カッキーYAMA   akihiko tange

手始めに、日常的なことを気の向いたときに載せていくつもり。

コンビナートのフォトを見ていて・・・

2012-10-05 | エッセイ

友人が徳山のコンビナートのフォトを新幹線から撮って送ってくれたので昨日のblogに載せた。前からそこを通る度に目立つので気が付いてはいたそうだ。もちろんそこにある「風景」として・・・。

そのフォトを見て個人的にいろいろなことを思った。

コンビナートが単に物を生産するための工業地帯の一設備から、観るためのものになリ始めて何年か経つ。いつ頃から、観て楽しむものへと変わってきたのかと思い出してみると、自分の知っているところでは、2000年に入ってからここ10年くらいかな、というところだ。もちろん主観が入っているから一般的にどうかとなると正確ではない。大体そのあたりだと思う。観て楽しむというのは、見学ということですらなく、特に学ぼうなどという大それたことからも離れ、純粋に観て楽しい、あるいは、そこに何か美のようなものを感じるということだ。重工業の発展は産業革命以来の大きな世界的流れであり、それが実際の姿となって20世紀に現れたのが、フォトのようなコンビナートなどの群れである。もちろん、21世紀となった今もそれらの多くは人間の生活を支えるのには不可欠であり、活発に動いている。それらが立ち並ぶ臨海部の夕暮れに出くわすと、なにかレトロなものを見るような、郷愁を誘うものを見るような感覚にとらわれる。産業革命以来続く20世紀の新しい時代へ向けての上り坂の変革期を格闘してきたその姿にそういった感覚を呼び覚まされるのだろう。今は工業のその部分は既に上り坂から水平へと移行したように見える。だから、なのだろう。ここにあるのはかつて機能美(もちろん今でも)と言われたものかもしれない。しかし、その時代とは違ったもものもそこに薄いベールのように掛かリ始めているとも思う。水平からもしかすると下り坂へかかっているからだ。郷愁といった感覚もそれが理由かもしれない。アート的美をそこに見い出すこともあるだろう。そういったアート的な良さなどが一般に認められ出す時は、既に時代はそれより少し先へ進み、それらが少し過去のまとまったものとして人の目に眺められるようになってからのことが多い。東京湾にもコンビナートを海から見て楽しむクルーズなどが出てきた。2000年に入ったころからだと思う。ライトアップなどもされて臨海部の演出に一役かっている。東京湾の夜景は素晴らしいものだと思うが、一番海側の帯のような部分の明りには工業地帯のコンビナート群の明かりが多い。機能美と言っても色々あり、コンビナートはそれを作った人が意識するしないとは関係なく純粋に実際の機能を満たすことに主眼を置いて形作られた結果の機能美である。だからそこに見られるものは、クルーズなどをしてまで観たいと思われるものは、環境、与条件などが変わった時などに、後で別の人間によって見い出される場合が多い。そしてそこに余り感慨の湧かない人々もまたいて、それが普通だ。

少し話は派生して・・・

ここで一案なのだが、節電という大きな足かせはあるにせよ、コンビナートをライトアップしたのだから、森もライトアップしてみたらどうだろう。山の木々とか雑木林とか街中の樹木群などを。あまり進むとなんでもライトアップすれば好いか、となって行きそうであまりにもそうなるとツマラナイし問題も出てきそうだけれど。綺麗にライトアップされたものを見て「ワァ~」と言って見たところで何度も見れば飽きてくるのは当たり前で、ことさら大仰に感動して見せることは無い。

大都市の景色というのは、スカイツリーなどから見ると昼間でも20分も見ればもう見飽きた感じになる。もっと長時間楽しめるはずだと思いはするのだがそうはならない。夜景というのも素晴らしくはあるが、長く眺めるには意外と適切ではなく、10分もしないうちに見飽きる。極端に言うと、明りしか見られないからだ。景色の多くは闇の中に隠れている。夜景の明かりはライトアップされたものと言うよりライトそのものの明かりだ。





コメント
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