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「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
identity and the life cycle 『聖書の神様と毎日一心同体になること と 聖書の神様の心から優しいスピリットが,目の前の相手と私の関係の中で一巡すること』
p.105のタイトルから。
今朝は,もう一度,p.106の,14行目から。
『新約聖書』にある、パウロさんが書いた「エフェソ人への手紙」第2章のギリシャ語(コイネ)を訳しなおした成果です。
結論
シャローム平和になる中で,倫理学から心理学を区別する境界線を大きく踏み越えているところに来ています(その境界線を長年にわたってすでに繰り返し踏み越えて来た,という人もいます)。 しかし,親たちや教員たちや医者たちは,子どものニーズや課題を議論したいと思えば,(訳注:大人の私どもが)繰り返し生まれ変わり,ピッタリと一心同体に成る役割を分かち合う生き方ができているかどうか?,が,その子どものニーズや課題を生み出していること,を議論しなくてはならないとお示しする時,私自身本当の自分を不動にしてくれているものは,2つ3つのスピリットにある心眼だけですから,結論として簡明にまとめてみましょうね。
この20年30年で私ども夫婦が学んできたことは,人類を上下2つに分けるウソに侵されていない真っ当な人は,発達し成長する,ということと,その真っ当な人が行動する動機(特に,ご本人も気付かない動機です)についてでしたね。それは,私どもの目の前にある人類の歴史を振り返っても,この20年30年の学びの方が上を行っている,ということです(もちろん,聖書やシェークスピアにある英知の極致は例外です)。たくさんの人が腑に落ちたことは,子どもは,いや,赤ちゃんでさえ,(おそらくは,お腹の中の赤ちゃんでさえもが)自分が育つ周りの世界の良さを,鏡のように敏感に映し出す,ということです。子ども等は,自分の親たちの緊張,不安,激しい怒りに敏感です。たとえ,子どもは,親たちが何で緊張したり,不安になったり,激しく怒っているかはわからなくても,大人が表向きには緊張したり,不安になったり,激しく怒っているようには見えない場合でも,すぐに親たちの緊張や不安や激しい怒りに気付いています。ですから,皆さん,子どもを侮ってはいけませんからね。しかし,世の中の変化が速すぎるので,自分たち大人が世の中の変化に「抗して」自分の生きている実感を生きることになっているのかなぁ? 世の中を善くして,みんなが自由で不動になる道の中にある,ささやかな自分の務めを果たすチャンスを願っているのかなぁ? が分からなくなるなりがちです。また,変化の速い世界の中で,私どもは新しい生き方を試しているからですし,試さなくてはならないからでもあります。子ども等が本当の自分を創造できるように育てることって,一番新しい唯一無二の生き方でしょ。一番新しい唯一無二の生き方のゆえに,親たちはその子どもと一心同体に成るために,たくさんの悲しみを引き受けなくてはなりません。その悲しみは,魂の悲しみのゆえに,いままさに増し加わっている時代ですが,親が子どもと一心同体に成るために,悲しみをたくさん引き受けなくてはならないのは,魂を癒そうとする祈りは,この世の中が神をも畏れぬ傲慢さに満ち満ちているが故に,この世では,目覚めていなさいというキリストの教えを日々思い出して,自由に生きることができない,と見るんですから。私も指摘しておきたいのは,母子2人が,キリスト・イエスのおかげで,聖書の神様のいのちが一巡する結界を作って,共に自由になり不動になる聖書の神様のスピリットがまします場となる主の道にとって,神をも畏れぬ傲慢が,この世の中にはたくさんあるますよ,ということですね。チャンスがあれば私どもが望むのは,聖書の神様のいのちが一巡する結界を生きる主の道に命懸けで従って,聖書の神様のいのちが一巡する結界を共に作り上げる唯一無二の主の道を生きることによってしか,私ども人間が発達成熟する道はありませんから,ということが唯一の啓示だ,ということです。人間が車を運転することを学ぶときには,そうなるかもしれない出来事全てを意識しなくてはなりませんね。車の計器類が示す様々な危険信号や道にある危険信号全てを,自分の耳で聞き,自分の眼で見て,読み取れるようにならなくてはなりません。
人生を車の運転に擬えているところです。
危険は,人生においては傲慢だ,ということ,特に神をも畏れぬ傲慢だ,ということは忘れないほうがいいでしょう。
ウソとゴマカシは必ずばれますし,不思議にその報いを受けるものです。
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