1937(昭和12)年3月8日生まれなので満79歳となりました。還暦や喜寿は数え年なので「傘寿」となるようです。昨日のしんぶん赤旗“くらし・家庭”欄に医師丸山直記氏(地方独立行政法人 東京都健康長寿医療センター東京都健康長寿医療センター研究所 老化制御研究チームリーダー)のインタビュー「人は老いてなお成長する? 体力は落ちるが能力は」と題した記事がありました。・・・・・・・ . . . 本文を読む
昨日のテレビ番組ニュースは、新国立競技場の現在の設計計画ではスタンド内に聖火台を置けないことが判明し、政府や関係機関はスッタモンダ。JSC、文科大臣、担当大臣、大会組織委員会は責任を押しつけ合っていることを面白おかしく特集をしていました。
B案を作成した建築家の伊東豊雄氏は、「敗れた「『B案』には聖火をともす場所が、しっかりと存在した。」と報道各社にコメントをしていましたので、TBS「ひるおび」で . . . 本文を読む
「第四回 新宿・平和のための戦争展」が近づいてきました。昨日のプレ企画「平和フィールドワーク」(新宿平和マップCコース)には29人が参加しました。国立国際医療研究センター内の展示コーナーにある「第五福竜丸の模型」「陸軍軍務局長森林太郎(鴎外)愛用の机」などは日曜日は鍵がかかって見学が出来ないようになりました。檜山平和ミュウジアム主宰の檜山紀雄さんは、元慶応大学付属病院労働組合委員長だったことから、 . . . 本文を読む
1960~70年代に「ポストの数ほど保育園を!」というスローガンで公立保育園増設の運動がありました。
保育園落ちたの私だ .
ブログに共感、国会前で抗議集会
と安倍総理が民主党山尾志桜里議員の質問にたいして「匿名だから」と答弁をはぐらかしたことから、「保育園に落ちたのは私だ」とTwitterやFacebookで瞬く間に怒りの声が全国に拡散されました。
妻が専業主婦として働かなくても良い程、夫 . . . 本文を読む
東京・中央区掘留区民会館で「NPO化学兵器被害者支援日中未来平和基金」の設立総会が開かれました。
中国では、2015年8月14日に「中国人権発展期金」という民間の遺棄化学兵器被害者に医療支援を行う旧日本軍細菌化学兵器被害者を救援する基金が設立されています。
この中国の基金と協力し、日本の市民と中国の市民、日本の医師と中国の医師との協働によって、遺棄化学兵器被害者の救済の活動を行っていくことが設立の . . . 本文を読む
『聖火台の置き場がない!! 新国立競技場にまたまた問題発生』と大騒ぎです。
管理人はザハ案の時もこの辺に設置するかと軽く考えていました。
北京もロンドンも聖火台への点火式は、その時まで誰も判らないような「演出」があったような記憶でしたので、スタジアムデザインには入れないことにしてあったと考えていました。
日本オリンピック委員会公式ホームページ上の「オリンピック憲章」には、次のように既定がありま . . . 本文を読む
スポーツ庁鈴木大地長官名で情報開示に関する文書が、本日到達しました。
管理人が一番知りたかった事案は不開示となりました。
・・・・・・・・・・・引用・・・・・・・・・・・
不開示とした部分とその理由
新宿区道まで架かっていた二本のスカイブリッジ等がなくなった、ザハ・ハディドアーキテクトの修正デザインに関する文科省、JOC、組織委員会、JSCの往復書簡
請求文書を作成、取得しておらず、保管していな . . . 本文を読む
世田谷区生涯大学講師濱中正之氏のピースセミナーのレジュメを引き続きアップします。
管理人が考察してきた「東京の戦争遺跡の変遷」と基本的には同じですが、やはり世田谷区から見た「大山街道(矢倉沢往還)」国道246号線青山通りの軍事利用の論考は貴重なものだと思いました。
山手線は、大正期になってからやっと鉄骨橋梁技術が確立されましたので、秋葉原駅が完成し、山手線が上野駅と神田駅が連結したので「のの字」運 . . . 本文を読む
鎌倉市川喜多映画記念館からリーフレットが送られてきましたので転載します。映画女優原節子と映画監督小津安二郎は鎌倉市内に住んで居られました。そのこともあって特別展「原節子」が3月18日から7月10日まで開催します。
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【2016年3月1日、下北沢で開催する《3年後の「3・1独立運動、五四運動の100周年」を祝う夕食会》の開催趣意書】
せた連の梁田貴之さんが主催する夕食会に参加します。
これまでは3・1ビキニデーに関心があり、焼津の集会にも参加してきました。管理人のカテゴリーには「北東アジアの平和」をつくっていますが、北東アジア問題を考えたとき、尹奉吉(ユボンギル)と安重根のことを忘れることは出来ません。都立蘆花 . . . 本文を読む
自分史・新宿区役所通り
八十歳を超え結婚50年記念を迎え自分史をBlogで作成することにした。