今朝のTBS「関口宏のサンデーモーニング」のコメンテーター岸井成格(元毎日新聞主筆、現『NEWS23』キャスター)さんも集団的自衛権の閣議決定については、緊迫感が滲み出るような発言をしていましたが、報道各社の幹部が安倍総理と天ぷらを食べながら懇談していたのでは困ります。
遊就館展示室11「大東亜戦争1」にアメリカが石油禁輸した説明パネルの反対側の壁に、7~8㍍近い大きな「日米交渉」パネルがあります。
遊就館ガイドでここを説明をする時は、1941(昭和16)年9月6日の「帝国国策遂行要綱」で「帝国は自存自衛を全うする為対米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に概ね十月下旬を目途とし戦争準備を完整す」を説明をし、「近衛が辞職した後東條英機が総理大臣になりましたが、平和を願う昭和天皇さまは『白紙還元の御諚』を発しました。」と喋っています。
そして、「『ハル・ノート』には『北京議定書を破棄し』と書かれていますが、十万の血で購った支那大陸の権益をおめおめと手放すことが出来るか、これは『最後通牒』とばかり鬼畜米英に宣戦布告をしました。」
昭和天皇の御名御璽が押印されている「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」と総理大臣東條英機以下の各大臣中、厚生大臣小泉親彦を説明棒で指して、「小泉純一郎元総理とは姻戚関係はありません。731部隊を創設した陸軍軍医総監です。」
第一次安倍内閣になってからは、商工大臣岸信介の名前を説明棒でコンコンと叩きながら「安倍総理はお爺さんの血を引き継いで、再び戦争の道に突き進んでいます。」と説明をしていました。
ところが、ある日のガイドの時に、誰かが遊就館側に通報したのでしょうか、禰宜で遊就館担当(当時)の坂明夫氏が飛んできて「長谷川さん。傷が付きますのでパネルを叩かないで下さい。」と注意されました。それからは、レーザーポインターを秋葉原電気街で買って来て説明をすることにしてしました。
政府情報局発行の「寫眞週報」で大東亜戦争一周年の時だけカラーの表紙となりました。
安倍総理の写真を見ていると、最近は何となく東條英機の顔に似ている気がしてきました。
昨年12月26日、安倍総理は靖国神社と鎮霊社に参拝後の記者会見談話で「靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足した今日この日に参拝したのは、御英霊に、政権一年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです。」と言っていますが、「閣議決定」の解釈改憲で憲法九条をないものとしてしまえば、自衛隊は地球の裏側まで「戦場」に配備されます。【注】「靖国談話」は首相官邸のホームページからは削除されてしまいました。しかし外務省のホームページにはありました。
「戦場」では、単身者の自衛隊員だけでは無く、家族がいる隊員や部隊長など上官もいますので、もし「戦死」した場合は、子どもたちは戦後初めての「戦争遺児」となることでしょう。
「戦死者」は防衛省内にある「殉職者慰霊碑」に名前が刻まれます。