エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

子どものころに、その創造主を覚えなさい

2014-08-20 05:29:45 | アイデンティティの根源

 

 「アーメン」という言葉には、計り知れない、人智を超えた深い意味がある。そのことを考えただけでも、不思議な感謝が溢れてきますよね。真理。それはそう言うものですね。科学的真理でさえも。人格的真理なら、なおさら。

 p337第2パラグラフ。

 

 

 

 

 

 もちろん、ここでは、「自分は悪い」とますます感じてしまうことは、自分が生かされていることを、痛いくらいに感じることにもなります。それに、創造とものを作ることが1つのやり取りになるように、一神教の父なる神を感じることは、育ちの中で実の父親を感じたことを繰り返すことにもなります。ここでそう申し上げながら、最も明らかなことは、額面通りに受け取らなくちゃぁ、いけませんよね。何も私は、このような一神教の父なる神に対する信頼は、赤ちゃんの頃に根っこがあるなどと申し上げているわけじゃぁ、ありません。と言うのも、額面通りに信じる人は、子どもの時期と言うものは、少しずつ発達すること以上に、子どもに、時機に叶って、創り主のことが分かる力と、神の絶対的な肯定を受け入れる心構えを授けるために、創られてきている、と考えていいという主張に、うまく応じることができるからです。実際に、子どものころに父親を感じて生きていれば、この宇宙の中で父なる神の霊がたしかにおられる、と深く信頼せずにいること(実際には、希望だけじゃなくって、や恐れもある)など、できませんよね。

 

 

 

 

 ここは日本人は分かりにくい、と思うかもしれませんね。でもね、日本人は、自然に対する畏敬が元来ありますでしょ? それは案外、父なる神を信じることに通じます。自分や組織を≪超越≫する点で、自然も、父なる神も、共通するからです。

 内村鑑三の詩に、「読むべきものは 聖書 / 学ぶべきものは 天然 / なすべきことは 労働」があります。山形県小国の山奥にある(今では良い道があるらしい)「基督教独立学園高校」で大事にしている言葉です。この天然、今の言葉て言えば自然に学ぶ、ということは、自然に対する畏敬があればこそですし、また、学ぶことで自然に対する畏敬がさらに深まるものでもありますね。労働も、聖書も同じですよね。

 子どものころに創り主を覚えなさい、と言うのは、旧約聖書の「コヘレトの言葉」第12章1節の聖句でしょう。ただ、コヘレトの言葉の方は、「子どものころ」よりやや後の「青春の日々にこそ」ですが。

 最近、自然「災害」がおおいでしょ。これは自然現象であることに違いはありませんね。それでもね、現代の日本人が、自分と自分の組織だけを、「神」であるかのように考えて行動する、その偶像崇拝の傲慢さに対する、一種の警告である、と受け止めることはできますよね。

 子どものころに、自分や組織を≪超越≫するものを感じ、畏敬の念を体験することは、とっても大事ですね。なぜなら、科学的真理だろうと、人格的真理だろうと、真理を学ぶ上では、なくてはならない態度だからです。「学者」と称する人にも、それが極端に欠けている人が、ごまんといますから、「そこんとこ、注意」ですね。

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