絵のある風景。あるファミレスで。1枚の青い絵は目立った。
絵かと思って近くで見ると、写真だった。
湘南海岸を走る車のヘッドライトが綺麗に流れて映っていた。
横浜の街で見かけたあるポスター。
何か好い感じだった。
というCMがこのところblog下に付いている。
CMもさほど気にならなくなった。暇なので見てみたが、
男の私には関係なさそうだし、片仮名の横文字で書かれたことも
何のことやらさっぱり分からないのだった。
絵のある風景。あるファミレスで。1枚の青い絵は目立った。
絵かと思って近くで見ると、写真だった。
湘南海岸を走る車のヘッドライトが綺麗に流れて映っていた。
横浜の街で見かけたあるポスター。
何か好い感じだった。
◆肌寒い日があったりして今夜なども雨が降り続き、寒い。鍋が美味しい季節になってきた。鍋にたっぷりの野菜や肉を入れ、昆布、それに少しの醤油とコンソメの固まりを一つ二つ放り込んで食べると旨い。特に他の味付けをしなくても野菜と肉の良いダシが出ていくらでも食べられる。野菜は白菜や大根は欠かせないが、ジャガイモを入れることもある。これは崩れる前に杓子で取って食べる。最近このジャガイモにヒントを得て替わりにカボチャを入れることがある。カボチャを入れるとどうなるかというと、しばらく煮込むうちに崩れてくるのである。これを利用する。多めにカボチャを入れておくと崩れて食べ進むうちに自然にカボチャの和風ポタージュスープが出来上がる。野菜にナメコが入っていると昆布と一緒にとろみの元となり、黄色みを帯びた軽くとろりとしたカボチャスープが出来上がる。小皿に取って少しだけ醤油をたらし、おろし生姜を加えて食べる。これは旨い。
作詞家の中西礼さんが、新しい癌の治療法で復帰したということが話題となった。陽子線治療という方法だという。それで調べてみた。今はインターネットでいろいろ簡単に調べることができる。良さそうな治療法だと思う。外科的な切開手術をしないで、他の細胞を傷付けもせず、癌細胞だけを殺すことができる。技術的進歩は日進月歩だから、もっと正確にコンピューターでコントロールしたり、スキャンなどもすぐにもっと精密に行えるようになるはずだし、そうすべきだ。性能はもっと上がるだろう。直ぐにでもそうすべきだ。
その放射線治療法の利点や不利な点などもインターネット上に良い情報はいろいろ出ている。不利な点として、治療費が高い、健康保険が効かない、などがあるが、このようなものこそ、官僚機構、役人の税金の無駄遣いや多過ぎる報酬などの見直しなどで直ぐにでもそれらを当てることができるのではないか?そしてそれは政治の仕事なのではないか?
いろいろと考えつくのである(もちろん自信満々ではなく・・・)。この治療法に加えて、癌の早期発見を簡単にできるCTスキャンやMRIのような癌専用の設備を開発して組み合わせて行うのである。できれば早く全国的に配置されると良い。多く生産されれば価格も少しは下げられるだろう。談合で価格のつり上げを狙うのは無しである。それは一人数十分程度でCTスキャンなどのように寝っ転がっているだけで機械の中に入って行き全身くまなく小さな早期がんでも発見できる、そんな夢のような医療設備である。癌の早期発見はいまだにバリウムを飲まねばならなかったり、検便したりというのが多く、意外とちょっとしたことではあるが気持ちの負担にもなり、ぐずぐずと後延ばしに診てもらわない人も多いと思う。それで発見が遅れ後の祭りというケースが多いはずだ。早期発見早期治療で治ったかもしれない。こういったことがその設備が開発されれば、相当防げるだろう。それに加えて、その設備を全国に「必要なだけ」(変な農業道路、高速道路、新幹線、ダムなどのように野放図に多くなっても止まらない止められないなどと冗談まがいのことを言っていてはイケない)配置して、もう次々と設備も壊れんとばかりのフル稼働で安く(できれば3000円くらい、仮に保険を効かせないでもそれくらいの価格ならなお良い)、ひとり数十分で検診していくのである。夜中に稼働しても良い。診てもらいたい人はこれを半年くらいに一度(間隔は個人の選択でも良い)、時間のできた時にやってもらいに近くのその設備のあるところへ足を運ぶようにするのである。そういう検診なら気も楽だし時間にも余裕が持てるだろう。ほとんどの人が診てもらうことができるだろう。そこの検査で引っ掛かった人は早期治療で先の放射線の治療へ、となる。もろもろの負担も少なく、スピードも格段に速い。
これらの仕組みを作るのに、何千億も要るから駄目であると言うかもしれないが、その分税金を増やさなくても、本気で税金の無駄遣いを減らせばそのくらいの費用は出るはずだ。あのJALに使われた税金はいかほどだったか。もちろん、そんな冗談をという人もいるかもしれない。
◆「替え歌を作った。さあみんなで歌おう!
