エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#毎日の奇跡  #聖書の神様のいのちが一巡するいまここ #漲る勇気を分け合う毎日

2019-12-19 03:39:42 | エリクソンの発達臨床心理
 
#毎日の歓び #毎日礼拝 #自分を大切にするように弱い立場の人を大切にするという教えを毎日守る日々
 #創造する者へ #関係に誠実 #心優しい真のお母さん #いつまでも支配していたいお母さん 聖書の言葉: 神様の居場所   セラピーが、一番うまくいったとき 岩手山......
 

「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。

 今宵は,The Galilean saying and the sense of "I" 「ガリラヤのイエス・キリスト物語と≪生きている実感(生きるはキリスト)≫を生きる心の習慣」から。

 暗号解読の塊。

 

  

 ここでまた繰り返して,今までも繰り返してきて,少しはマシに言ってきたことをまた,言う訳は?  もちろん,私は,「神の国」を,「≪私≫が誕生し死ぬまでの限られた時間」という私どもに割り当てられている時間と結びつけたいからです。というのも,この≪私が生きている実感≫の時間が,何よりも,自分から神の国と結びつける関わりを始める性質があるからですし,かてて加えて,いま付け加えなければならないのですが,ど真ん中という性質,ことのど真ん中たる,神の国が目の前にあるという性質があるからです。このように,自分が選んだこととしての悔い改め,(そして,ギリシャ語で悔い改めに相当する言葉は,メタノイアですが,ルターはこれをドイツ語でウムケアUmkehr,すなわち,1巡 と翻訳しています)とは,自分が生きている時間の中に,聖書の神様のいのちが一巡するど真ん中を作ることです。1回転とは,痛みが伴う,悔い改めという言葉本来の意味からして,私ども人間は,悪い良心のために,ビクビクして,ここも我慢我慢と,人との関わりに遠慮や忖度をする必要などないし,神の裁きで禁じられることなどもない,ということです。聖書の神様のいのちが一巡することは,≪私が生きている実感≫が覚醒する方へ進む一歩だと私は思います。ですから,聖書の神様のいのちが一巡することは,毎日繰り返し私が生かされている実感が勇気づけられることにほかなりません。ですから,聖書でキリスト・イエスが繰り返しておっしゃってますでしょ、「目覚めていなさい,善く自覚していなさい,善く見てご覧さない」って。

 

 

 

 ですから,本物のサイコセラピストの役目,道案内の役目とは,キリストから毎日勇気をプレゼントされたその勇気を,弱くされた人に聖書の神様のギフトとして,分かち合うことになります。

 それは,即身成仏と全く同じです。

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