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ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
第2章。「心と身体を理解する,革命」,p.27,第3パラグラフから。その前もご一緒に。
苦しみを理解すること
研究病棟で過ごして数年,私は医学校に戻って,新米の医学博士として,マサチューセッツ州立健康センターに戻りました。それは,精神科医として,ワクワクして引き受けたプログラムの訓練を受けるためでした。たくさんの著名な精神科医がここで訓練を受けていきました。その中には,後にノーベル賞の生理学医学賞を受賞した,エリック・カンデルもいました。アラン・ホブソンが夢を生み出す脳細胞を病院の地下室で発見したのも,私がそこで訓練を受けている時でした。鬱の化学的な基盤に関する最初の研究も,マサチューセッツ州立健康センターで行われました。しかし,我々研修医にとっては,最大の関心事は,患者さん達でしたね。私どもは,患者さん達と6時間一緒にいて,その後で,グループで,先輩の精神科医達に観察したことを分かち合って,様々な質問をしたり,1番合点のいく言葉を競い合ったりしました。
私どものとても大切な先生,エルヴィン・セムラド先生は,1年生のうちは,精神科の教科書を読んではならん! と檄を飛ばしていました(知的に飢えたおかげで,仲間の殆どが,後々,様々な分野の本を読み漁り,多くの研究業績をあげることになりました)。セムラド先生は,精神科の診断名が誤診でも,正しい診断だと信じてしまうことで,事実が見えなくなることがないようにして欲しかったのでした。セムラド先生に質問したことが,ありましたね。「この患者さんは,統合失調でしょうか,それとも,統合失調感情障害でしょうか?」。セムラド先生は,暫く黙ったまま,顎を撫でてから,「たしか,彼のことは,マイケル・マッキンタイヤーと呼んだと思うけど」と応えました。
セムラド先生が私どもに教えてくださったことは,人間の苦しみは,たいてい,大切にされないことと大切な人をなくすことに関係する,ということと,セラピストの務めは,人が,自分の生きている実感に「気づき,体験し,身に着ける」のをてだすけすることだ,ということでしたね。生きている実感には,様々な喜びも胸が張り裂けるほどの悲しみもつきものでしょ。「私どもの苦しみの源は,私どもが自分につくウソです」。セムラド先生はそのようにおっしゃって,私どもが経験するすべての局面で,自分が生きている実感に忠実であるようにと勧めました。セムラド先生がよくおっしゃった教えは,自分が知っていることを知っていることなしに,自分が実感していることを実感することなしには,良くなりません,ということでしたね。
私が忘れならないのは,この際立ったハーヴード大学老教授のセムラド先生が,次のようにおっしゃったことです。すなわち,「夜中に眠いと思ったときに,奥さんのお尻が当たると,ホッとするね」とおっしゃったことです。こんなたわいもない人間らしいニーズを正直に打ち明けてくださったおかげで,セムラド先生は,たわいもないことが,私共の人生にとってどんなにか大切なことかを,教えてくださいました。たわいもないことに関心を向けることができないと,いくら気高い思想があっても,世界的な業績を上げても,発達できない人になってしまいます。セムラド先生が私どもに教えてくれたことですが,治療とは,体験知に根差す,ということです。皆さんが人生の主人公になることができるのは,自分の身体の実感を,身に沁みて,気づくことができた時だけです。
私どものプロの仕事は,しかしながら,間違った方向へ移行しつつありました。1968年,『アメリカ精神医学研究』誌は,私が研修医だった病棟の,様々な研究結果を載せました。その様々な研究結果によって明らかになったことは,薬だけを飲んでいる統合失調症の患者さんは,ボストンで最も優れたセラピストに,週に3日セラピーを受けた統合失調症の患者さんよりも,良かった,ということでしたから。この研究は,薬と精神医学が心の病気を治療する治療法が徐々に変化していく,たくさんの節目の1つになりましたね。すなわち,精神医学が,耐えられない様々な気持ちや人との様々な耐えられない関係を,制限されずに打ち明けることを重視していたところから,個々の「障害」を脳と病の様々な関係とみる見方を重視するものへと,徐々に変化していったんです。
こうして,精神医学は,全人的医療から,患者の病気を壊れた機械の部品のように見る見方と金勘定をする算術へと,変質していったわけです。
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