明鏡   

鏡のごとく

国内の難民

2015-09-04 09:25:14 | 詩小説


東日本大震災がおこってこのかた
父は難民のような暮らしを続けている
なんとか長年勤めたので年金が支給されており
暮らすことはできるが
母がいないと風呂にも一人で入れない

父の私生活難民生活!?の後
実家に帰る前の一時期
我が家に引き取っていた
ちょうどその時
東日本大震災がおこった
苺でも買って孫に食べさせようと思っていた時
地震はおこっていた

父が倒れて半身不随になったように
日本の半分を失ってしまったと思った
今も面では何もなかったように暮らしているが
裏では消費税や所得税その他のもろもろの税金や
電気料金に上乗せされ続けてもいるが
ずっと東日本大震災後の再構築のために
日本国民の血税が使われ続けている
目に見えない税金を使われ続けている

日本には美しい緑の田んぼがあるが
その一方で汚染された汚泥もある
その汚泥を見て美しい日本だ
などというものがいたことに怒りを持ち
苦々しくもあるのだが
日本に棲んでいるだけで
日本が憎いだけの人が言うことなどに
関わりたくもないし
ただ面白おかしく言うものには嫌悪感と軽蔑しかない

それを何とかしようと
汚泥と汚水を処理し
土地を何とか復活させようと取り組むものがあれば
直接的には見えなくとも
生活保護という形であれ
保障という形であれ
使い続けられている現実もある
日本の全てに跳ね返っている
国内難民を今なお多く抱えているといっても過言ではない
シリアの難民の方々を見て胸が苦しくなるのは
あの時を思い出すからでもある

忘れてしまっているかしらないが
人事のように思うひとがいるならば
しっかりといっておきたい
日本には国内難民ともいえる多くの避難された方々がいるので
軍事パレードなどで威嚇したり強い気になっている暇などないのである
国内の難民のような数多くの方々を抱えている日本としては
嬉々として駆けつけるような
人を殺して嬉しがるような行事
そのようなものを見せつけるために
血道を上げるような
馬鹿げたことはできないのである

そういった今だからこそ
復興を見えない血税からであれ
ボランティアであれ
地道に続けている日本としては
朝鮮半島や中国大陸で何か有事があった際は
何ができるというのだろう
着飾って
巨額の富を自慢気に湯水のように使う暇などないし
周辺諸国を威嚇する為に軍事パレードなどやっているような心ない国に
手を差し伸べる余裕も気持ちも
さらさらない日本の国民である