が真実であることが分かります。それも、運命が、この神が予言していたようになることを避けようと努力したのですが…。エウリピデスの『イオン』では、人間たちは神々のウソと沈黙に合いつつ、真実を知るようになります。アポロに騙されていたのにもかかわらずです。アポロがウソを言った結果として、クレウサが信じたのは、クレウサの実の息子だということです。しかし、クレウサが本当だと思ったことに対する気持ちとしては、本当のことをバラシておしまいにしようということです。

 

 

 

 

 こういう場合は、女は怖いですね。「あーっ、コワ」。直感が本当のことを見抜く場合が、女性のほうが多い感じがするのは、男よりも多いし、しかも、その直観に感鋭さがあることが、女性の方が多いですね。クレウサの場合はまさにそれだったのです。それは、女性のほうが、当時も今も、苦難を男よりも背負っているからだと私は感じています。

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クレウサのパレーシアの訳

2014-04-06 05:39:50 | フーコーのパレーシア

 

 父親のアポロ神はイオンの母親が誰かを教えてはくれません。しかし、母親のクレウサが教えてくれるみたいです。

 

 

 

 

 d, クレウサのパレーシアステスの役割

 

 クレウサのパレーシアステスの劇中の役割は、イオンの役割と全然違います。なぜなら、女性として、クレウサは、アテネに関する真実について王様に話すために、パレーシアを使うのではなくて、世間に対して「アポロが悪い」と非難するために、パレーシアを使うからです。

 なぜって、クレウサが合唱によって、「クスートゥスだけがアポロから子どもを授かった」と言われたときに、クレウサは、「あっー、私だけが息子を探しても見つからないだけじゃなくて、私がアテネに戻った時には、外国人の義理の息子が街にやってきて、それでも将来、クスートゥスの跡を継いで王様になる、と分かるからです。それに、クレウサは二つの理由から、亭主に対してだけではなくて、アポロに対して、頭にきます。なぜって、アポロからレイプされ、自分の息子まで取り上げられた後で、クスートゥスがアポロ神から息子を授けられた時に、自分の問い(自分の倅は生きているのかどうか)にも答えてもらえないと分かると、これはクレウサには我慢ならないことだからです。クレウサの苦しみ、絶望、怒りが、アポロを詰った時に爆発します。つまり、クレウサは本当のことを話そうと決心するのです。真実が明るみに出るのは、アポロ神の不実とウソに対する反感からなのです。

 

 

 

 

 クレウサが大変な思いをしていたのがわかりますね。レイプされた挙句に、息子まで取り上げられ、その後に、取り上げられた息子が生きているのか死んでしまったのかという問いにも答えてもらえない。理不尽にも程があります。それは耐えられなくて当たり前です。まるで、北朝鮮の拉致家族も同様でしょうね。

 クレウサは、アポロ神の不実とウソから、真実を話そうとします。

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昔から女のほうが強かった?

2014-04-05 09:11:40 | フーコーのパレーシア

 

 イオンは、母親がアテネ人と分らなくては、パレーシアの権利がもてません。パレーシアは特権だったようですね。

 

 

 

 

 

 それにしても、このパレーシアの人が、何故にパレーシアの権利を奪われているのでしょうか?なぜなら、アポロ神は人間たちに真実を話すのが務めなのに、自分の落ち度を打ち明けて、パレーシアステスとしてふるまう勇気がないからなのです。イオンが自分の本音に正直に、アテネでパレーシアステスの役割を果たすためには、何か別のものが必要です。それは、イオンには欠けていることですが、この劇の中で別のパレーシアステスの人、すなわち、母親であるクレウサがイオンにプレゼントしてくれる何かです。そして、将来、クレウサは、イオンに本当のことを話して、自分の倅が生まれながらに持っているパレーシアを発揮できるように自由にしてくれることでしょう。

 

 

 

 

 

 いつの時代も男の方がだらしないのかしらね。アポロは神様なのに、しかも、本当のことを言うのが務めなのに、自分の落ち度を話せません。神様なのに(神様だから?)自己義認にこだわるところがありますね。キリストの神様とそこが違います〔「キリストは神の身分でありながら、神と等しいものであることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分となり…(フィリピの信徒への手紙2:6-8)」〕。その点、クレウサは大胆ですね。クレウサがイオンに本当のことを告げる場面が今から楽しみですね。

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