
NHK交響楽団A定期初日。
今宵は聴きにきた甲斐のあるコンサートであった。座席は1階席8列目のど真ん中、直接音主体ながら音楽を享受するには十分な音響であった。
前半はラルス・フォークトを独奏に迎えてのモーツァルト:ピアノ協奏曲第27番K.595。
フォークトはお見事。
モーツァルトがスコアに記した曲想を千変万化に描き分け、自由闊達でありながら正当的な芯の一本通った格調高いパフォーマンス。そして、モーツァルト晩年に特有の透明感、無常感も忘れていない。
ここまで素晴らしいと、さすがのN響も着いてゆけない。リズムやテンポ感で遅れをとり、音色や表現の変化にも追いつけないのだ。快進撃をつづけるパーヴォ&N響からまさかこのような印象を受けるとは思っていなかったが、それだけモーツァルトが難しいということだし、フォークトの才気が迸っていたということだろう。
後半は微に入り細を穿ったアーティキュレーションの妙、弦のヴィブラートの繊細なコントロール、印象的なピアニシモから渾身のフォルティシモまで、隅々まで新しい光に照らされたブルックナー。
第1楽章は、まだ暖まっていない真空管アンプで聴くCDのように内なる火が感じられず、計算ばかりが見える物足りなさを覚えたが、第2楽章後半からは、演奏の芯がジンワリと暖まり、ブルックナーの音楽を堪能することができた。これほど、テクスチュアの見透かせるブルックナーは稀であろう。
パーヴォのブルックナーを賞賛こそすれ、否定する気持ちは毛頭もないが、一方、朝比奈のような大らかさ、響きにどっぷり浸るブルックナーが懐かしかったことも事実。いつかは自分で振らねば、という想いが沸き上がったものである。いますぐにブルックナーを振れる境遇に居ない自分、環境づくりを怠っている自分に喝を入れよう。