エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#暴力に陥る道

2022-02-01 07:34:28 | エリクソンの発達臨床心理
 
#キリストとの出会い

 #アタッチメント #人間関係の雛形 #ニューロフィードバック #カナダ #金メダルが一杯 #私の感性 #自由な私 ファミリーヒストリー 大竹しのぶさんの「デザ......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
は、内閣府情報調査室が情報操作をしているだろうGoogle検索ではなさらず、

MSN検索、あるいは、 Bing検索にて、ご参照ください。

としましたが、1日で、MSN検索、Bing検索にも、内閣府情報調査室が施したであろう、情報操作が入りました。

それだけ、「発達トラウマ障害 Enpedia」の真実が大事。

 

 Toys and Reasons『おもちゃ と 賢慮』 ,p.161の問いから。
 今朝は、p.163の,第2パラグラフから。

 
 
 
アメリカ人が抱いた元々のヴィジョンが,いのちが一巡するど真ん中にいる新しい人・キリストに基づいていなかったんでしょうか? その新しい人・キリストは,私ども人類と創造の世界とを救うために再臨するのでしょう。
 
 それで,そこにベトナム戦争が来たわけです。ベトナム戦争は,拡張戦略のもう1つの常道のように見えましたけれども,この本の最初で引用しましたように,ニュース解説者の誰もが嘆き悲しんだ惨めな結末になった訳です。(訳注:イケイケドンドンという)新しい実感につき動かされますと,たとえ激しい怒りの炎があっても,大量殺戮を是として,(自分の方が優れているわけではなくても,)自他を隔て「あの連中は私(たち)とは関係ないし…」としても,倫理的に問題ない,とすることが,今までにない、万人受けする暗黙事項とする確信が,その怒りの炎を正当化したのは明らかでしょう。と言いますのも,「科学技術優先」(ロバート・リフトンの言葉で言えば)の旗印が,ソンミの戦争の大空襲,第二次世界大戦の大空襲以来,原爆を得たからです(いまでは、ソ連も手に入れています)。この原爆は,人類が手にした大事な畑をダメにしてしまいます。とにかく,眼の前に広がる大地(訳注:イケイケドンドンと広がること)は,結局は戦争,ということになり、高い代価を支払うことにもなり,スイッチ一つでことが済むことにもなって,勝利も解放もなく,ただただ口では「不名誉ではない」と言いつくろう撤退以外には国の選択肢が眼の前になくなる羽目になります。それにもかかわらず,アメリカ人の夢がの生き残ったのです。「不名誉ではない」と言いつくろった撤退以外に選択肢がないのに,ひどくうろたえることもなく,アメリカの夢は「もうダメだ」という逃げられない実感もありません。ところが,ちょうどそのころ,「ウォーターゲート事件」が,「アメリカ人の夢を無くしたウソとゴマカシ」を白日の下に晒すために,登場してくれました。「アメリカ人の夢を無くしたウソとゴマカシ」は,巧妙に,アメリカ人を乗っ取っていたわけです。
 願わくば,イケイケドンドンのアメリカの初めを私が素描してきましたことが,新しい見通しに加わった全ての人(あるいは,ほとんど全ての人)に割り当てた,共に見た新しい見通しとして呼び集めたことを明確に照らし出していて貰いたいと思います。その新しい見通しとは,自分は中心にいられるし,選ばれているし,また,自分は目覚めているし,志があるし,さらには,優れた能力があると実感することです。でも,学のあるニュース解説の絶望的な声とは対をなす,歴史的真実となる臨床のウソのない事実を探すとしましたら,現場に立つジャーナリストが担ったものを2~3引用するだけで足りると申し上げましょう。すなわち,ミライ村(訳注:ソンミ村)虐殺事件が世界の注目を浴びて、アメリカ軍の若者らが戦場で組織的に行ったことが,元も子もない悪夢であったことを白日の下に晒したんです。アメリカ軍の若者は,弾かれて迷っている圧倒されるような閉塞感に苛まれて,うじうじ,うろうろ,おろおろとしていたため,腑に落ちるところもないままイライラだらけでした。ソンミ村虐殺事件一つとっても(ベトナム戦争では,現実には虐殺は多かったのですが),アメリカ兵たちは,イケイケドンドンの日差しを浴びて,悪夢の犠牲になっていたんです。
 18~22歳のアメリカ人が,祖国から遠く離れた林の中に下された日を記した,(訳注:ソンミ村虐殺事件を暴露した調査報道記者の)シーモア・ハーシュの記事を読まなくてはなりません。この若いアメリカ兵は,半分は黒人,半分は白人でしたが,彼らが参戦した作戦は,見えない敵に対する最初の作戦で,敵の陣地と思われていた村を打っ壊すためでした。部隊長にとっては,厳しい作戦になる感じでした。部隊長が期待したことと言えば,自分の部下が1人でもいいから数で勝ることでしたし,部隊長が信頼していたことと言えば,物言わぬ兵士らの火力と,ヘリコプターやその武装部隊の火力でした。もちろん,その時にはすでに,共産主義者はゲリラ戦略という対照的な生き方が,今まで通り科学技術を駆使して戦争するのが兵站でありプロだと信じて疑わない(訳注:アメリカ人の)信念を挫いていたのです。アメリカの夢の信念が挫かれたのは,「後ろから撃たれる」ことが常だったからです。そんなわけで,部隊長は仕返しについて話して,「(訳注:この村には)歩いている者,育っているものも,這っているものもいないんだぞ」と部下にはっぱをかけたんです。この部隊が村を横切ったときには,実際「皆殺しになったんでしょう」。1人の兵士が後で証言しています,「この矛盾に満ちた命令は,気分次第人次第で、どうにでも解釈できたんです。」と。確かに,1つの命令があるはずもありませんでした。そして,いのちが一巡する場で,実際に起きたことが愚かしいほど白日の下に晒したのが,軍事教練という熱に浮かされた悪い習慣がもたらす壊滅的な結果でした。この軍事教練がもらたす熱に浮かされた悪い習慣は,悪い繋がりの中で,殺し合う兵器の火の洗礼があることになっています。
 この悪い習慣の筋書きを,上から目線で,すなわち,雲の高みの見物で見れば,一見よくできているように見えました。司令官の乗る飛行機が輪を書くのはその雲のなかでしたし,作戦を作るのは現場から遠く離れた所でした。アメリカ軍の幹部は用心深く高みの飛行機に,司令官は高度2000フィートの高見にグルグル旋回し,低みを飛ぶ射撃手らが,援護射撃を下の者たちにぶちかましていました。他の中隊がベトコンの逃げ道を塞いでいる間に,最初に火器が火を放ったのは,上陸用舟艇で来た小隊でした。ただし,そこには目に見える敵は1人も「いませんでした」し,語るべき抵抗もひとつも「ありませんでした」。その戦場にいた男たちは,上陸地から10メートル先も見えませんでしたし,各部隊もお互いが見えませんでした。ですから,敵はどこにでもいるように見えましたし,何処にもいない様にも見えました。「そのアメリカ兵たちは皆やる気満々だった」,「ほぼ連鎖反応だった」「もう身も蓋ももなかった」「すべてが敵だった」,そんな訳で,「そのアメリカ兵等は,暴力を安易に用いるパターンに屈していったんです」。
 
 
 
 
 象徴的なところの続き。
 物がものをいうところでは,人も物になりがちでしょう。平常心というよりは,メラメラと燃える激しい怒り。見通しもなく深まる恐怖。相手も見えない焦り。
 暴力に陥る道
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