最近、メールのやり取りをするようになって思うことがある。友人へのメールなどで、一つだけ質問をすると、だいたいそれについて答えか答えらしきことが書かれて返ってくる。二つ三つ質問すると、それの一つに答えてくる。どうも相手にとって答えやすい所を選んできているようだ。五つくらい質問をすると、答えはそのメールには入っていない。
話は逸れるが、仕事が忙しいことをいろいろなことの理由にしている友人のなかには、込み入った返信メールになると途端に1週間ごとになるのもいる。「1週間ごと、土日ごとにこんにちは状態」となり、こちらはその間、待機状態の気分になることも多い。・・・と、ここまではなんとか笑える。
一方で、アドバイザーというのがテレビ、ネット上で雲かの如く、多々、出場していて、「メール、手紙アドバイザー」などと呼んでもよさそうな人もおり、これらの人の中には、誰とは言わないが(半分は多くの記憶が合わさった話だから、です)、この辺の現象にそういったところだけすばやく目をつけ、「メールで相手に何か訊く時は、簡潔に。」などと我勝ちに言い始めるのである。「分かりやすく、[簡潔に]」の簡潔にという言葉は教えるときに使ってまず間違いが無い使いやすい言葉のようだ。確かに「簡潔な」質問を見ると、折れた小枝が、ポキッ、とそこに載っているようで見やすくはあるのだ。そして続く。「質問はせいぜい二つか三つくらいまで」 ポキッ、パキッというくらいにしておくと答えやすく、答えを書いてくれる確率が上がるそうなのだ。始めから答えやすいように訊けと言うことなのかい? 要するにそのようにすれば相手にとって見やすく答えやすいところから答えていただける、ということのようだ。しかし訊く側は始めからチンプンカンプンで分からなかったりするので訊き方もままならぬことが多い。まあ、相手が企業などで、仕事で答える場合以外の知り合いなどの場合であってみれば、「そもそも答えなきゃならない義務(義理という方もいらっしゃる)はない」という気持ちも多分にあったりして中途半端な受け答えになったりすることも多い。しかし、正直、答えやすい所から答えていただけてもあんまり嬉しくないことが多い。
ところがさらに悪いことに、このようなアドバイザーがテレビなどでちょっと話すと直ぐに頷く人たちもいるらしく、これらの人々は、では自分なりにメールの書き方を直してみようか、とは思わずに、「簡潔」に質問してこない友人や、五つも六つも質問を連ねてくる知人などを、相手の方が悪いとそのアドバイスをもとに何となくそう決めつけ、即座に得心するのである。その挙句、自分がそれに対し答えないか、一つだけ答えるということについては、だから、それでいいのだ、という理屈を自分の中で与えたりする。テレビでのアドバイス、何とか教室での教え、などは教える側や教わる側の言い方や受け取り方によって、ほとんどこういったことに終始するのである。
いろいろとままならぬことが多いな、と思う。
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