昨日、私学会館(アルカディア市ヶ谷)で開催された「世の中を変えたいあなたへ」の発刊に当たっての記者会見に参加しました。
司会をするあけび書房岡林信一社長
鈴木元氏
会場7階から見た大日本印刷ビルと中央大学キャンパス(以前は公団住宅市ヶ谷アパートがあり、1970~1972年まで住んでいました。1971年新宿区議会議員選挙で初当選しました。)
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新刊「世の中を変えたいあなたへ」の発刊に当たっての記者会見
2024 年8 月8 日 東京私学会館・鈴木元
はじめに 開会に当たって
猛暑にもかかわらず多忙な中、おいでいただいてありがとうございます。共産党にとって私の「志位和夫委員長への手紙」「さようなら志位和夫殿」の発行は予想外のことで、「過去の人である鈴木が何をいまさら」ということであったでしょう。
私は1996年12月に家庭の事情で共産党の専従職をやめ、かもがわ出版や立命館に奉職しましたが、直後に妻が倒れ重度の障碍者となったために新しい仕事と妻の介護に追われ10 年余りまともに共産党の活動に関わっていせんでした。
ただその間にも大きな選挙があるたびに党中央(市田氏を通じて)と京都府委員会(渡辺委員長を通じて)に各10 万円ずつ寄付してきましたし、2年毎に大きな規模の出版パーティーを開催してきましたから京都出身の幹部たちは、私を忘れるようなことは無かったと思います。
13年前の2011年、居住地の洛西ニュータウンで共産党後援会再建活動にかかわり、京都で一番大きな200名ほどの単位後援会の会長に祭り上げられました。
それ以来、毎月私の家で後援会役員会を開催してきました。役員には全国規模の労働組合の委員長や共産党の県の副委員長を経験された方もおられ、レベルの高い討議を積み重ねて来ていました。その中で私は自分が党専従をしていた当時に、これは改善しなければならないと思っていたことが改善されるどころか、より一層ひどい状況になっていることに気づきました。それで何回も志位和夫氏などの中央幹部ならびに渡辺和俊府委員長に長文の手紙を書いてきましたが返事がなかったので上記の本を出版しました。しかし聞く耳持たずで問答無用に除名処分となりました。その後のことは皆さんが知っておられる通りです。
今回は私80歳となる誕生日を期して自叙伝的な本として書くと同時に、その都度、私が考え、自省したことを書くことにより、これから世の中を変えたいと思っている人々の参考にしてもらいたいと考えて出版しました。
この本の原稿を出版社に渡して以降の共産党の言動で無視出来ないこととして以下の二点について補足の資料をお配りしました。
資料① 志位和夫議長の「共産主義一自由時間論」について
資料② 田村智子委員長の党創立102 周年記念講演と、その後の政局などについて
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(了)
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