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Ontogeny of ritualization in man. 「毎日礼拝が人の中にキリスト(本当の自分,大我,本音)を創造すること」。イギリスのThe Royal Societyが1966に出しています。
p.339 第3パラグラフの14行目から。
私が毎日礼拝の様々な元(もと)を一覧表にしようとしていますけれども,毎日礼拝の最初の元として繰り返し思い出すものは,聖書の神様が「とても善い」と認めてくださることに,驚き感激する中で,内的な促しがある,ということです。つまり,驚き感激する中で,聖書の神様の内的な促しがありますと,バラバラに二分されて対立した敵同士が仲直りして一心同体になっているように見える,シャローム平和が,徹頭徹尾,輝くことになります。聖書の神様が「善し」として下さることに,驚き感激する中で,内的促しがあることが、互いに大切にし合うことになる訳は,「それぞれ固有の」響きとスピリットを持つ2人が,互いに対等でありたいし,しかも,一心同体になりたい,という(訳注:最深)欲求があるからです。私ども夫婦が,アーメン,なるほど本当だね,と繰り返し思い出してきたことは,毎日礼拝って,「キリスト(本当の自分,大我)」を生み出す母親だということだけではありません,毎日礼拝って,「響き合う仲間志向」だってことですから,毎日礼拝は,「2人はバラバラであっても,一心同体になれる」と実感する心の習慣と,「2人は違っていても、互いに大切にし合える」と実感する心の習慣とを,プレゼントしてくれます。毎日礼拝には,陽気で楽しい歓びがありますが,同時に,その陽気で楽しい歓びには決まった形ができます。細部を進めるうえでも,全体を進めるうえでも,歓びには決まった形ができます。毎日礼拝を毎日繰り返すことによって,「馴染みになり仲良くなる」のに,「善し」とされ,大切される(訳注:聖書の神様のいのちが一巡して,2人が一心同体になる)度に「驚き感激する」ことに決まっています。それに,動物行動学者らが教えてくれることは,動物界の毎日礼拝は,特に,一通りのシグナルには,「1つの意味しかない」,ということですが,人間の毎日礼拝は,迷いと躊躇いをなくす,というだけではなくて,2人のぶつかり合いを乗り越えて,シャローム平和を創造する、ということが,毎日礼拝の一番大切な務めではないかと思います。と言いますのも,私ども人間がわが子を大事にする時に気付かされるのは,我が子が我慢ならないほどあれこれと注文を付ける,ということですし,子どもは子どもですぐに気付くのは,うちの親は身勝手で,支配的だ、ということです。私どもが大切にてして,しかも、敬っている相手が,同時に,オッカナイ相手でありますし,また,畏れ敬う気持ちが嫌な感じに変わりますし,あるいは,慈しみ深い優しい気持ちも,頭に来ればなくなってしまう嫌いがありますでしょ。ですからね,毎日礼拝することで,「善し」とされて自分の中心軸が不動になる,ということが,いったん心の中で出来上がりますと,毎日の経験として「手に余る」ものです。
人間が,自分自身で自分を「善し」とできるのであれば,話は簡単です。
しかしながら,人間は,不可思議なことに,自分自身で自分を「善し」とはできません。
常に,相手,相方,相棒が必要で,その相手が自分を「善し」としてくれて初めて,自分でも自分を「善し」とすることができるようなるんです。
一人では自分を「善し」とはできませんから「手に余る」ものなんです。
「手に余る」ことを乗り越えていく英知こそ,毎日礼拝です。
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