発達というのは、自分が生きること、自分を生かすこと、自分自身になることです。
The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p59の第3パラグラフから。
かたや、ライフサイクルの原理が、心理社会的な現象全体を描く際に実際に役立つとどうして言えるのか? と質問してもいいですよ。なにも、これは、身体的な過程に、社会的な過程に対してコントロールする排他的な力を与えよう、っていうことなんでしょうか? その答えは、こうです。すなわち、人生のいろんな舞台は、始めから終りまで、身体的な過程と「関連性がある」のですが、人生の舞台は始めから終りまで、あくまでも、「私」が発達する魂の過程次第であると同時に、対人関係の過程に対する倫理の力次第でもあんですね。
人生は、身体ばったりバカデッカクなって、子どもだけ作るんだったら、野獣と何ら違いがありません。人間を人間たらしめるものは、「私」と倫理がどれだけ発達すのかということですね。エリクソンのライフサイクルの発達では、「私」が発達すれば、自ずから倫理的になるんでしたね。ですから、「私」の発達だけが問題なんですね。その「私」は、「本当の自分」、「ありのままの自分」であって、親や会社や社会が期待する「偽物の私」ではないことに注意が必要です。
ですから、子どもに関わる大人は、子どもに期待するのはいいとしても、それはあくまで、子どもの「本当の自分」、「ありのままの自分」を認めつづけ、肯定し続ける、ということが何よりも大事になんですね。
そこんとこ、よろしくお願いいたします。
親と子供は永久に同一になれない。もちろん,夫婦だって,兄妹だって,恋人だって違う。
親は子を洗脳すれば,同じ目標を持てると思っている。同じ方向を向いているから子供の意思だというが果たしてそうだろうか?
自分の子供が一人という少子高齢社会は,いつでもどこでも子供の小さい時から,手と目と口を出しすぎている。親の言う事を聞く従順な子供がいい子だと思っているが,いい子でいいと思っているのは子でなく親の方だ。
人の中に流れるDNAは,らせん構造で同じものをつくっていても発揮される機能はそれぞれ違う。それは,多様性が人類の存続を続ける条件になっているからだ。
子供に自由を与えなさい。障害者や苦しんでいる方の権利を認めなさい。
そして,人の冒してきた多くの間違いや悲しみを赦し心を持ちなさい。
答えは一つではないのだから。
期待を押し付け親に対して、厳しいご意見をお持ちですね。もしかしたら、網谷さんもそんな経験がおありなのかもしれませんね。
私は、親が子どもに期待するのは、当たり前だと思ってんですね。大人から期待された子どもの方が、発達する、ということもあると思います。「ピグマリオン効果」などと呼ばれます。
でもね、それはあくまで、子どもの気持ちや「私」を認め続け、肯定し続けると言う中での、親の期待であってほしい、と言うのが私の願いなんですね。子どもの気持ちと「私」>親の期待、であってほしい、ということです。