#生きている実感 は #日々の関わり合い から #今
#3層からなる現実 #エゴ と #私 #人生の主人公 聖書の言葉: バカと救いは紙一重 世の中が変わるのは、たった一人の気付きから! レイチェル・カーソ......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Identity :Youth and Crisis 『聖書の神様と一心同体に成ること : 若さと危機』のp168。
p.170の母親の告白の続きで,18行目から。備忘録的に,p.168の第2パラグラフも残します。
忘れてはならないのは,気持ちがピッタリと分かり合って腑に落ちることの反対は、人に馴染めず心がバラバラだ,ということです。つまり,1番親しい母親は,いまここにあると,母親には不都合な強さや不都合な人たちを,裏切り,見て見ぬふりをして,殺してしまいやすい、ということはね,忘れてはなりません。一纏まりの人や思いに馴染むことは,別のまとまりの人や思いを上手に裏切ることなしには,あり得ませんでしょ。このように,忖度と裏切り,それは,一番親しいはずの母親と一心同体に成ることできなかったために,最深欲求を満たすことができない人のいつもの心の態度になります。最深欲求が満足していない人って,自分の「良心」に確信を持てませんから,不正な誘いを断る賢さがありません。
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時間の見通しに志がない
思春期が遅く来たり,長引いたりする極端なケースに中に,時間の実験の中で混乱しきった極端に事例が出ます。そういった事例は,やや軽傷の場合でも,子どもの頃から後は,辛い毎日だ,という人もいます。その辛い毎日とは,「●●しなきゃ」と強く思うのに,人生には限りがあると思わなくなることです。その若者は,とても若いのに,赤ちゃんみたいで,しかも,若返りどころか,老人です。私は一心同体に成り損ねて,恵み深いキリストが魂の中で育たず,心がバラバラですよと公言する事が,私どもの患者さんに共通しています。それは,私は一心同体に成り損ねて,恵み深いキリストが魂の中で育たず,心がバラバラですよと公言する事が若者にはありがちなのは,このように、私は一心同体に成り損ねて,恵み深いキリストが魂の中で育たず,心がバラバラですよと公言する事が,浮世離れした話と思われがちだからです。ところが,コチコチの敵意の塊とは,何をやっても無駄ですよ,と信じて疑わない不信の塊ですし,変化をひどく恐れている不安の塊です。この世は変わらないと信じ込んでいるのに変化をひどく恐れている心の矛盾が表に出ると,何をしても動きが遅い,ということになります。この、何をやっても動きが遅いと,その患者さんは,まるで糖蜜の中にいるみたいに,動けなくなります。敵意の塊の人って,床についても,なかなか眠れませんし,同じように,起きても,目もパッチリに目覚めることもできません。敵意の塊の人って,セラピーの約束を守って時間通りに来ることもできなければ,セラピーを時間通りに退室することもできません。敵意の塊の人って,「分かりません」、「もうダメだ」、「もうやめた」が,軽いうつ病を示す常套句になりますし,エドワード・バイブリングがエゴには一種の絶望する願いがあると言った,その表現である「死にたい」って零すこともよくありますね。
人生は関わりの中で終末に向かって創造されているし,そこに発達の目的がありますし,試練が仕込まれた計画の後に「息を最後に吐く日」があることを,腑に落ちて受け止める,ということを少しも快く思いませんが,人生には終わりと目的がある、ってことが腑に落ちることこそが,試練がある新たな創造を始めることには不可欠で唯一の条件なのにね。患者さんの中には,セラピーが,人生は生きるに値すると証明できないのであれば,人生はいつまでも続くと思い込んでだままにしないでほしい,と願う人さえいます。このような対立がなければ,生涯を賭けて約束する一心同体になり遅れてもいい時期(モラトリアム)は,本物にならないでしょう。生涯を賭けて約束する一心同体に成るまでの間,「死にたい」という願いが,唯一の現実の自殺願望になりますが,自殺を願うレアケースでは,自殺そのものが,唯一の一心同体の選択肢になります。私が思い出すのは,1人の可愛い娘さんです。その娘さんは工場労働者の姉妹の一番上の娘さんでした。お母さんが繰り返し零したのは,「娘達は遊び女というよりも死んでいるように見えます。同時に,男と遊びに行く度に,今日も娘達は『遊び女になる』んだなと感じます」というのでした。その娘さん達は,結局,お母さんから逃れることを狙って,それぞれが自らの選択で,いわくあり気な女子寮に入らざるを得なくなりました。それは,2つの選択肢を確保しながら,お互いに男達から守られるためでした。娘たちは結局,互いに約束し合う羽目になりました。
今日のところも深いところです。ちょっと訳しきれない思いを残した翻訳です。朝の翻訳より,多少は良くなりました。
補足的に申し上げれば,本当の自分が生きるためには,約束が不可欠だ,ということです。
死は,ウソばかりで,約束がない状況の必然です。
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