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再録「金沢の三文豪」泉鏡花・徳田秋聲・室生犀星が北陸新幹線に乗ってくる

2014年07月31日 | 金沢日誌

管理人が2013/07/30にアップした記事を都知事、千代田区長、大田区長、文京区長、目黒区長、板橋区長、新宿区長に郵送しました。

「金沢の三文豪」泉鏡花・徳田秋聲・室生犀星が北陸新幹線に乗ってくる

管理人は在沢中の2012年3月17日、山野之義金沢市長に下記の文書を送付した。

〈金沢市市長公室課長補佐辰田博之氏は「・・・しかしながら、すでに本市が板橋区と交流を30年以上にわたって続けている現状を考えますと、新たに新宿区との交流を始めることは難しいと思われます。」と言われていますが、金沢市と新宿区の都市間交流事業を提案しているのではありません。プレ企画としての2014年の“金沢百万石まつり”に、板橋区長のみならず、加賀藩上屋敷があった文京区長、万治元年の江戸城普請で加賀藩が修築した天守台(皇居東御苑)が現存する千代田区長(泉鏡花は29年間六番町に住んだ)、旧前田侯爵邸洋館が文化財となっている目黒区長、そして新宿区長を招待されては如何でしょうか。その話題が掲載された各区の広報紙によって、多くの都民・区民が金沢市に親近感を増すことでしょう。そして、東京駅発・金沢駅行きの北陸新幹線一番列車に東京都知事が乗車し、知事と市長が並んで金沢駅でお出迎えをするという「おもてなし」はキッと全国的な話題にもなると確信しております。
 辰田氏はさらに『百万石行列は基本的には加賀藩や前田家に縁のあるものを中心に構成されています。今回長谷川様からご提案いただいた鉄砲組百人隊は徳川将軍家を守るために結成されたものに由来することから、百万石行列に加えることは難しいのではないかと考えております。』とも言われています。金沢百万石行列に「珠姫お輿入れの行列」がありますが、。珠姫は誰の娘でしょうか。徳川第二代将軍秀忠の二女です。第四代光�・の正室大姫だった清泰院が住んだ加賀屋敷(現新宿区市谷加賀町)は、尾張徳川家上屋敷(現市谷本村町・防衛省市谷基地)の隣接地でした。二人とも鉄炮隊に守護されて江戸で生活をしていたことになります。「徳川将軍家を守るために結成された」鉄炮組百人隊が行列に参加したとしても歴史的にも観光的にも何の違和感もありません。さらには尾崎神社は、四代藩主光高が徳川家康をまつって建てた神社で「北陸の東照宮」(金沢市観光協会サイト)「金沢の江戸」「北陸の日光」(門前にある金沢市の説明板)とも呼ばれ、徳川家との友誼の象徴的存在でもあります。〉

そして三文豪に因んで大田区長も招待を・・・。

7月26日に金沢市は「新幹線開業プロモーション・イベント実施計画」を発表した。読んでみたところ〈(4) 首都圏PRイベント等の開催〉〈? 金沢学講座の開催 時期 / 平成25年度 板橋区と連携し、金沢のまちづくりや金沢の魅力などを紹介する講座を開催し、首都圏の金沢ファンを増やす。〉と相変わらず板橋区と連携するだけである。東京が持っているポテンシャルを全然理解していないことに呆れてしまった。

泉鏡花、徳田秋聲、室生犀星は「金沢の三文豪」と云われている。

室生犀星記念館の学芸員に電話で尋ねたところ、犀星は大田区馬込の文士村に住んでいたことが分かった。

徳田秋聲記念館の学芸員からは管理人の質問メールにレスポンスがあった。

(Q1)徳田秋聲は上京して尾崎紅葉の弟子になったときの下宿の住所はどこですか。孫が住んでいるという森川町一番地の現在の住居表示は。

(A1)明治28年1月に上京した秋聲は、4月に博文館という出版社に入社します。6月、紅葉門下に入門が許された頃には、博文館の編集室に寝起きしていたようです。日本橋区本町三丁目(現・中央区日本橋本町)の社屋です。紅葉門下生となったのち、博文館を退社し、神田錦町、牛込箪笥町、牛込区筑土八幡前柿ノ木横丁、本郷区向ケ岡弥生町三トノ十一、小石川区小石川表町百八番地(現・文京区小石川3丁目)、本郷区森川町一番地(清水橋付近)、小石川区富坂と転居を繰り返し、明治39年4月、妻子とともに現存する旧宅・本郷区森川町一番地(後、一二四番地/現・文京区本郷6-〇-〇)へ転居、その家で生涯を閉じます。(八木書店版『徳田秋聲全集』別巻年譜、秋聲自伝小説『光を追うて』参照)

【注】新宿区立新宿歴史博物館学芸員の調査によると「牛込箪笥町」「牛込筑土八幡町」「揚場町と下宮比町にかけて柿ノ木横丁」があった。 

(Q2)作品の中に東京のことが書かれている作品名は何ですか。

(A2)ほとんどが東京を舞台にしていると言ってもよいように思われます。
旅行先、故郷・金沢でのことももちろん書いてはいますが、25歳で上京して73歳で亡くなるまで東京暮らしをしていますので、代表作のほとんどが東京に暮らす人々の生活を描いています。

(Q3)泉鏡花の作品中、日清・日露戦争や軍人を題材にした作品は「予備兵」「海城の餘波」「琵琶傳」「海城發電」「勝手口」「凱旋祭」「きぬぎぬ川」「軍人の留守宅見舞の文」「外國軍事通信員」「柳小島」と10作ありますが、秋聲は如何でしょうか。

(A3)明治37年、日露戦争の頃に「出征」「通訳官」といった中編小説を書いていますが、その他、あまり見当たりません。短編小説「躯(からだ)」(明治45年)、「戦時風景」(昭和12年)、長編「縮図」(昭和16年)などにも少しその雰囲気がありますが、いずれも戦地でなく残された者に焦点を当てています。

秋聲のお孫さんが、現在も生活してる文京区本郷6丁目は、加賀藩上屋敷跡東京大学キャンパスの目の前です!。(鈴木大拙が学び、その後講師を務めた東京帝國大學です。)下屋敷があった板橋区だけでは無く文京区と都市間交流があってしかるべきだったと考えます。

秋聲のお孫さんを始め、鏡花、犀星の縁故者を金沢百万石まつりと金沢駅開業記念イベントに招待したならば「文化と歴史の金沢」に華を添えること間違い無しでしょう。

北陸中日新聞に「えんじょもんの金沢論」(金沢弁・遠所者…遠くからきた人、よそ者)というコラム連載があったが、「金沢人二世」の“えんじょもん"だからこそ、金沢の良さを客観的に提案できると考えている。

投稿日 2013/07/30 新宿日誌, 金沢日誌  | リンク用URL | コメント (0)

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