
圧倒的に大事なのは、やり取り関係であって、技法や心理検査じゃぁない!小さな存在を肯定する 一流の学者は、みずみずしい感性をお持ちですから、詩人です。 The Sense of Wonder 『不思議を感じる心』か......
Toys and reasons. p.50-51。昨日の続きの件。
私どもサイコセラピストが,「自分が死んでる(20億光年の孤独)」のに出逢うのは,私どもサイコセラピストのところの連れて来られる,小さな子ども達が,心の病気によって不安な思いをしているのに出逢う時ですね。その幼い子ども達は,もしも,親を大事にし,親から大事にされていたなら,奪われずに済んだであろう心からの安心を,私どもサイコセラピストから,日々,刻々,求めるのですね。その幼い子ども達は,もしも,親を大事にし,親から大事にされていたなら,その安心を親によってぶち壊しにされずにすんだでしょうし,逆に親の安心もぶち壊しにせずに済んだのに。このようにして,私どもサイコセラピストは,≪私≫がいかに脆いものかが分かるようになるわけです。それとともに,私どもサイコセラピストは,中心的な「視点」から語ることばをたくさん学ぶようになるのです。
このように,≪私≫は非常にもろいものなんです。
ところが,その中心的な「視点」からの言葉によって,陽気に楽しく≪私≫が,自分の体験を≪共に見る≫ことができる時,およそ考えられない位≪私≫は強いものになるのです。
ですから,聖書には「私は弱い時にこそ強い」とあるんです。
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