人骨発見20周年プレ企画
主催:軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会(代表:神奈川大学常石敬一教授)通称「人骨の会」
~731部隊を生んだ日本陸軍80年を歩く~
パートⅤ「明治天皇の観兵式と陸軍青山練兵場」フィールドワークの報告
雨のそぼ降る5月24日(日)、主催者の心配をよそにJR四ッ谷駅麹町口には21名の参加者が集いました。四ッ谷駅は江戸時代、江戸城外堀の内と外を結ぶ四ッ谷御門のあった四ッ谷見附にあり、当時の石垣を見ることができます。また、四ッ谷駅からは、総武線上りで使われている旧御所トンネルが見られます。現在の中央線(総武線)の前身は明治22(1889)年、私鉄として八王子~新宿間をつないだ甲武鉄道。日清戦争時の明治27(1894)年には路線は飯田町(JR飯田橋駅の近く)まで延長されます。旧御所トンネルは、この時に造られた四つの隧道のうち、今も唯一残っている隧道です。これを見るベストポジションは東京メトロ丸ノ内線四ッ谷駅新宿方面行ホーム。参加者はガイドの長谷川j順一さんの先導の元、それぞれ写真撮影に余念がありませんでした。そこから総武線に乗って実際に旧御所トンネルをくぐると、JR信濃町駅へ。雨がますます激しくなる中、兵器補給部隊があった慶応義塾大学付属病院(駐車場の入口と創価学会民音会館との境界に陸軍省所轄地の境界石が残る)から、青山軍用停車場跡を横に見ながら中央線(総武線)大番町跨線橋を渡り、明治神宮外苑へ。
明治時代、青山練兵場として使用され、明治天皇が死去して一年後、これを記念して神宮外苑が造られました。そのホームページには「明治天皇とその皇后、昭憲皇太后のご遺徳を永く後世に伝えるために、全国国民からの寄付金と献木、青年団による勤労奉仕により、聖徳記念絵画館を中心に、陸上競技場(現国立競技場)などのスポーツ施設が旧青山練兵場跡に造成された」とあります。一同は、明治維新と明治天皇を讃える展示満載の聖徳記念絵画館を見学し、外に出ると青空が出ているのにびっくり。記念館入口の石段で記念写真をとると、明治天皇御観兵榎、御鷹の松、なんじゃもんじゃの木、樺太日露国境確定石碑などを見学。さらに外苑内を歩くと日本青年館が見えてきました。日本青年館には今も結婚相談所がありますが、戦前は大日本青年団結婚相談所がありました。ここに画家いわさきちひろの母親が勤めており、開拓結婚相談所の主任としていわゆる「大陸の花嫁」を多く「満州」に送り出しました。そうなると自身の娘ちひろも送り出さざるを得なくなりました。ちひろは望まぬ結婚を強いられたばかりか、夫の自殺も経験。戦中、戦後とさんざん苦労し、戦後はその反省をもとに自らの生を生きると決心して、創作活動に打ち込むことになります。
最後は、敗戦濃厚となった1943年秋、冷たい雨の中、学徒出陣を見送った国立競技場(当時は陸上競技場)へ。出陣学徒壮行会は関東近県から召集された学徒の隊列行進、宮城遙拝、東条英機らの訓示の後、慶応義塾大学医学生・奥井津二による送辞、東京帝国大学文学部学生・江積愼四郎による答辞などが行われたとのことですが、実は、送辞は、本来これを読むべき慶大生が体訴を崩し、奥井氏はピンチヒッターだつたそうです。
出陣学徒壮行の碑の前で、ガイドの長谷川順一さんは遺棄毒ガス中国人被害者訴訟の支援を訴えました。
スタッフ大募集!
これで5回にわたる総武線沿線の陸軍跡地を訪ねるフィールドワークを終了しますが、参加者も多く、評判も大変よく、来年以降も継続してほしいという声も聞こえてきます。
しかしなにぶん講師の長谷川順一さんを支えるスタッフが不足しています。そこで、紙面を借りて訴えます。フィールドワークを支えるスタッフを募集します。特典は、ただでフィールドワークに参加できるという事です。ぜひ、ご連絡をお待ちしています。
【究明する会ニュース№137号から転載】
画像は「人骨の会」鳥居靖氏からの提供