「いってること」と「やっていること」を一致させること、それがあらゆる真実の関係の基本の「き」です。
Young Man Luther 『青年ルター』p.235の最後の行から。
小作人らは、いわば、マルティンの言葉を引いて、ルターに投げ返したのです。ルターは妥協するように忠告しましたし、ルターは、ハンスの倅として、自分が服従してもらえないもの、無視される存在になっちゃったと気付きました。ルターが決して許せなかったのが、自分に従ってくれないし、自分を無視する、この小作たちでしたし、後になれば、ユダヤ人たちでした。ユダヤ人たちも、ルターはもともと、聖書のおかげで、心を新たにできる、と希望を持っていましたが、カトリック教会は、そうすることができませんでした。ルターは、小冊子『泥棒で人殺しの小作人たちに反対する』を書いて、公然と、あるいは、コッソリと、大量殺戮を言葉にしました。それは、今日であれば、警察本部の入り口か、強制収容所の入り口に掲げられていそうな言葉でした。
ルターは信頼を回復したときに言ってたことを、言い続けることができませんでした。事がおきれば、人間は状況の影響を受けることも仕方がありません。しかし、ルターは信頼を示す話し言葉を、保つことができませんでしたね。人を傷つける言葉でさえ、信頼に抵触するのに、人殺しを唆すような言葉を言っちゃったら、もうそれまでよ。かつての信頼の言葉も、ルターの同時代の人にとっては、台無しです。
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