クレウサのパレーシアは、一つは非難、一つは対話です。
まずは非難から。クレウサは当時寺院の階段のところまで来たとき、一人の老人と一緒になります。その老人は家族の忠実な使用人です(しかも、クレウサがしゃべっている間は黙っています)。クレウサがアポロを非難するのはパレーシアの一種です。そこでは、誰かが、犯罪や過ちや不正をした人を、皆の前で非難するのです。そして、この非難は、非難される相手が非難する人より権力がある場合、一つのパレーシアの形になります。なぜって、非難することによって、非難された人が非難した人を何らかの方法で仕返しをするかもしれない危険があるからです。ですから、クレウサのパレーシアは、力の点で自分が劣り、しかも、自分が頼りにしている相手に対して、一つの犯罪を皆の前で咎め、非難する形になります。クレウサが非難しようと決心したのは、まさにこのような弱い立場にいる時なのです。
この辺りを読むと、やなせたかしさんが、正義には損することが付き物、と言っていたことを思い出します。クレウサも仕返しを覚悟で、アポロを皆の前で非難するのです。それがパレーシア、本当のことを、損すること覚悟で、ハッキリ言う、ということですね。