エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#成り果ての精神医学 #儲かれば治らなくてもいい #不幸でも症状が消えればいい

2018-10-07 06:50:55 | ヴァン・デ・コーク教授の「トラウマからの
 
現世考: #NHK女性記者過労死 #下村健一先輩
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 ヴァン・デ・コーク教授の  The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
 第2章。「心と身体を理解する,革命」,p.27,第4パラグラフ,10行目途中から。その前もご一緒に。




苦しみを理解すること


 研究病棟で過ごして数年,私は医学校に戻って,新米の医学博士として,マサチューセッツ州立健康センターに戻りました。それは,精神科医として,ワクワクして引き受けたプログラムの訓練を受けるためでした。たくさんの著名な精神科医がここで訓練を受けていきました。その中には,後にノーベル賞の生理学医学賞を受賞した,エリック・カンデルもいました。アラン・ホブソンが夢を生み出す脳細胞を病院の地下室で発見したのも,私がそこで訓練を受けている時でした。鬱の化学的な基盤に関する最初の研究も,マサチューセッツ州立健康センターで行われました。しかし,我々研修医にとっては,最大の関心事は,患者さん達でしたね。私どもは,患者さん達と6時間一緒にいて,その後で,グループで,先輩の精神科医達に観察したことを分かち合って,様々な質問をしたり,1番合点のいく言葉を競い合ったりしました。
 私どものとても大切な先生,エルヴィン・セムラド先生は,1年生のうちは,精神科の教科書を読んではならん! と檄を飛ばしていました(知的に飢えたおかげで,仲間の殆どが,後々,様々な分野の本を読み漁り,多くの研究業績をあげることになりました)。セムラド先生は,精神科の診断名が誤診でも,正しい診断だと信じてしまうことで,事実が見えなくなることがないようにして欲しかったのでした。セムラド先生に質問したことが,ありましたね。「この患者さんは,統合失調でしょうか,それとも,統合失調感情障害でしょうか?」。セムラド先生は,暫く黙ったまま,顎を撫でてから,「たしか,彼のことは,マイケル・マッキンタイヤーと呼んだと思うけど」と応えました。

 セムラド先生が私どもに教えてくださったことは,人間の苦しみは,たいてい,大切にされないことと大切な人をなくすことに関係する,ということと,セラピストの務めは,人が,自分の生きている実感に「気づき,体験し,身に着ける」のをてだすけすることだ,ということでしたね。生きている実感には,様々な喜びも胸が張り裂けるほどの悲しみもつきものでしょ。「私どもの苦しみの最大の源は,私どもが自分につくウソです」。セムラド先生はそのようにおっしゃって,私どもが経験するすべての局面で,自分が生きている実感に忠実であるようにと勧めました。セムラド先生がよくおっしゃった教えは,自分が知っていることを知っていることなしに,自分が実感していることを実感することなしには,良くなりません,ということでしたね。 

 私が忘れならないのは,この際立ったハーヴード大学老教授のセムラド先生が,次のようにおっしゃったことです。すなわち,「夜中に眠いと思ったときに,奥さんのお尻が当たると,ホッとするね」とおっしゃったことです。こんなたわいもない人間らしいニーズを正直に打ち明けてくださったおかげで,セムラド先生は,たわいもないことが,私共の人生にとってどんなにか大切なことかを,教えてくださいました。たわいもないことに関心を向けることができないと,いくら気高い思想があっても,世界的な業績を上げても,発達できない人になってしまいます。セムラド先生が私どもに教えてくれたことですが,治療とは,体験知に根差す,ということです。皆さんが人生の主人公になることができるのは,自分の身体の実感を,身に沁みて,気づくことができた時だけです。

 私どものプロの仕事は,しかしながら,間違った方向へ移行しつつありました。1968年,『アメリカ精神医学研究』誌は,私が研修医だった病棟の,様々な研究結果を載せました。その様々な研究結果によって明らかになったことは,薬だけを飲んでいる統合失調症の患者さんは,ボストンで最も優れたセラピストに,週に3日セラピーを受けた統合失調症の患者さんよりも,良かった,ということでしたから。この研究は,薬と精神医学が心の病気を治療する治療法が徐々に変化していく,たくさんの節目の1つになりましたね。すなわち,精神医学が,耐えられない様々な気持ちや人との様々な耐えられない関係を,制限されずに打ち明けることを重視していたところから,個々の「障害」を脳と病の様々な関係とみる見方を重視するものへと,徐々に変化していったんです。

 人間のさまざまな苦しみを治療する方法は,その時代に手に入る科学技術によって決まってきます。啓蒙思想の時代以前は,異常行動が,神様や罪や魔術や魔女や悪霊のせいにされた時代もありました。フランスとドイツの科学者らが,行動を研究して複雑な世の中に対する適応だとみなしたのは,ほんの19世紀になってからです。いま,新しいパラダイムが登場しつつあります。怒り,欲,誇り,むさぼり,欲深さ,なまけたい気持ち,その他,人間様が何とかしたいと戦ってきた気持ちも,様々なそれ相当の化学物資を管理することで,直すことができる「障害」となるとされました。精神科医は,「本物の科学者」になれることに,ホッとしましたし,喜びもしたわけです。それはまるで,実験場,動物実験,高価な機材や複雑な診断テストは駆使するのに,フロイトやユングみたいな哲学のある,俄かには理解しがたい理論は,わきに置いておく,医大のクラスメートみたいです。精神医学の教科書は,こんなものになり果てました。「心の病の原因とは,脳の異常,化学物質のバランスの崩れであるとみなされています」と。

 


 精神科医が「本物の科学者」になると,心の病んだ人間を相手にする医療なのに,心と人間とを忘れ去り,数式と金勘定の算術になり果てています。

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