(トムとジェリーの節で) 猫がネズミにかみついた あたりまえだ つまらねえ~ ・・・・・」
「それだけか・・・」
「そう、そこだけ・・・」
◆「あなたには、ここのお座敷を用意しています。」と言われて、どんなにすばらしい座敷が用意されているのかと思ったら、つんぼ桟敷、という名の座敷だった、とさ。
◆愚か者、と呼ばれる人がいると、少しほっとする。
◆街で、以前に比べ大きく変わった所と言えば、新大久保辺りかな。韓国系や他のアジア系の店、歩いている人などもそれ系の感じの人が多い。昔もそういう気配はあったかもしれないが、今は見てすぐ分かるくらいに変わった。街の様子もだが、特にそこにいる人が変わった。
◆・・・辺り、とか、・・・など、とか、・・・かもしれない、とか、・・・のような、・・・も、といった曖昧な言い方を多く使っていると、カッチリ、スッパリした性格の人には何か言われそうだ。もっとハッキリ断定的に言えよ、と。
蚊がいて、背中からお尻のあたりがかゆくて・・・・。→蚊がいて、お尻の右から15センチ、お尻の上端から10センチのところがかゆくて、右手で掻いた。
◆このところ、何故かは知らないが英語などは話の外として、日本語がどうも怪しくなってきた。書いていて前後の脈絡があまり取れていなくても平気なのである。頭の方か・・・。 も、でも、しかし、などなどをカッチリした使い方をしないでも平気でそのまま進むのである。突進するアートブレイキーならぬ突進する言語製造と言える。ところがそれでスピードが速いかと言えば、もたくたもたくたするのである。前後が入れ替わったような文も出てくるし、後で適当に追加文を入れたがゆえに唐突で脈絡が変になっていることもある。ところがそれでも何か好いような気がしてくるのである。頭が大分柔らかく・・・ではなく緩んでしまっているのかもしれない。風邪薬のせいだな。
食べ物のことはだれしも関心のあるものだと思う。大阪へ行った時に数は少ないながら当地のものを食べた。胃袋は一つしかないので旅行などの短い時間ではあれもこれもとは意外と食べられないものである。大阪は「食い倒れの街」というくらいで、食べ物に関してどれも安くて美味く、そういう意味で期待が外れたことがない。食いしん坊の自分にとっては幸せな時間なのだ。
食べることにまるで関心がない人もたまにはいるのだが、一緒に歩いていてもあまり楽しくはない。大阪の人は「食べることが好き」なのだろうと思う。だからその街の食べ物が美味いのだ。ところで最近のテレビは(このところテレビで観たことについて書くことが多いような気がする)、食べ歩きの番組が多い。温泉、街歩きなどと重ねた作りとなっていて、こういった番組が夕方ごろからずっと続く時もあるので、いささか食傷気味だ。では、観ないようにすればよいではないか、と言う人もいるかもしれない。そうしようと思う。20代そこそこのよくは分からないタレントか何かが、騒ぎながら食べ歩くのを見るのは、もう御免だ。
レモン汁というと、少し前に原宿へ行った時にふと目にしたレモン汁作り器を買った。陶器でできたよくあるヤツだ。真ん中が山になって盛り上がっている。レモンを半分に切ってそこに上から押し付けつつグリグリとねじる式のものである。これだと小皿一杯分くらいの大量のレモン汁を簡単に作ることができる。力まかせにやれるので気分爽快だ。
これをやるうち、以前テレビで見たカルパッチョというものを思い出し、レモン汁を多く使いそうな料理だし簡単そうだったので作ってみることにした。作ってみると簡単で、かつ美味い。西洋人は生で魚を食べず日本人特有の食習慣であるかのごとき気がしていたが、よく考えるとこのカルパッチョというのは魚を生で食べているものなのである。今更気が付いたのである。わさびと醤油ではないという違いだ。そこはそれぞれのお国柄で大きな違いではあると思う。そして、オリーブオイルとレモン汁というのも、とても美味い。自分で作るのだからこれでこれから大量に作って食べられるようになった。
話変わって、先日ある店でカルパッチョを食べる機会があった。これは自分が作るのと違い何か独特の風味があって、とても美味かった。これが本物なのかと思った。薬味に何かが入っているのだろう、地中海辺りの空気が口から広がるのだった。
名古屋へ行ったときに名古屋コーチンを食べたくてそういう店へ行ったら、鶏の手羽先の唐揚げがでてきた。スパイスが効いていてとても美味しかった。スパイスは昔から香りとともに関心のあるものの一つなのだが、そのスパイスは今まで味わったことのない味だった。店独自のものかもしれない。
唐揚げにレモン汁をかけるのを邪道だと言う人がいるらしく、それらについてネット上に書いている人もかなりいる。どうも「お題」としてインターネット上に提出されるらしいのだ。それにわっと集まってコメントする。そうすると目立つことを書いたものは注目してもらえる、という図式らしい。何でも話題にしたいようだ。
唐揚げにレモン汁、が邪道?
そんなこと考えもしなかった。邪道か否かという価値軸をそこへ当てはめるか・・・。考えないなあ。旨そうならやってみようと思う方だ。これについて邪道というが特にそうは思わない。私はレモン汁をかけて食べもする。薬味関係、スパイス関係もその時々で適当にいろいろ使ってみる。調理人が適当にいろいろ試しにかけて客に出してみるというのはどうかとは思うけれど。レモンが皿についてくればかけたければかければよいと思う。どうということはなく、それだけだ。しかし、人が美味しく食べているのを「邪道」と呼ぶか・・・フォゥ~。唐揚げごとき?でよくそんな言葉を思いつくものだ。きっと暇なのだろう。
唐揚げのあの油っこいカラ?(あの外まわりのところ)は、食べていて時として単調になるからレモンをかけると適当に味にムラがでてとても美味しく感じられる。そう思う。