葬式代もない貧しさと不思議なプレゼント神様がくださる優しさ 本物は、嘲りを浴びるようなところから、生まれる場合が多い。祝福の中で生まれるものと言ったら、赤ちゃんの他は、偽物が多い。 ......
今朝の聖書の言葉は,ὕδατος ヒュダトス,あるいは,ὕδωρ,ヒュドール,水,生きている水,です。
この言葉は,『新約聖書』の4番目にある「ヨハネによる福音書」第4章に出てきます。今日は14節の方。
「13イエスは答えられた、「だれでもこの水を飲むものはまた渇くが、14わたしが与える水を飲むものは永遠に渇かず、わたしが与える水は彼のうちに湧き水の泉となって永遠のいのちに至らせよう」と。」
14節だけでも,水が3回も出てきます。
皆さんも水を飲まない日は,息をしない日が1日たりともないように,1日もありませんよね。水や息は,命や本当の自分と切っても切れないものでしょ。
そして,この水を頂くと,永遠のいのちを頂ける,という訳ですね。何千年,何万年も生きることかしら? でも,そういう意味ではありません。永遠のいのちとは,山浦玄嗣さんが教えてくださるみたいに,イキイキ,ピチピチ生きること。エリクソンの言葉で言い直せば,陽気で楽しく生きること。
ですから,神様からこの水を頂く者は,自分が陽気で楽しく,イキイキ,ピチピチ生きることを許されているみたいに,弱く小さくされている者にも,「あなたの感性のまま生きていいみたい」と伝えて,その弱く小さくされている人にも,陽気で楽しく,イキイキ,ピチピチ生きる命を分かち合うことができます。
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